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体験記 〜摂食障害の果てに〜(48)

 三十年近く食べていなかった肉魚を食べることに、最初は抵抗を感じました。牛や豚や魚が可哀想だと言いながら、自分かわいさに食べるからです。
 でも、ここで食べなかったら、私は二度と立って元気に歩くことができません。私が歩けなかったら、誰が両親の世話をするでしょう。やがて、私の両親も介護が必要になるでしょう。その時、私がこんなもやしのヒョロヒョロだったら、逆に面倒をみてもらわなくてはなりません。弟一人に負担がかかってしまいます。そんな情けない人生、真っ平ごめんです。
 『食べる』と心を決め、口に放り込み、噛み締めた瞬間、長年の障壁は消えました。私は、今まで、生き物を食べるのが、かわいそうで、食べるのを拒否していたのです。白米は、ひどい便秘になり、食べなくなってから次第に拒否感が増していきました。体重が増えたり、ニキビのもとになるとの思い込みもありました。
 その心の障壁を消してからは、お粥も日増しに量が増えていき、茶碗一杯完食しました。全ては心の持ちようで変わってきたのです。もう、摂食障害者ではありません。
 しかし、家族も主治医の先生も疑いの目で見ていました。
 『摂食障害は、ぶり返す。決して自分では元に戻せない。』
 主治医の先生が家族に言ったそうです。
 私は、誰にも信じてもらわなくて構いません。自分のことです。それが本当かどうかは、これからの結果が証明してくれるでしょう。

 リハビリの先生は、寝返りの打ち方や、車椅子に移る時の足の使い方などを教えてくれました。おかげで、膝を看護師さんに立ててもらうだけで、寝返りが打てるようになりました。
 リハビリの先生のアドバイスに従って、それらを自力でできた時、
(やった!)と思いました。やっと体が動き出したのです。
 オムツを替える時、自力でゴロン、と反対を向くことができたので、看護師さんたちは驚いて、
「すごい、すごい! オムツを替えるのが、すごい楽になった。」
 と、喜んでくれました。少し前までは、看護師さん二人がかりで、そっと、なるべく動かさずオムツを替えていたのです。看護師さん達にはかなり負担をかけてきました。
「どんどん動けるようになって、自分でトイレに行けるようになりたい。」
 と、看護師さんに話すと、
「期待しています。」
 と、にっこりされました。
 リハビリは毎日、少しずつ、私の足に筋力をつけていきました。リハビリの先生に体を支えてもらい、一歩ずつ足を前に出していたのが、平行棒につかまり、四メートルほど歩けるようになったのです。
 でも、それだけで、一日分の力を使い果たし、夜九時には知らない間に寝入ってしまいました。
 『立って歩く』というのは、凄まじい筋力です。歩けなくなって初めてわかりました。入院前は、立って洗濯物を干したり、家族の食事の用意をしたりしても、少しも動いた気がせず、自分は何もやっていない、と感じていました。でも、こんな状態になって、それは大間違いだった、と気づきました。物を持って運ぶなんて、ものすごい筋力です。体のバランスをとるだけでも筋力がいるのに、さらに、物を支える筋力が必要です。
 この発見を看護師さんに話すと、「そうですか。」と、面白そうに笑われてしまいました。でも、嘘でも誇張でもないのです。普通にできていることこそが素晴らしいことなのです。
 もし、あなたが歳をとって、筋力が落ちてしまったら。きっと今の筋力を羨ましく思い出すことでしょう。一生、できるだけ長く自分の足で歩いて、トイレに行ったり、お風呂に入ったり、外に出てお日様を浴びたいと願うなら、毎日、適度に筋肉を動かし、タンパク質やその他の栄養をきちんと摂り続けることです。痩せすぎてしまったら、その全ての素晴らしいことを失ってしまいます。私のように。
 座るだけでも、それはすごい筋力を要します。頭は重く、首の筋肉がないと、すぐさま後ろに倒れてしまいます。
 私は、何が何でも食べて、筋肉を取り戻さなければなりません。


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