アナタが葬式で流したい音楽は何ですか?

これは私独自の死生観であります。
最初に断っておきますが、これは私の考えであって、その考えを押し付けるといった意味は全く持ってありませんのであらかじめご了承下さい。

突然ですが仮にもし明日、アナタが亡くなるとしたら遺族に葬式で出棺の際に音楽を流せられるとします。

さて、自由に流せますと言われればどんな音楽を流して自分は逝きたいでしょうか?(不謹慎で申し訳ないですが)

私はクラシック音楽系です。

ですがクラシック音楽=冠婚葬祭ではメジャーなものと言う考えは捨てて、亡くなられたご本人の生前の思い出とその人の生き方や独自の哲学を反映させて考えてみるのです。

例えば「○○さんの生き方を見ていく上で青年期はまさに激動の人生だったが晩年は静かになっていった」のならば序盤はテンポが上がって、終盤に落ち着いた曲調になる曲…例えばと言ってもそう簡単には出て来ませんでした。ごめんなさい。

でも、遺族での予め亡くなった方から好きな曲を聞き出していれば本人様も喜ばれると思われます。

私の場合ですと、ドヴォルザークの「新世界」より4楽章の壮大な音楽の中送られると言うのが私の理想な死生観ですが、同じ作品ですと2楽章の「家路」も送られやすいのかなと考えています。

ちなみに私の祖母の葬儀の際には無難なベートーヴェン「悲愴」でお見送りさせていただきました。あの青い曲(悲愴は私の頭脳の中では青のイメージがあります)の曲調は人生最期の時が来た時に聴くのにイメージピッタリな様に思えます。

真っ赤な空を眺めながら「こんな人生も悪くなかったのかもな」と思いながら静かに長い長い眠りにつく…。

私がクラシックへと繋げている感性はほぼそれと同じと言って過言ではありません。

人生の失敗や過ちも、喜びも現実面では自分の背後で音楽なんか流れていなくても私の世界ではその音楽たちが常に新しいストーリーや幕と共に再生されるのです。

自分の終わり…それは自分だけではなく、自分が出会ってきた人や物とお別れをするイベントと言うものはとても悲しいものです。
まだ私は死んだ事が無く、実感なんて沸かない。けれども、祖父母の死に様を見てから死ぬのが怖い…。
まだ20代のペーペーが何が怖いのだと思われるかもしれないが亡くなった人の肌は恐ろしく温度が感じられない…それはそう、亡くなっているのだから。けれども、非日常がいつかやって来ると思うと何か他の事を考えていないとやっていられません。

だから絵を描くのかと言われるとそうではない。
けれども、自分を表すには芸術・絵画がピッタリと知っていますからそれを死ぬまで貫き通すのだ。

絵は自身のかけがえのない子供と等しい存在であり、金儲けの道具にはしない。あくまでその人を表す命として展覧会に出しているのだ。

それが私のポリシーであるのです。

その生き方をドヴォルザークの新世界より4楽章に乗せて〜♪生きます。