感謝日記 九がつ十六にち 『闇が押し寄せても、友の支えがなくても、落ちて壊れても、君は独りじゃない』 映画「ディアー・エヴァン・ハンセン」より
おはようございます
一昨日に続き、昨夜も映画を観ました
『コーダ あいのかたち』
『ディアー・エヴァン・ハンセン』
『コーダ あいのかたち』は、お父さん、お母さん、お兄ちゃんがろう障害を持っており、妹のルビーだけが耳が聴こえるという家族の物語
ルビーは小さい頃から手話を覚えて、家族の全面的な支えになっている。
思春期になり、家族が恥ずかしい、家族の犠牲になっている、プライベートが欲しい、進路と家族の世話の葛藤と悩むべくして悩む
特に印象深かったのは、助けるだけだと思っていた家族だが、
その家族がそばにいないと、心細くて、声楽受験で歌えなかったこと
勇気が出なかったこと
支えることはいつしか、自分が支えられていた
『ディアー・エヴァン・ハンセン』は主人公はうつ病の学生。
「自分はダメ人間」
「誰にも好かれない」
いつも他人の目が気になり、何も出来ないそんな青年ハンセン
ある日絡んできた同じ学生は片思いのゾーイの兄だった
ハンセンはセラピストに自分に好意的な手紙を書くホームワークをしていたが、不安に押しつぶされ、遺書に変える
学校の図書館で、それを誤って無線で印刷してしまう
それをゾーイの兄コナーに読まれる
「ゾーイだけが心の支えだ」の一文を読まれ、コナーはそれを持ち去る
手紙を公開されないかと不安な日々を過ごすハンセンにコナーの自死が告げられる
この作品の主題は遺族の哀しみと自死者への憎しみ。
もう一つ、精神疾患に苦しんでいる人たちへ、勇気を持って辛い気持ちを告白すればいい解決するんだというアンサー
生前のコナーが何を思って、何に苦しんでいたのかが全く描かれていない代わりに、主人公ハンセンの行動や身体の様子、言葉で描いている。
コナーへの目線や距離感は私たちが自死者に思うことそのままにこの作品では示されている
どこか遠い、他人事
この距離感や空気感に気づいて欲しい
閉じ込められた人がいるということを
ハンセンのスピーチを紹介します
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「少し話をします。
僕の友達、親友コナーのことです。
僕たちは古いりんご園の裏へ行った。
巨木を見つけ、彼が上から見てみたいと。
ぼくも賛成した。
ゆっくり登り、下を見ると9メートルほど来てた。
彼は僕を見上げ、いつもの笑顔を。
その時…僕は落ちた。
そして地面に倒れ…
※(ハンセンは衆人環視の恐怖から間違ったページを読む)
おはようー皆さん」
ペーパーを落とし、マイクを倒し、メンタルはどん底です。それでもハンセンはコナーの両親の想いを感じて、勇気を振り絞ってスピーチを続けます。
「誰もいない感覚を知ってるかい?
荒野で置き去りにされたような
自分が消えてしまいそうな
落ちても、音すら届かない。
でも見るとコナーがいた。
彼の贈り物だ。
僕は独りじゃない、誰もがだ。
そう教えてくれた。
彼にも教えたかった。
だから…孤独な気持ちは捨て去ろう。
きっと大丈夫と思えるわけがある。
もし立ち上がる強さはなくても、救いに向かって。
手は伸ばせるから。
そうすれば誰かが来てくれる。
君を家へと連れ帰ってくれる。
闇が押し寄せても、友の支えがなくても、落ちて壊れても、君は独りじゃない。
陽の光を受けよう。
手を伸ばせばまた立てる。
顔を上げて見回せば、見つけてくれる人がいる。
見つけてくれる人がいる
見つけてくれる人がいる
君は独りじゃない。」
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このスピーチはコナーの代弁のようであり、周りの人への願いだ
エヴァン本人の叫び
苦しんでいる人が周りに相談できないことは百も承知だ
何も語らずにいなくなる人が多数だ
自分は無価値だと思っている人が、人の迷惑になる告白をできようか
だから一瞬でもいいから、灯火をつけて発信して欲しいという同じ悩みを持つエヴァンの願い
コナーやエヴァンたちへの扉は決して閉ざしてはならないと思う
関心こそが愛