見出し画像

「目的への抵抗 國分功一朗」を読んで

我々は目的から逃れることはできるのか。

そんな問いに対してのひとつの答えを導き出している本であった。

私たちはほとんどの行為をその目的のために行っている。
これは当たり前の事実であり、目的がなければ行動を起こさないことが普通だろう。

しかし、それは同時に目的に縛られた生き方ではないか。

この本ではアーレントを引用し、自由と目的について論じられている。
そのなかで語られているのは、自由であるためには、意図された目標からも自由でなければならないということだ。

ただ、目的が行為の要因となることは否定できない。それでもその目的を超越した時にその行為は自由である。

このようなアーレントの論はとても興味深いし、納得できるようなものであると思う。

作者はそこに「遊び」という概念を導入する。
遊びとはまさに目的を超越したような行為ではないか。
何かを目標に始めたことでもその過程が楽しいのであって目的を超えている。

「遊び」とは、「ゆとり」とも近い概念であり、そこからもわかるように目的からはみ出したような、目的を超える何か、といえるだろう。


以上のことを、平たい言葉でまとめるなら、「今」が大切ということではないだろうか。
ある目的を見据えた行為であっても現在の行為自体が楽しいのか、自由なのか、満足しているのか、、とても難しいことである気がするが大切だと思う。

結果だけではなく過程も重要であるということにもつながるだろうか。

本書のなかでは、目的と手段という言葉で語られている。
手段が自由であること、楽しむこと、それを心の中にとどめていきたいと思う。

ちなみに最初の写真は物流倉庫。
非常に目的的な場所であると思うが、このような場にも目的からはみ出した何かがあるのだろうか。


とても知的でワクワクする本だった。
「暇と退屈の倫理学」と合わせてぜひ読んでみてほしい。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?