第304回、ウィッシュの作品的な有用性を論じてみた
自分はこれまで、ディズニー映画のウィッシュを、しつこい位に散々非難をして来ましたが、最近は一周回って、この作品を好きになり始めています。
もちろん、アーシャが好きになれない事は、今でも変わりありません。
しかし主人公が好きになれない事と、作品の評価自体は、必ずしも一致をしないのです。
例えば自分は、進撃の巨人の主人公のエレン・イエーガーの事は、性格的にあまり好きではないのですが、作品自体は、どても気に入ってます。
例え主人公の考えが間違えていて、とんでもない結果を招く事になろうともそれで作品自体が、嫌いな訳にはならないのです。
そして作品を見終えた後に、正義とは何か?正しさとは何か?等の、様々な事を考えるのは、とても有意義な事であり、本作のウィッシュも、見終えた後、主人公の考えは正しかったのか?国王の考えはいけない事だったのか?この作品の何がいけなかったのか?どうすればよくなっていたのか?という事を考えるのは、とても意義のある事だと思うのです。
つまり本作は、図らずも作品の出来の悪さが、観客に様々な事を考えさせるよい題材となっているのです。
それでは出来の悪い作品ならば、全てがそうした題材になるのかというと、決してそういう訳ではないのだと思います。
作品自体に、観客に考えさせるだけの意義のある要素が含まれていなければこうした論議にはならないからです。
ウィッシュは「個人の夢」と「公共的な福祉社会」という、どちらも大切ないわばヴィランなき正しい価値観同士の衝突が描かれおり、どちらが敗北をしても、論議を生む事は必然だったのです。
何よりも夢を大切にするディズニーが、個人の夢の大切さを描くのは、当然の事なのですが、今回論議を呼んだのは、主人公の自分の主義主張の為なら手段を択ばない所や、自分の生き方を主張するだけではなく、他人の生き方を否定する所に、個人の夢を重視していながら、その実、価値観の多様性に合っていなかったのではないかと思われます。
意識高い系の人が、普通に生きる多くの人達に嫌煙されるのと同じ事です。
そして今作で何よりも秀逸だったのは、ヴィラン側に設定されている国王が、どう見ても理想的な人物、理想的な社会に描かれている事にあります。
そもそも国王に擁護のできる点がない、暴君的な専制君主制国家であれば、
この作品は、何の非難もされる事がなかったのですが、何を考えてなのか、ディズニーは、多くの観客に、マグニフィコ王の方が正しいと思わせる程、ヴィラン側の国王を、理想的な人物、社会に描いてしまっているのです。
唯一の問題点は、魔法で国民の夢を預かり、それを忘れさせる事なのですがつまりこの行為を、理想社会実現の為には不可欠な、正しい事と思うのか?正しくはないが、まあしょうがないかなと思うのか?正しくもしょうがなくもないが、問題点はそこだけなので、それで他の功績を無視して、鏡の中に幽閉するのって酷すぎるのではないか?等の、様々な論議を与えるきっかけとなっているのです。
主人公のアーシャとマグニフィコ王のどちらも、正しい面と問題点があり、それ故に、この映画を見た人が、こんなにも論議を行い続けているのです。
多くの人達の望んだ結末が、アーシャとマグニフィコ王が共に相手の主張を理解し合い、国を新たなステージへと昇華させる事だったのですが、個人の夢を絶対的正義とする価値観の勝利という結末に、どちらかだけが正しくてどちらかの思想は間違えているという、二択思想に嫌気をさしていた観客が不満の意思を示したのではないかと思います。
しかし自分は最近、こう思っているのです。
この作品は本当に、ディズニーの思想の至らなさが起こしてしまった、駄作作品だったのだろうかと。
もしかしたら、こうした論議を引き起こす様にあえて作られていた、意図的な問題提議作品だったのではないのだろうかと。
まあ本当にただの駄作だったのかも知れませんが、ついそう思ってしまう程この作品は、様々な事を考える、よい題材になっているのだと思います。
ちなみにアーシャを否定するスタンスを崩さない自分ですが、この作品で、別にアーシャを正しいと思っている人を、否定する訳ではありません。
自分はどちらかと言えば、アーシャ側の価値観を持った人間ですし、何より自分の夢を叶えたり、社会を変える為には、アーシャくらい激しい思い込みがなければ、実現できないと思うからです。
自分の夢を叶える為には、人に非難されたり、嫌われたり、奇人狂人扱いをされるくらいの、行き過ぎた強靭な精神力が必要であり、そういう意味ではアーシャもマグニフィコ王も、どちらも自分の願いを実現する為に必要な、大切な要素を持っていたのだと思います。
かのスティーブ・ジョブズが行った、自身の出身大学の卒業式のスピーチはこんな言葉で締めくくられているそうです。
「ハングリーであれ、愚かであれ」
夢を叶える為には、時に愚かなくらいに、自分の思いに妄信的である必要があるのかもしれません。
※ネットによると、この言葉は「ホールアースカタログ」という、1968年に創刊、1974年に廃刊した雑誌の最終号からの引用らしいです。
ちなみに自分は、スティーブ・ジョブズの熱烈なファンでありながら、彼の開発した、アップル製品を一つも持っていない変人です。