評価の自己システム化

今日は5時から作業しようと思っていたら4時半に目が覚めてしまって、
まあ午前中は調子いいんだけど、昼食後にグッと眠くなるよね…
ただこれは起きる時間の問題ではなくて、寝る時間が遅いことが問題なので、
今日はもうこれを書いたら寝ようと思っています。

早起きは三文の得っていう言葉は、そのままお得だよっていう意味と、
あとちょっとしか特になんないからあんま意味ないよっていうような意味とがあるって聞いたことがあります。どっちなんだろうねえ

でも今日なんかで目にした自己啓発の推奨のグラフでは、自己啓発も複利効果があるからちょっとでも継続するだけですごいんだぞ!っていうようなグラフがありました。
いやそりゃあそうなんだけど、それを見て継続できるってのはなかなかに芯のある御仁だよね…

継続は楽しくないとできない、ていうか楽しいことを継続したらいいよっていうのが、坂口恭平理論なんですけど(どんだけ好きやねん笑)
多分みんな、自分が楽しいことに気づくことが難しくなってるから苦しいんだろうな。

電車なんか乗っていると、怖いくらいスマホゲーしている人ばっかりに見えて、内心ちょっとバカにしてるんだけど
まあ私も、まとめサイトは周回しちゃうし、YouTube shortをぼーっと見てしまっているんだよね。
あと最近虚無ったのは、ゼルダのティアキンを1年ぶりくらいに起動して祠潰しをして、3日目くらいで何やってんだこれ…ってなったんですよね。

私が本当に好きなことは何か、っていうと、多分工作。作ることなんだと思います。
今日子供の持ち物にたくさん名前を書かなきゃいけなくて、ダイソーにもひらがなのハンコ売ってなかったから自分で彫ってたら、とうちゃんは工作が好きだねえって子供にも言われたくらいですもん。間違いない

でこうしてちょこちょこ文章を打っているのも好きだし、あと最近地味に弾いてみた動画を作るのも好き。つくってあそぼ!なんだよなあ精神が…
なんでつくってあそぼ!が好きなのかは、もうちょっと深掘りしないとわかんないかも新ない。でも多分、そうだ、私は運動ができなくて取り柄のない人間だったんだけど、小学校の頃は版画で、中学校は油絵でそこそこ評価してもらって、それが嬉しかったのかもしれない。
もっと根源的には、何かを作ることで祖父母や両親が褒めてくれたから…
それでいうと人助けもそうなのかもしれない。要するに工作をして誰かに評価される、人助けをして誰かに評価される、こういうのを生きがいに持っている人間なんだと思う。

なんかそれだけ書くと、自分の評価を他者に任せているさもしい人間のような気がしてくる。うーん、でももっともっと根源的には私は家族に褒められることを欲していたから、もはや自己評価できるようになっている気もする。こういう状態が健全なのかはわからないけど、逆に他者に依存しない形で純粋に創作を楽しめる人っているのかな、いるのなら詳しく話を聞いてみたいと思ったりする。
(私の仮説では、多分幼少期の親からのポジティブフィードバックが自己機能化しているから、本当の本当は他人があって、その退化具合が、自律具合に紐作くのではないかとなんの根拠もなく推論する。つまり、退化、もしくは自己システム化が重要。だとしたら、それを促す因子は?)

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