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読書感想文の作り方:実作例

   「ナイフ」を読んで

 短編小説集『ナイフ』には五編の小説が収められている。いずれも「いじめ」をテーマとした小説である。今回、私は表題作の「ナイフ」をとりあげることにした。

 「ナイフ」は父親とその息子真司が「いじめ」と戦う話だ。父親は「身長百五十二センチ、体重四十四キロ。運動がからきし苦手なうえに性格もおとなしく、腕力とは縁のない四十年を過ごして」きた男である。とてもヒーローになれそうにない。本人も十分自覚している。そのせいか、父親はかつての同級生ヨッちゃんをずいぶん気にしている。ヨッちゃんは自衛隊に入隊し、民族戦争が激化する地域に派遣されている。父親にとって、ヨッちゃんはまさしくヒーローである。

 真司がいじめられているのに気づいてからしばらくして、父親は酔っぱらって露店でナイフと出会う。私には、オモチャのようなサバイバルナイフを買って、「これで、人、殺せるかな」と言ったのは悪い冗談のように思えた。だから、会社のトイレの個室でナイフの刃を引き出す練習をし、柄を握り込み、体を預けるようにして突く、父親の姿に驚いた。

 中学生の真司がナイフを持ち歩くのならともかく、四十歳の大の大人がナイフに頼るとは。父親は「私はナイフを持っている。私は、いつでも殺すことができる」と心の中でつぶやいているが、私には、彼が実際にナイフを使ってやる、と考えているとは思えない。使いもしないのに、そういうものに頼って安心してしまうのは人の弱さなのかも知れない。自分がナイフを持っていることを誰も知らないことに上機嫌になるのも、弱さなのだろう。

 ナイフを持てばヒーローになれるとでも思っているのか、と私は思った。でも、父親は自分の弱さに気づいている。ちゃちなナイフだけど「私には似合いのナイフだ」と言い、自分が臆病なことを自覚している。ナイフさえ持てばヒーローになれるとは思っていないようだ。

 川に鞄を投げ捨てられ、泣きながら川に入っていった中学生の話を聞いて、父親は息子のことだと思い、「真司!」と叫びながら、駆けだした。中学校の裏の川に行くまでに、父親は真司が生まれたときのことを思い出す。「生きることに絶望するような悲しみや苦しみには、決して出会わないように」という父親の祈りの言葉が強く印象に残った。たしかに甘い父親なのかも知れない。でも、私はそれでいいと思う。私の父もたぶん、そう祈っただろうし、私も自分の子どもが生まれる時、そう思うだろう。

 川から帰った夜中に「お父さん、やっぱり臆病者だったよ」と息子に言ってあやまる父親の姿にせつなくなった。そのあと、ナイフを息子にやろうとしたとき、なぜ息子に渡すんだろうと思った。私がわたされても断る気がした。ナイフを持ってしまうと、それに頼ってしまう弱い自分になる感じがして悲しくなるように思ったから。ナイフをじっと見つめて、「ごめんね」と小さく言った息子は、やると言われたナイフを断ることをすまなく思っているのだが、私には、断ることで父親にナイフを押しつけることになったのをあやまっているように思えた。

 真司がナイフを持ち歩けば自分を守るためだけだが、父親がナイフを持ち歩くのは、自分以外の「守らなければならないものを守る」ためなのだった。そのことに今さらながら気がついた。だから、父親がナイフの刃を引き出そうとしてあやまって右手の指先を切ったとき、真司も母親も心配して集まってきて、最後には三人とも泣き出したのだ。父親のナイフが意味しているものに気がついたから。

 ナイフは父親がヒーローになるためのものではなかった。「ほんのわずかだけ、背負ったものの重さが消えていく心地よさを感じながら、私は人差し指をいつまでも吸っていた」と父親がいうのも当然だ。ナイフの持つメッセージが正しく伝わったのだから。

 このあと、父親は一人でウィスキーを飲む。ここで、「この酔い心地がヨッちゃんにも伝わればいい」、とヨッちゃんが出てくるのは、これまでとは少し変わっている。ただのあこがれだったヨッちゃんから、相手はちがうけれどお互い戦っている同志としてのヨッちゃんに変わっている。ナイフのメッセージが伝わり、父親は戦う人になったのである。

 この小説を読んで、父親の息子に対する気持ちが痛いほど伝わってきた。一人息子に対する父親というものはこういうものなのか、と思った。

  • 短篇小説を題材にしても、このくらいの分量は書けるという実例です。

  • 慣れないと、文章になるまで大変かも知れないけれども、何度かやればなんとかなると思います。


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