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知ること変わることその身に刻むこと

知らなければよかった。
知りたくなかった。
こんなことが言えるのは知ったからこそだ。

変わらなければよかった。
変わりたくなかった。
こんなことが言えるのも変わったからこそだ。


生きることとは何かを経験していくことだ。
知らないではいられない。
変わらないではいられない。
そして、忘れないではいられない。

出会い、記憶し、影響を受け、別れて、追憶し、やがて忘却する。

出会いと別れは避けられない。私達は出逢えた偶然に感謝し、必然の別れとそこに伴う感情を胸に抱えていく。記憶を引き出しに仕舞い、時折それを取り出しながら。その引き出しは取り出すことをやめてしまうと、潤滑油が切れたかのように途端に開かなくなってしまう。

過去を背にして等速で進み続ける私達は、遥か彼方からゆっくりと崩れていく過去にやがて追いつかれてしまうだろう。その過程で、開かなくなった引き出しは中身ごと忘却という闇に落ちていく。

大切なものだけを抱えて、最期のその時まで忘れずに持っていきたい。引き出しから取り出して、涙の重さを加えながら手垢まみれにしてでも持っていきたい。そう思うのはきっと普通なことだ。


知りたくなかった。
変わりたくなかった。
後悔の記憶で手を塞いでいては、大切なものを持っていけない。

だから、記憶から影響を受けた部分だけを、「知ったこと」「変わったこと」だけを、その身に刻んでいこう。記憶は忘却の闇に捨ててしまってもいい。記憶がなければ追憶も出来ない。もう涙はいらない。その身に刻んだ想いは、その身が朽ちるまで持っていける。


出逢えなかった可能性なんて考えたくない。
知らないではいられなかった。
変わらないではいられなかった。
別れないではいられない、だろう。
思い出さないではいられない、はずだ。
忘れないではいられない、だろう。
忘れて欲しいなんて言えるわけない。
でも、あなたの手を塞ぎたくはない。
だから、その身に刻んでくれないか。
私の名を刻んではくれないか。
あなたは私の、私はあなたの。
忘れたくないなら、
忘れられないなら、
その身に刻んでくれないか。
誰かがあなたの名を呼べば、
あなたは私を思い出す。
誰かにあなたが名乗るなら、
あなたは私を思い出す。

私は私の最期の時にも、
あなたを思い出すために、
私の名を呼ぶ誰かを見つける。
あなたはあなたの最期の時にも、
私を思い出すために、
あなたの名を呼ぶ誰かを見つけるだろう。
見つけてくれるだろう?

ああ、それはきっと不幸じゃない。


互いの名を刻み合うこと。それは、二人だけの秘密を作ることと言っていいのかもしれない。

理解を超えた先にある――“逃げ”の選択ではない――ひとつになりたいという想い。それは叶うことがないからこそ、強くなる。


映画感想文『君の名前で僕を呼んで』


映画を観て(直接関係はないけど同時期に耳にした)音楽を聴いて、その影響を受けつつ随筆を書いていたら映画の要素を混ぜたくなってしまって出来上がったのが上の文章です。書ききった感があるので、以下は映画の好きなシーンの紹介程度にとどめておこうと思います。


私はオリヴァー視点で物語を見ていた気がします。彼の言動にとても共感できるのです。自分で書いていてなんですが、上の文章もオリヴァーからのエリオへの手紙のような内容にも見えます。


特に好きなオリヴァーのシーンは、
エリオが“使った”アプリコットを食べようとするシーンと、エリオを“元気づける”ためにオリヴァーがしゃがみこんだシーンと、最初は距離を置こうとしていたと打ち明けるシーン。
どのシーンも、エリオにとっては驚くような言動であってもオリヴァーはなんてことはないし重要なことではない、と考えているであろう内心とのギャップがたまらない。
(エリオは彼女とはなんの抵抗もなく、いやむしろ乗り気で絡んでいる点も対比になっていて秀逸。そこに愛があるかはまた別問題として。)

エリオパートの好きなシーンは、エリオが彼女と別れて「死ぬまで友達」と言われて差し出された手を躊躇しながらも握り返すシーン。「彼女」とか「友達」とかいうラベルを、そこにあるはずの感情を置き去りにしたまま簡単に貼って剥がして、しかも「死ぬまで」と軽々しく言えてしまう(その関係性の価値とは?)。オリヴァーとの名前を呼び合うシーンとのコントラストが鮮明になってとても大事なシーンでした。


時代背景、夏季休暇中という期間限定の非日常、熟れはじめて妖艶な香りを放つ“果実達”、(設定上での)背徳的な行為、知性も理性も持ち合わせた二人、自由と束縛と、無限と有限と、無形と有形と、幾重にも折り重なる葛藤の表現は、エリオとオリヴァーでないとダメだった気がします。だからこそ“二人だから”がハッキリしているシーンは惹き込まれたし、上手く表現されていると感じました。異性間ではきっと表現しきれなかったと思います(実際、エリオと彼女との絡みシーンは私の目には官能的には映りませんでした)。

それに、オリヴァーが帰った後のエリオとお父さんの会話は、「情」やら「愛」についての本質に迫る言葉の数々で、そこに説得力が増すのはこの設定あってこそだったと思います。


この物語は万人向けではないでしょう。でも、タイトルの意味を考えるところまでは、誰しもに共通する(共通してほしい)感情なのではないか、と思ったりもします。

エリオは映画のラストシーン以降、もうオリヴァーを想って泣くことはないのだろうなと思いました。
って原作は続編あるのかー、まあ私の中ではキレイに終わったのでこれでいいかな。


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