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母の難病 マイホームの売却

母が余命宣告を受けて半年経った頃、
私は実家までほぼ毎日通う生活を続けていた。

元不登校児の上の子は、無事高校の療に入り、
学校生活を続けていた。
下の子はというと、相変わらず留守番生活が続く事になってしまい、心苦しかった。

介護の手続きや、病院への手続きなど、
事務的な事は私の役目で、どうしても平日に仕事を休まなればならない事が多くなった。

このままだと共倒れだ。
メンタルも体力も持たない。

とうとう私は父に、実家での同居を提案するしかなかった。

父は偏食で野菜は一切食べない上、食事も作れなかったので、母の食事は昼食のみ、ヘルパーさんにお願いしていた。
朝はバナナとハムエッグ。毎日同じものを食べる。晩は自分が食べる酒のおかずを、
母と一緒に食べていた。

当時の母の楽しみと言えば、食べる事くらいだった。
息苦しい中でも、母は最後まで自分の口からご飯を食べた。

そんな母の不満はもちろん、父の料理だった。
何とかならんかね。いつもそう言っていた。

実家にいれば私がご飯を作れる。

せっかく買ったマイホームを手放すのはとても辛かった。
いくらボロでも、私達家族にとっては思い出が沢山詰まった家だった。

母は宗教にお金をつぎ込んでおり、無一文に近い状態だった。
父は家の家計には無頓着で、更に酷いのは娘にはもっと無頓着だった事だ。

私が介護で大変なのを知っていても、
実家で一緒に住むのは嫌がった。

本当に変な父親だと思う。
父の立場でなかったとしても、あなたの配偶者を介護する為に、マイホームまで売って一緒に住もうと言っているのに。

結局、弟を巻き込んで父に電話してもらい、母の為にも実家に戻り、一緒に介護する事になったのだ。

4年住んだ一回目のマイホーム。
苦労して買った思い入れのある家だった。
あの時の4年間は本当に楽しかった。
私達家族は色々と傷付いた心を、あの自然いっぱいの環境で、とても癒され、自由に暮らしていた。
今思い出しても初恋のような甘酸っぱい何とも言えない気持ちになる。

思い出の家は、売りに出して1ヶ月も経たないうちに、買い手がついた。
若いご夫婦で、小さな子供が2人おり、幸せそうな家族だった。

私は実家に引き上げるので、家具家電の殆どが必要なかった。聞くと喜んで頂きたいとの事。
3人で寝たベッドから食洗機まで、殆どの物をご夫婦に譲る事にした。

ここまではまだ良かったのだが、
今でも父を許せない事がある。

げんき(犬)との別れだった。
※次に続く


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