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今思えば最後の新年会だった(2019/1/1(火)のメモ)
2019年1月1日(火) 元旦
毎年恒例のおじさんの家での新年会。
今年も数の子など正月料理をご馳走になった。
今年はうちよりも先にお父さんとお母さんが先に帰った。
前日が年越しそばやって疲れていたのかな?
とはいえ、20時頃までだったらしいけど。
準備やらでその前日から大変だったろうからな。
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年越しそば翌日
大晦日の年越しそばの営業をしてからの翌日の新年会はお父さん的にはしんどかっただろうなと今となっては思う。
僕の中でも楽しくはあるんだけど面倒だなという思いは少なからずあったんだよな。
コロナ前は。
でもこうやって皆で集まるってこと。
当たり前じゃないんだ。
と初めて実感したのがこの後に来るコロナだったね。
世界中の人と苦しみを共有
コロナは僕の人生の中で世界中の人と同じ苦しみとして実感できた初めてことだった。
そんな出来事なかったな。
楽しい出来事ではなかったけど今となっては貴重だと思える。
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都会の初日の出
トップに貼った写真は一応初日の出。
我が家には初日の出を寒い中わざわざ拝みに行くという習慣は、ありがたいことにないので部屋から一歩出ただけのベランダからビルの谷間からのぞくいつもと変わらない太陽を初日の出として一応ありがたがった。
そしてこの写真は新年会に向かう途中の神社の門松。
さいわい有名どころの神社でもないので、ひとけがそれほどないからフォトストック用の写真を撮るにはちょうどいい。
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人工的は曲線の交差が萌える
名古屋高速のジャンクションは正月だからといった趣きは一切なし。
そのツンデレな佇まいは萌えポイント。
冬はとくにそのツンデレ感が増す。
僕は何を言っているんだ。
このジャンクションは写真の記事でも後々出てくることになると思う。
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![](https://assets.st-note.com/img/1707948135079-1L8TrS1M0y.jpg?width=1200)
数年に一度のゲームで勝てるわけがない。
この年は何を思ったか正月らしくみんなでゲームを楽しんだ。
将棋、オセロ、人生ゲーム。
アルコールが入った状態、しかも数年に一度のゲームで子供に勝てる大人がいるだろうか?
オセロはそこそこがんばったけど後は全滅だった。
とくに将棋はひどかった。
藤井くんはお酒を飲んで酔っていても強いものなのかな?
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正月は洗濯しない
コメントにも書いた通り正月は洗濯しない。
正月くらいは家事を休みたいよね。
その意味もあっておせちもあるんだから。
それに親戚が来るのに洗濯物干したままってのも格好悪い。
カラフルな洗濯ばさみが揺れている。
この時集合したおじさんの家は8階にあり、南側には大きな建物がないこともあって景色が開けている。
僕もマンション住まいではあるけど周辺にもマンションが隣接しているので眺望は年々悪くなっている。
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一足先に帰宅する両親
親との晩酌の夢が実現したのはここ数年だったのに一緒に飲んで楽しめるのはあっという間の短い期間しかなかった。
自分の年というのは普段はそれほど意識しないものだけど両親の姿は鏡のように時間の経過を映す。
僕たちより一足先に帰る両親を見送りそんなことを思う。
今この写真を見ても思い出す。
僕たちは不可逆な時間の中で生きているんだ。
noteを書くことで見返す
書いていて少し寂しい気持ちにもなる記事ではあるけど、こうして思い出したり写真を見返すことができてよかった。
noteを書かなかったら書き溜めていたメモやフォトストックで売りようのない写真を見かえすこともなかった。
もしこの記事を誰かが読んで同じような思いを持ってくれたなら、これからもお付き合い願えるとありがたい。
メモは今も現在進行形なので当面途切れることはないですから。
写真も。
では、今回はこの辺で。