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【大学生ヒッチハイク体験記#1】夏休みに初めてヒッチハイクをしてみた(東京→関西→東京)

自己紹介


はじめまして、トム蒼也と申します。

現在、都内の国公立大に通っている4年です。1年の夏休みに初めてヒッチハイクをしてから、長期休みには大体やるようになり、これまで東京から大阪・神戸・仙台・新潟・松本などを旅しました。
またこの夏には、岡山と山形への旅でやるつもりです。

計60人以上の方と出会い、信じられないような体験がたくさんあったので忘れないうちに記録したいと思い、noteを始めました。

初投稿の今回はその最初、2021年9月に3泊4日、行きは東京→滋賀、帰りは大阪→東京のルートで、初めてヒッチハイクをした旅のことについて書きます。

ヒッチハイクをすることになった経緯


9月中旬の夜、僕はサークルの合宿で伊豆諸島の神津島にいました。とんでもない絶景を見たり、海水浴をしたりして島生活を満喫し民宿でくつろいでいた時、大学の友達から電話がかかってきました。

「4日後に神戸で俺の尊敬してる人がキャンプやるんだけど、ヒッチハイクで行かない?」
「え、まあ、明日には東京帰ってくるしいいよ」
「まじ?おっけ!あとでまた連絡するわ」

尊敬している人やキャンプの詳細、1日や2日で神戸まで辿り着けるのかも全くわからないまま、暇だったのでOKしてしまい、2人で神戸を目指すことに。

ヒッチハイクについても、昔有吉さんがやってた動画を見た程度でほぼ知らず、正直今じゃ無理そうだし結局夜行バスになりそうだな、と思ってました。

また、実際にやってみて分かったのですが、大勢の赤の他人にアピールしまくることや車内での会話がすごく重要です。
しかし、それを分かっていたら、人見知りが多少あった当時の僕は断っていたでしょう。ヒッチハイクをよく知らなかったのが幸運でした。

スタート


神津島から東京に帰ってきて翌々日の11時過ぎに、世田谷区の用賀駅に集合。そこから徒歩約13分。
道中ではキャンプの詳細を聞けました。友人が入っている数百人規模の自然活動系コミュニティの代表(学生)が、神戸の村で古民家キャンプを開催するからそこを目指すと聞いてワクワク。

そして、用賀IC付近のローソン手前の歩道に到着。ここを出発地にした理由は

  • 下道からやるのは難易度が高いが直接SAに行くのは大変

  • 用賀ICは東名高速にすぐ繋がっていて、付近の道路も停車しやすく「ヒッチハイクの聖地」と呼ばれている

ことなどです。

謎に評価がめっちゃ低いローソン

スケッチブックには小刻みに有名な行き先を書くのが良いらしく、「海老名SA方面」と書きました。いきなり書くとミスるので、下書きしとくのがおすすめです。

そして正午手前、スケッチブックを掲げて2人とも人生初めてのヒッチハイクをスタート!

往路1台目:用賀IC(東京)→草津PA(滋賀)

やってみて10分程度で気付きました。「俺ら結構頭おかしいことしてるな」と。
聖地とはいえヒッチハイクをしている人は他におらず、歩道を行き交う沢山の人には変な目で見られる。ドライバーにはそもそも気づいてもらえてるのか、高速に乗る人がいるのかも不安になってくる。

加えて2021年はコロナ真っ只中、マスクはしていたが見知らぬ学生を乗せようなんて普通思わない。そんなことを話しつつ、スケッチブックを目立つように掲げ、ドライバーの目を見て1台1台丁寧にアピールしようと心がけました。

すると、驚いたりほほえんだりする反応を得られ始めて歓喜。途中、軽トラに乗ってる若い男性たちから笑われて明らかにストーリーも撮られてましたが、次第に好奇の目にも慣れ、むしろ楽しくなってきました。

そうしてひたすら立ち続けて1時間弱、突然目の前に、轟音とともに大型トラックが急停車。「まさか」と思ったらそのまさかでした。

ドライバーのおっちゃんが「海老名通るから乗ってきな」と。トラックの座席はすごく高かったので登って、1人は助手席、もう1人は座席後ろの荷物おきスペースに座らせてもらいました。
「本当にヒッチハイクで乗せてもらえるんだ、しかもトラックに」という衝撃と嬉しさを今でも覚えています。

行き先の話をするとなんと関西まで荷物を運ぶらしく、滋賀の草津PAというところまで乗せてもらえることに。幸運すぎて、「こんな簡単に行っちゃっていいのかな」と思いました。
しかも、仕事では東京と関西をずっと往復してるから「帰りも京都からだったら乗せられるけどどう?」とまさかのヒッチハイクで帰りの予約的なことができる状況に。流石に申し訳ないのと、色んな車に乗りたいというわがままな気持ちがあり、断りました。

そこから滋賀まで約7時間、大阪出身というおっちゃんから様々なことを聞けました。道中が暇なのと、眠気防止のためにヒッチハイカーをよく乗せており、連絡先のリストも持っていていつでも拾えるようにしているそうです。

ドライバーの仕事は相当過酷で、年末年始も休みがないからトラックのテレビでガキ使を見てるよという話は特に印象に残っています。
他にも、子どもが電車の運転手をやっていること、結婚のこと、荒れてた学生時代などの話を聞いて、途中休憩でコンビニに寄った時には、なんとおにぎりと飲み物を奢ってくださいました。どんだけ優しいんだろう。

さらに、トラックはドアとフロントのガラスが広く座席も高いので景色がめちゃくちゃよく見えます。富士山や静岡の海岸線は絶景でした。

助手席からの景色

また、ばかでかい車体をマニュアルで思うままに運転する姿は、免許をMTで取って難しさを痛感した自分からしたらまじでかっこよかったです。
ただ夜になって、おっちゃんが相当眠そうにしていて顔に自分でビンタしたり、僕らが話しかけたりすることで何とか起きてもらってた時は怖かったですが(笑)。

草津PA

そんなこんなで21時ごろ草津PAに到着。ヒッチハイクはもちろん大型トラックに乗るという貴重な体験をさせてくれたおっちゃんには本当に感謝しかありません。たくさんお礼を伝えて、達成感と感謝の気持ちとともに降り立ちました。

PAの隣の公園で野宿

キャンプが明日に迫る中、朝に参加者の1人が車で京都の駅から拾ってくれることになりひとまず行きのヒッチハイクはこれで終了。
といっても、近くにネカフェやホテルも移動手段もなく途方に暮れてたところ、幸い隣に大きな公園があったので、そこでSAで買ったカップ麺を食べてから野宿しよう!とノリで決定。

動画しかなくブレっブレですがここで就寝

芝の上にレジャーシートを敷き、2人で寝ました。野宿も人生初体験でしたが、気温も丁度良く自然の中で寝るのも気持ち良いな、と感じました。
ですが、睡眠中に襲われたら終わりだという謎の不安が生じたせいであまりよく眠れませんでした。

兵庫県三田市で古民家キャンプ

翌朝、滋賀の駅まで歩き、電車を使って京都の待ち合わせ場所に到着。三田市にある古民家に着くと、参加者は全部で7人、ほとんど関西の学生で、ヒッチハイクで東京から来たと言ったら驚かれました(笑)。

本題ではないので省略しますが、カレーづくり、リアルな竹を切っての流しそうめん、薪割り、瞑想、ヨガなどを初対面の学生達と楽しみ、とても充実した1泊2日のキャンプとなりました。

吹田SA

旅は3日目に突入、キャンプの帰りも駅まで車で送ってもらい、電車で大阪の南千里駅で降りてから吹田SAに徒歩で入りました。

復路1台目:吹田SA(大阪)→ 草津PA(滋賀)

下道と比べると、誰もが高速を使い自分たちも気づかれやすい位置でできるSAはまるでボーナスステージ。
とはいえ行きのような幸運はないだろうと思いながら、名古屋方面と書いたスケッチブックを掲げていると、いかついお父さんに声をかけられました。

「何時間ぐらいやってんの?」
「1時間ぐらいです」
「おー全然やん笑もっと頑張れ…いや冗談冗談乗せてってやるよ」

大阪でありそうな絡みかなと思ったら、本当に乗せてくれる方でした。車にはお婆さんや20代の息子さんなどご家族が乗っていて、見ず知らずの僕らに対してとても温かく、2歳ぐらいの赤ちゃんもいてめちゃめちゃ可愛いかったです。

草津PA上り

帰宅途中で滋賀を通るとのことで、再び草津PAで降ろしてもらえることに。短い時間だったので、職業やご家族の話、僕らの旅の話などをしているうちにあっという間に到着。
見た目は怖かったけど気さくで優しく、人は見た目で判断できないと本気で思いました。本当にありがとうございました。

復路2台目:草津PA→名古屋駅

時刻は夕方を過ぎ、早く滋賀を脱出しないとまた野宿することになる(笑)ため、人が沢山通るゴミ箱の近くで掲げ始めました。

30分ほど経つと1人の男性が名古屋まで行くと言ってくれて、約3時間のドライブが始まりました。
その方は趣味の自転車の長距離レース帰りで、車の上には自転車が積んでありました。出身はブラジルで、14歳から親の仕事の関係で日本に移住し、そのまま40代の現在まで住んでいるそうです。
そんな経歴に驚いていると、後部座席にいた友人は寝てしまっています。

それまで会話の大部分を彼に頼っていた僕は焦りが止まりません。
会話の無い車内は地獄で、乗せてもらってる以上自分から話さずドライバーを楽しませないのは絶対やってはいけない。

そこから頭をフル回転させてブラジルと日本の違いやサッカー、自転車、日本のクラブで遊んでた話、奥さんと子どもの話など様々なことをお聞きしました。本当にエピソードが豊富で、聞く力が乏しい僕にもかかわらずこの方のおかげでお互い楽しく過ごせたと思います。

また車内で、HIPHOP好きなら誰もが知る、今は亡き名古屋のレジェンドラッパーTOKONA−Xの「知らざあ言って聞かせやSHOW」がかかっていたので尋ねてみると、なんとTOKONA−Xは同級生だったといいます。個人的にこの旅最大の衝撃でした。
気になる方は↓のリンクに曲と解説が載ってるのでチェックしてみてください。

そして20時頃、多少家と離れているのにわざわざ名古屋駅まで送ってくださり、お礼を述べて別れようとした時「困ってる人に使ってあげて」と1万円札を渡してくれました。
乗せてもらうだけでありがたすぎるのにもう本当に意味がわかりません。「もしや僕らのことを試している…?」なんて失礼な妄想をして数回断りましたが、どうしてもということで受け取りました。

ありったけの感謝と1万円札を握りしめて名古屋駅周辺を散策し、お金は今晩の快活クラブの宿泊代と、「困ってる人に」と仰っていたので後に2人とも始めることとなるボランティア活動に使いました。

節約旅どころかお金を貰えるなんて思ってもみませんでしたが、当時所持金がほとんど無かった僕らにとって本当に助かり、2度目の野宿をせずに済んだのは最高でした。

復路3台目:東郷PA(愛知)→浜松SA(静岡)

快活クラブには1番安い8時間パックで入ったので朝5時半ごろに出発しましたが、昨日の出会いや名古屋に辿り着けた嬉しさでパワーがみなぎっていました。

名古屋駅から伏見駅を経由して黒笹駅で下車し、歩いて東郷PAに到着。時刻は7時過ぎ、「ワンチャン午前中に帰れるんじゃね?」なんて呑気な気分でいた僕らでしたが、ここが最大の難所でした。

東郷PAにてマジで頭を抱える僕ら

駅からアクセスできるのがここぐらいしか無かったのですが、多分マイナーなので小さく、車もあまり停まっていません。
出口付近で「静岡方面」と掲げても、通る車は2〜5分に1台程度。しかも名古屋ナンバーばかりで、東京はもちろん静岡にさえ行かず名古屋郊外に通勤する人がほとんどのような状況。

そのまま1時間、2時間、3時間が経ち、一向に乗せてもらえる兆しもありません。朝から水しか口にしておらず、暑さも増してくる中で「電車で帰る」という選択肢が頭をよぎりました。
それでも出口を通る1台1台に会釈をしていたら、「ごめんね」や「頑張って」といった反応をしてくださるドライバーの方がたまにいて、本当に力をもらいました。

「せめて午前中はやりきろう」そう思って続けた30分後、静岡ナンバーの車が目の前を通り過ぎたと思ったら停車。「静岡と書いてあるのを見て体が勝手に動いちゃった」という50代のお父さんに乗せていただけることになり、リアルに「神だ」(語彙力)と感じるほど嬉しかったです。
仕事で静岡に向かう途中で、いつも高速を使って通勤していると仰っていました。また、6人のお子さんがいると聞いてめちゃくちゃびっくり。家庭や子育ての話を沢山聞くことができました。

静岡の浜松SA

昼前に浜松で降ろしていただき、絶望的な状況から救ってくれた感謝を最大限伝えて別れました。

復路4台目:浜松SA→駿河湾沼津SA(静岡)

浜松SAは駐車場がかなり広く、さっきの東郷と比べると断然やりやすかったです。「東京方面」と書いたスケッチブックを掲げて30分後、30代の女性に声をかけられ沼津まで乗せてくださることに。

1人で日本各地を車で旅しているらしく、すごく自由そうで憧れました。今日も旅の帰りで、僕らを乗せてくれたのは「なんか可哀想だったから」と笑って話してくれました。
恋愛経験が豊富というその方に、彼女との関係が危うくなっている友人が恋愛相談をしていて、その会話が面白くずっと笑って聞いていました。

駿河湾沼津SA

1時間半で駿河湾沼津SAに到着。別れ際に応援の言葉をもらい、本当に元気づけられました。

復路5台目:駿河湾沼津SA→板橋(東京)

静岡の右端まで来たらもうゴールは目前という気持ちです。名前にある通り駿河湾の眺めが最高で、景色を楽しんだり昼ご飯を食べてゆっくりしたりして、14時頃にヒッチハイク開始。

出口付近で立てるところは車との距離がありすぎたので、屋台が連なり人が沢山いる場所に移動。大勢の人に見られ久しぶりに恥ずかしさを覚えましたが、30分ほどで1人の男性に「東京まで乗ってく?時間ないから今すぐ乗れるなら良いよ」と声をかけてもらえました。

40代のその方は葬儀屋の社長をしているといいます。九州出身で上京してから会社を始め、主に亡くなった方の死体を回収し葬儀場や警察に引き渡す業務をしていて「亡くなった時の姿」を最初に見るため、自殺などでショッキングな光景を目にすることも多いそうです。
さらにその仕事を始めてから怪奇現象も頻発するようになったらしく、霊感のない自分にとってはすごく新鮮なお話でした。

そうして神奈川県に入ると、友人の家が近づいてきたので高速バスのバス停で停車してくださり別れました。本当にノリでこの旅に誘ってくれた彼には感謝しかありません。
僕はそこから首都高を経て板橋で降ろしてもらいました。何度もお礼を言って、車が見えなくなるまで頭を下げました。

ついに3泊4日、人生初のヒッチハイク旅が無事終了。
板橋に降りてから歩き始めた瞬間に覚えた、普通の観光では味わえない「どこか異世界に行ってたような感覚」と「心からの莫大な感謝」は今でも忘れません。

エピローグ

結局、自宅と関西往復の交通費は2千円以下で済みました。そして、初めてのヒッチハイクでは様々な発見があった中で、特に以下2つのことを感じました。

①人間の面白さと優しさ

どんな方も深掘りしていくと、自分では想像もつかない体験や経歴があり、オリジナルのストーリーを持っていることを身にしみて感じました。
優しさに関しては言うまでもなく、感謝してもしきれません。この旅を通して、僕も少しでも他人に優しく寛容な人間になろうと本気で思いました。

②自分の小ささ

ヒッチハイクは究極の他力本願で、他人がいないとどうすることもできません。お金や移動手段も持たない僕たちはこんなにも無力なのかとスケッチブックを掲げている最中に感じました。
それをきっかけに、日常でも家族や友人がいないと生きていけないなと今更気づき、僕個人という存在の弱さや小ささを自覚しました。

今後もこれ以降のヒッチハイク体験記やスタート地点の選び方などヒッチハイクに関する記事を書いていくつもりです。第2弾はこちら↓

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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