25. 「日本語教師」は、「誰でもなれる」けど「誰にでもできる仕事」じゃない
私は「日本語教師」を生業にしています。
対面とオンライン、どちらでもしていますが、学校ではもう教えていません。
フリーランスです。
仕事とプライベートのバランスも収入も、まずまずなものだと思います。
ここまで来るのは長かったけれど、私は恵まれていると思います。
でも最近、「日本語教師」はすぐになれて、それなりに稼げる副業だ・・・みたいな情報がこのNoteにも載っていたりしてますねえ?
「すぐにできるだって?舐めるなよ」・・・なのです。
私は自分がクライエントに提供しているレッスンが、誰にでもできるものだとは思っていません。
毎日が勉強です。
必要なのは日本語がペラペラであることだけではないし、日本語の文法的知識だけでもありません。新しい教科書がでれば、すぐに本屋に走って内容の確認、分析をする・・・だけでも足りません。
発音や他の言語との対比、第二言語習得や心理学などの知見を常にアップデートし、クライエントの興味に沿って政治や経済、日本の伝統/現代文化、宗教、流行などなどに広くアンテナを張り続けることも必要です。
クライエントが大学院に入りたいというなら、その専門分野について、少なくとも基本的な知識を頭の中にたたき込んでレッスンに臨みます。院試には小論文問題がありますからね。ですから、その分野の内容を自分が理解できない場合、レッスン依頼をいただいてもお断りします。
私のクライエントは英語話者なので、日本語で日本語を理解することにまだ困難がある場合は、英語で説明するのも当然のことです。・・・もちろん、英語も長年勉強しましたさ。完璧ではないですし、今も勉強中ですけど。
クライエントが必要とする日本語の知識と、それを定着させるためのドリル等々を限られた時間内に提供し、クライエントが掲げた目標に期日までに到達させることが、どれだけ大変なことか。…今は大して苦もなくできるようになりましたが。
そもそも日本語教師は、求められている基本的な資質・能力が明確化されています。平成30年に文化審議会国語分科会が出した「日本語教育人材の要請・研修のあり方について」という報告書に書かれています。
ちょっと書き出してみましょう。
まず、日本語教育人材に共通して求められる基本的な資質・能力として、
日本語を正確に理解し的確に運用できる能力を持っていること。
多様な言語・文化・社会的背景を持つ学習者と接する上で、文化的多様性を理解し尊重する態度を持っていること。
コミュニケーションを通じてコミュニケーションを学ぶという日本語教育の特性を理解していること。
でもって、専門家としての日本語教師に求められる能力として
言語教育者として必要とされる学習者に対する実践的なコミュニケーション能力を有していること。
日本語だけでなく多様な言語や文化に対して、深い関心と鋭い感覚を有していること。
国際的な活動を行う教育者として、グローバルな視野を持ち、豊かな教養と人間性を備えていること。
日本語教育に関する専門性とその社会的意義についての自覚と情熱を有し、常に学び続ける態度を有していること。
日本語教育を通した人間の成長と発達に対する深い理解と関心を有していること。
どんな仕事でも、向き・不向きというのはあると思います。私は日本語教師としてまだまだですが、ありがたいことに私はこれら資質・能力を得るための努力をすることが苦ではありません。これからも自分なりに努力し続けるつもりです。
少なくともこれら資質・能力を有すべく、常に努力し続けられる気合いと根性がある人、そして日本語を教えることが楽しいと思える人に、私は仲間になってほしいと思うのです。