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Claude Monet。名前の知らない色たち。


 知らない色があった。名前の知らない色だった。
視覚で色をなぞって、何度考えても、私の知っている色はどこにもなかった。そこには、光の響きがあって、水の暖かみがあって歪な風を感じさせない没入感があって、どれも自然なのに、どれも不自然な調和を生んでいた。それは筆先のアライメントなのかもしれないし、色の載せ方なのかもしれないし、輪郭を強調しない美しさが実態をフィルターの奥に閉じ込めているようで、景色の本質を理解している彼の手法なのかもしれない。

クロード・モネは、別名「光の画家」とも呼ばれている。私は、彼の描く柔軟な風景に魅了されている。

今回は国立西洋美術館へ
「モネ・睡蓮のとき」
を見にいった際のエッセイである。

 私は幼い頃から母親に手を引かれては定期的に上野へ足を運んでいて、ルノワールやセザンヌや、モネと言った印象派と呼ばれる画家の絵を鑑賞していた。
 幼稚園の帽子をかぶって行きたいと駄々をこねた記憶が強いので、確か最初に行ったのは恐らく5歳とかそんなもんだろう。

 上野動物園がすぐ近くにあるはずのなのに、私はなぜ絵を見にいくのか、当時、不思議でならず、
「おかーさん、動物が私を待っているんだけど」
と、いくらせっついても、母も相当に頑固な性格で「そうですか、私たちにも絵が待っていますよ」と軽くあしわられていた。

 美術館に入るまでは、大抵は行列を並ばなくてはならなくて、私はいつだってうんざりしていた。誰だか知らない人の絵に、興味を持てるはずもなかったのだ。
 とはいえ、7つ上の姉がいたことも影響してか、少しお姉さんの子供が並んでいるのを見かけては、私も大人扱いされているようで、少しだけ優越感のような、おしゃまな一面があったことも確かだった。

 そんな記憶を辿りながら、いま、私は一枚一枚の絵を眺めていく。母はこんなことを言っていた。

「こうして、キャンバスを通して彼らの心の目を共有することができることはこの上ない至福で、呼吸をする延長のようにすんなりと入りこむことこそが才能なの」

 母は夢を見るようにそう語る。
風貌はたぬきとコアラのハーフアンドハーフの顔立ちをしているのに、いうことだけはいつだって美しい。(ちなみ姉はアライグマに似ている。)

 絵画は生活から切り離されたものではなくて、生活の延長の中に存在していて、それを掬える心を育てる為に、人間は美しさを見極める目を養い、それは本を読むことや、人の良質な話を聞くことや、土を触り、作物を育てることで、命を育むあたりの前の日々を紡ぐことであると、母は言う。

 幼い私には壮大すぎる話はなんだか訳がわからないと考え込んだものだったが、大きなキャンバスの向こう側には私の知らない色たちが自由かつ整頓したような絵だと思った記憶がある。
 その記憶はあながち間違いではなく、画角の構成や、すぎゆくときの流れの変化を効果的に表現し尽くされている現実は、いまキャンバスを前にするだけで容易に想像がつく。

 睡蓮、アパガス、アリエッタ、ひまわり。花の後姿にはどれも表情があったし、物語があった。
1日を24時間と捉える柔軟さがあって、1年を365日と捉える大らかさがあって、1分の儚さがあって、それは断片的でもなくて、対象全てに持続的な哀愁があり、人生があるように思えた。表現の方法は多角的で抽象的で、時には単面的だ。それをうまく融合する技術力は圧巻で、ただ癒しを求めることもでき、その中で技術者のような知的一面も感じ取れる。私はモネの絵を眺めながら、こんなことを思い出していた。

 子供の頃の夏休み、庭に咲く背の高いひまわりをデッサンして、絵の具で描き起こしたことがある。
私は描き進めながら、いつしか涙がこぼれ落ちていた。一枚一枚の花びらの大きさが違う、同じように太くて柔らかい緑色の茎が描けない。色が違う、時間の経過とともに周りの景色が変わってしまう。私は瞬間的に絵を切り取って描くことが全てだと思っていたし、自分の絵の鉛筆の筆跡や、絵の具の薄っぺらい濃淡に酷く落ち込んだ。輪郭を強調することが、視覚的に当たり前であったとしても、それを絵の中に投影することが、許せなかったからだ。私の心のフィルターは、酷く安っぽいものに思えた。

Les Nymphéas

 あれから、30年も経ち、私は今、モネの描く多くのキャンバスの前に立っている。
 同じ風景を異なる時間帯で描いていく手法や、絵の具を混ぜることなく単色をひたすらに重ねていく視覚効果によって色彩を見せる方法(筆色分割というそうだが)、モネの最大の特徴である、黒という色を使わずに、それらを紫や青で表現していることといった、彼独自の景色を捉える姿と、技術的な側面を知り得ていくと、一枚の絵に込められた数々の工夫は、なんともため息が出るほどに感慨深い。

 単純に、美しいものを見ると心が落ち着くし、自身の見える世界や、あの時絶望した記憶はもうすでに薄らいでいるし、知らない色を純粋に楽しめるようになっている。それを私自身が描くことができなくても、私なりの表現の仕方を知らず知らずのうちに身につけ始めている喜びを感じ始めているからだと思う。

 職場の先輩は言う。
 看護は自己表現することだと。

 モネは生前、セーヌ川に飛び込み、自殺未遂を起こしているし、妻を失い、貧困に苦しみ、白内障という病を抱えながらも、描き続けた、忍耐強い画家でもある。そこには友人の力や、庭を作り、睡蓮を育てる姿や、屋内でのアトリエで描いていた画家のあたりまえを壊し、外光派という新たな道を切り開いていく強い信念がある。彼の人生を紐解いていくと、さらに絵の魅力は高まっていく。彼の心が表現する世界は、ため息が出るほどに美しい。何を考え、誰を想いながら描いていたのだろうか。もしかしたら、永遠にただ黙々と絵を描いていたかもしれない。結局のところ、憶測というものは、私たちの想像力をより掻き立てる。

 彼の捉える光を、時の進め方を、流れる風を、色を私は枯渇した砂漠に水を充てるように隅々まで見渡す。キャンバスに筆を充てる様を、彼の中の1秒や、1分を。彼の想いを掬い上げるように。

白内障が進んだ後の彼の作品Le Pont japonais

 私は絵を眺めながら、モネが描いている姿を背中から眺めている。人生を投影した絵、には魂や生き方が込められていて、モネの描く黒のない世界は、やはり美しい。季節や、時間の流れは永遠に同じものはなくて、あの一枚一枚の絵はもしかしたら、どれも完成していないかのようにも思える。私たちはそれでも、彼の生きてきた時代を絵を通して知りたいと、美術館に足を運ぶのかもしれない。
 閉館時間の音楽が流れる。私はまだワンフロアまるまる見れていなくって、小走りしながら、彼の見る美しい景色を目に焼き付ける。

 そうして私もモネの後ろ姿を想像し、心に光を灯しながら、美術館を後にした。

#あなたの色はどんな色

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