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人間讃歌のマイプロフィール

私は、半農半漁の坂本家の坂本友太郎の次男坊(祖父の団平)と佐賀県佐賀市の庄屋一族の井上家長男坊の井上稔の孫娘で、一人っ子。血液型は、母親はAB型、父親がB型のB型。

父方と母方の祖父母は第二次世界大戦の経験者で、両親も戦後10年〜20年以内に生まれた。

もちろん父方の曽祖父も第二次世界大戦の従軍者。

父は佐賀県の唐津市入野町坂本家の三人姉弟の一人息子で小学生の時に北諫早小学校に転入し、北諫早中学校から、定時制高校を通い、大阪に巨人軍のファンでやんちゃ盛りしていた。

侍のような性格のお父さんは、私の優しい方の祖父の坂本団平という父親が亡くし、その時の父はまだ14歳、姉は17歳ぐらいで、父と同じ誕生日の妹がまだ幼い11歳ぐらい。

3人の兄妹とも3つずつ離れてる。

山口県生まれの母は違う母親が3人もいる、宮崎県の地主議員の娘である実母の顔が覚えていても、幼くして離れ離れに父親をも置き去りした。

程なくして祖父の井上稔は、新しい妻を出迎えるが、母が小学生の時に亡くなり、次の最後の妻となった国鉄の娘の清香を出迎えて、母とは9つ離れてて待望の10歳離れた長男(私の血縁関係の叔父)を出産した。

母の家族は山口県を転々と引っ越し、広島市にも観に行ったことがあり、最期の地は諫早市の多良見町化屋に移り住み、諫早市立喜々津小学校に転入し、諫早商業高校に中退で、工場で働き、東日本以外の西日本辺りの各地を転々した。

お母さんの祖先は、薩摩隼人の娘である曾祖母、井上家は知的障害のある先祖はいるし、義理の祖母の清香ばあちゃんも知的障害がある。

瑠璃子おばあちゃんも私の父である息子を亡くしたことで認知症が発症した。

私の症状は、双極性統合失調症、境界知能、広汎性発達障害(現在のいわゆる自閉スペクトラム症)。

ありもしない、幻聴(22歳のとき頭の発想から口寄せして話し合ってた)や幻覚(飛蚊症)、幻嗅(小さい頃からの特殊能力だった。鬼滅の刃の炭治郎みたいに。22の時に蓮の花が1枚ひらひらと甘い香りがダイニングルームのいる私の鼻を嗅ぐわせた)

幼いときは、みたち保育園の運動会などで泣きじゃくるときはあるが、赤ん坊の頃は、あまり泣かない大人しい子供で、他の普通の子とは違う行動していた。

元々は、両親は最初は独身貴族を通そうとしたが、坂本家の祖母の瑠璃子が娘たちが嫁がせてるのに、家長であるドラ息子をなんとかせねばと必死になり、ついに、知り合いのつてに東長崎(長崎市)の『寿司割烹 天領』で母と知り合い、お見合い結婚させ、福岡市にデートして、できちゃった結婚で、たらみエンゼルレディースクリニックに出産した。

2000mg程デカくて、みたち保育園の中では身長が高いぐらいに母はヒヤヒヤと私の将来は大柄な女になるのではしたが、みはる台小学校に上がったときは、身長のデカイ子どもたちがいるため、同級生の中では平均的。

今現在の身長は、162〜3cm、女性の平均身長より高い。

住処は諫早市馬渡町のトタン壁の平屋建てだったが、小学校は西諫早小学校だったはずなのに、大家さんの嘘で追い出され、お父さんが脱サラして配管工事に自営業をしていた時に、諫早市平山町の一軒家でとある女性が「離婚したからお金が払えないから家を売りたい」と相談しに持ちかけてきてラッキーなことに、許諾得た。

坂本家の親戚(特に伯母と叔母の方)の義理の叔父と義理の伯父や私の従兄弟らの男たちを呼び集め、引っ越しの手伝いをさせた。

何もしない父に見切り、母が必死に私の保育園や学校を探してくれた。

小林という幼なじみの4ヶ月離れた年下の『連ちゃん』に淡い恋心をときめかせてて「結婚する」と決めてたっけ。

『有希さん』か『坂本さん』を呼ばせたかったのは、小学生に上がる時で、先見的なおませさんになっていた。

小学低学年は、原爆、歴史、世界の国名と情勢、いわさきちひろ、金子みすゞ、宮沢賢治の名前に惹かれていた。

夏休み大キライな宿題をやらせるわ、原爆の話に付いて来いで登校日にするわ、社会見学も、長崎県と広島県独特の文化だ。

世界や日本もアメリカのバカヤロー、はた迷惑な登校日増やすなー!!

言葉がコミュ障の小学低学年は、同級生の男子から『粉雪』を歌い出されたら泣きじゃくり、前世の罪の性分からか、「感動」という言葉があまり分からないからだったため、女子達は『有希さん』か、同級生から下級生までの男子からからかいに馬鹿にする時は『粉雪』呼ばわりの始末。

からかう女子達はいるわさ、くそったれだ!!めちゃくちゃにしてやるー!!

そう言えば、発達障害に診断する前は、くそオヤジがタバコをやりまくってて、小児喘息させ、死にかけたこともあり、翌朝から諫早病院に緊急搬送されて大暴れしてたなー、その日の夜は、母が私の白かベッドで腕にうずくまるように寝てたから、心の中から「生きてやる」という覚悟した。

その朝の料理が焼き鮭のハラミ、魚系が苦手な私にとっては嫌だったけれど、食べ切れたかどうか覚えていない。

それが、惨めな人生を送る私の決めた過ちだろうか?!

だけど、諫早病院が私の奇行が転じて、詳しく検査され、長崎県立こども医療福祉センターに、新しい友達と作れた。

そう言えば、小さい頃、天邪鬼にわいわいプールで、ウォータスライダーに溺れかけてて監視のレスキュー男性隊員からお姫様抱っこされたことで、父親から心配されてた。


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