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認知症の母親の物忘れに慣らされた今日この頃(2018/12/13(木)のメモ)

2018/12/13(木)

今日は、串かつ定食(みそ)を食べた。プラス餃子を焼いていたので餃子を3つ。
明日は、お母さんは病院で検査らしい。
相変わらず物忘れは頻繁に起きているらしく、家の鍵がないといつも店からの帰りに探しているとのこと。
これには僕もすっかり慣れてしまったが。
そういえば昨日は変わったところで、お父さんがコンパクトデジカメの設定をしてほしいといってきた。
キャノンのPIXY200という機種でSDカードが刺さっているにもかかわらずカードの容量がありませんのメッセージが表示され撮影出来ないとのこと。
最初は自分も理由が分からなかったが、よく見ると撮影する画像の設定が一番サイズの大きな画像サイズに設定されており、設定に対してSDの残量が足りなかったのでメッセージ表示されていただけだった。
こういうことを説明書見て調べるのも面倒になるんだろうな。
お父さんには写真とかにもっと興味を持ってほしいんだがな。
ついでだったので、プリントしたい写真があったら頼んでほしいということを伝えた。
やっぱりPCが自宅にあった方がいいだろうな。
それかタブレットでどこでも写真が見れたらいいんだろうな。
今週は妹が家の掃除に来たらしい。
やっぱり気になるくらい片付いていないのかな?


味噌串カツときしめんのセット

味噌串カツ写真撮っておいて良かった。

今見ると旨そうだな。
実際美味かったしな。
やっぱり名古屋は赤みそだ。
実家の見守りを始めてから割と食べたものを写真に撮っておくようにした。
これはいずれ近い将来店が続けられなくなることが予感されたからで、その予感は違わず訪れた。
現実はなかなか厳しい。

親はずっと変わらない

親なんてものは変わらないものなんて子供の頃は思っていたけど、当然そんなことはない訳で。
我が家の場合は以前お母さんが脳の血管が詰まって緊急入院したことがあり、またその症状が出ないとも限らないからそれからしばらくは年1回、検査に通っていた。
親の入院やいなくなるかもしれないという不安は子供にとって日常が崩壊していくかのようで、今もあの時の衝撃は忘れない。
そんな事もあったので親でさえ変わらずずっと居る存在ではないことを身をもって知ることになった。
当たり前なんだけど。
情報や知識として知っていることと体験には雲泥の差があり、その時の衝撃と不安はなんとも言い難いものがあったことを思い出す。

どうしたの?

カメラがフィルムからデジタルに移行したこともあるけど、僕が実家にあまり寄り付かない間お父さんのカメラライフも変わっていたようで、ファイル時代の一眼レフカメラではなくコンデジに変わっていた。
ただ、お父さんは携帯電話はなく、パソコンもやらないので、所謂デジタルが不得手。
だから画像データの扱いもとんと分かんない。
以前は8mmフイルムの編集とか音入れ何かも自分でやってたんだけど、ビデオカメラか普及した後とかビデオでもってことにはならなかったんだな~結構ビデオテープからHDDとかSDに移行するまでの期間はあったんだけどな。
性格的に用心深いところもあったからな。

実家に行く途中にであった野良猫

時間の経過に戸惑う

見守りを兼ねた実家通いは実家から遠ざかっていたことへの懺悔の気持ちもあったのか?
その間は妹の子供たち(両親からしたら孫たち)といろんな所に行ってそれなりに楽しんでいたみたいだけど。
見守りを機に実家に通うようになり、いつの間にか年老いていた両親を目の当たりにして時の経過を実感した頃の話でした。

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