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安楽死について思うこと

難病になった母と最後の時を過ごし、
想像を絶する苦しみの中で、母は亡くなった。

膠原病と呼吸不全。
同時に2つの難病になったのは母くらいだろうと思う。

膠原病で皮膚は硬くなり、注射の針が刺さらず、手の甲、終いには足の甲も傷だらけだった。
体は硬くなり、常にマッサージが必要だった。

母の場合は呼吸不全が直接の死因となったのだが、
肺に二酸化炭素が溜まる、
日本でも50人ほどしかいない、珍しい難病だった。
症状はとにかく息苦しさ。

担当の医師の例えが分かりやすかったので引用すると、常に水中で溺れているような状態で、
宇宙空間に酸素マスクなしで居るようなもの。
だそうだ。

母の数値は通常だと即死レベルだったが、
少しずつ少しずつ悪化していった為に、体が慣れてしまい、生きている。との事だった。
つまりは慣れ。
人間の体とは逆に恐ろしい。

当時の余命宣告は1年〜2年。
母は結局4年半生きた。

側で母を看てきた私は、生きるとはどういう事なのかを常に思っていた。
死に対する恐怖よりも、生きることの辛さの方が怖い。
だからもし産まれ変わっても、風にすらなりたくない。と母は言っていた。

生きることの辛さは、少なからず私も知っている。
ならば人は苦しみを味わう為に産まれてきたのか?

私の生きている中での最終目標は
バランスの取れた人になる事。

悲しみがあって喜びがあり、
苦しみがあって楽しみがある。
悲しみを感じなければ喜びは感じない。
苦しまないと、楽しみを味わう事は出来ない。
どちらかが欠けたり、バランスが取れていないと、人は幸せだと言えないのでないか。
更に言うと、幸せの中に不幸がなければ幸せを感じる心は生まれてこないのではないかと思うのだ。

当たり前の事を言ってると思うだろうが、
人によっても、時代によっても幸せの価値観は全然違う。
私が少しの事で幸せだと感じる事も、
誰かにとっては何も響かない事かもしれない。
だからその幸せと、また悲しや苦しみを
沢山共感出来るように、解る事が出来るように、
そしてそれを正しく感じ取る事が出来るように
人は心の成長が必要だし、
その成長の為に生きていく。
という意味があるのではないかと私は思う。

人によってはバランスが取れない程の苦しみを味わう事や、
壮絶な体の痛みや苦しみで、心が壊れていく事もある。
先に心が壊れてしまい、生命の主体である体を
終わらせてしまおうとしてしまう。

自殺や安楽死はそうだろう。

そうなる前に、心が壊れる前に、体を終わらせてしまう前に、そうならないよう、
日々心を成長させる努力をいつも惜しまないでいて欲しい。
どんな方法でもいい。
生きているならそれが出来るから。

私の心を守り成長させてあげられるのは
結局は私だけ。
体だってそうだ。
いつも私の為に一生懸命動いてくれている。
私が労らず誰か労ってあげれるのだろう。

母は病気を通して、こうも言っていた。
苦しみの中で、沢山の学びを得たと。
誰も経験した事の無いような苦しみを味わうと、
それと比例するような幸せや喜びを味わう事が出来ると、不思議な事を言っていた。

最終的に形としては
病に勝てなかったのかもしれないが、
母の心は病気に勝ったと思う。
最後まで生き抜いたのだから。

私は私より1日でも長く生きている人を、
それだけで尊敬する。
生きているという事はそれくらい大変な事で、
素晴らしい事だと思うから。

そして
そんな母を私は心から尊敬するし、
生き様を側で看る事が出来て
今更ながら母の子供で良かったと思ったのだ。



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