自産自昇自讃自勝
自分で
産んで
自分で
昇華
自分で
讃えりゃ
自分しか
勝たん
noteをはじめたのは、アウトプットの練習のためだった。日々考えていることを言語化していくこと。これに関しては時間の制約を大きく受けつつも達成している。クオリティは……おいとこう。
noteは多彩で多才な方が際限なくいる。ベースとして文章は書ける方たちでいて、そこにプラスして
・絵が描けたり
・曲が作れたり
・良質なエッセイを量産したり
・小説をかけたり
・発想が独特だったり
・独特過ぎてぶっとんでいたり
挙げればキリがないほどスゴイ人たちがいる。
私の目的を果たすことにとっては、これらはあくまでプラス要素であり、必ずしも必要ではない。私はPV数やスキの数を上げたいなどはそこまで考えていないので、そういった面でもプラス要素は無くて良いものだ。
だが、私は私の書く文章が好きだ。この言葉たちに何かもう少ししてあげたい気持ちにもなってくる。そう考えて、見出し画像くらいは自分で作ってやろうと思い、いつからか自作するようになった。デザインセンスは無いが、自分では割と気に入っている。
それでも足りなかった。
自分が産み出した言葉たちをもっと昇華させたくなった。
そう考えた時に、自分の好きな言葉と自分の好きな”何か”を組み合わせればもっと好きになるじゃん? いい感じになるじゃん? と思ったわけだ。
私は自分の声が好きだ。良い声をしている。
このコラボレーション。これは強い。推せる。自分しか勝たん。
というわけで、過去にあげた作品を朗読していこうと思っている。朗読といっていいレベルかは不明なのだが。
それでも一つ言えることは、文章という限られた表現から音にするという表現を加えると、その幅が大きく拡がるということ。
句読点や改行の間のとり方、イントネーションや感情の込め具合など、変化をつけられる要素が文章よりも多くその表情は無限だ。読むことを前提にした文章作りというのも、やり甲斐があるかもしれない。
一点注意しておきたいことがある。
自分の作品を朗読するということは、ある意味で私がこう読んで感じてほしいということの主張になる。しかし、読者が文章から感じるイメージは異なるはずで、それを否定するつもりは毛頭ない。むしろ、異なった解釈を楽しんでもらいたいという思いもある。だから、押し付けにはならないようにしようと思う。
録音は記事の作成よりもタイミングが合わないと出来ないため思うように進まないと思うが、自分が楽しめる範囲でやっていきたいなと思う。
恥ずかしくやめるかもしれないけど。(時すでに遅し、か。)
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