愉快にいきたい3人の溜まり場
非凡であることに憧れている。 平凡ではない何かになりたい。 思考から溢れ出た言葉が知らぬ間に辺りを揺さぶって密かな衝撃として人に記憶されるような面白さと感性がほしい。 必ずしも「非凡」でなくたっていいけれど、紋切り型の表現ばかりが口をついて出る私にとって非凡の輝きは遠くのものでありながら身近に在るわかりやすい星だから、「非凡」を自分の対角線の頂点に置いて眺めている。 平行線ではなく対角線を描くのは、平凡ではない何かになることを未だ諦められずにいるからだ。いい加減自分が平凡で
薄氷、言葉の群れから遊離して一ヶ月ほど私の前にある。ほどほどに鬱陶しいが、「新年あけましておめでとう」になんの温度も込められなかった人間だからとくに抗うこともしないし、むしろ認めて受け入れていく。些細な音に揺さぶられ、少しでもヒビが入れば割れて沈む、脆い冷たさの上に私は立っている。 この目で見ている世の中では、ゆっくり生きる、ということがまるで許されていないみたいに難しい。問診票に年齢を書くとき、「元気?」とだけ声をかけてくれる親戚の笑みを見たとき、そこに鋭さや柔らかさは関
8月、私は東京の街に花束を抱えて立っていた。 絶え間なく響く蝉の音に、何度も引き直したアイラインが滲む。行き交う人々の楽しげな声は、私の形に馴染むことなく通り過ぎていく。 ここに来るまで、長い時間車に揺られながら左から右へ流れる景色を遠く見つめて、まるで小旅行だった道中、私の心は静かに影のところを歩いていた。 腕の中で竜胆が涼やかに咲く。 後悔と呼ぶほど明瞭なものでもない、もし流行り病がなければ、もしもう一度会えていたならと、考えても仕方のない想いがぐらり、ゆらり、揺蕩う
慣れた布団に包まれて、夜明けを待つ。 今夜の心臓は、まるで私の身体に溶け込むのを拒むように、ひときわ高く輝いて、深く沈んで、生きている実感というより、漠然とした不安を生成している。 眠りにつく行為とひどく相性の悪いその感情が、私の味方であるはずもなく、瞼を閉じるたびに蠢き、忘れないでと叫ぶ。 モラトリアムの終わり、立ちすくむ日々のうちに失った瞬きを、どうか――。 おかげで、耳に流す音楽も救いになる前に捻れて消えた、打つ手なし。 せめて心臓が一等星ならよかった、とか馬鹿な
色素の薄い空を縁取った窓と向かい合わせに座り、半分閉まったカーテンもそのままで炬燵に足を突っ込む。 「じゃあ、行ってくるねー」 「いってらっしゃーい、気をつけてねー」 朝8時には誰もいなくなる正方形の空間で、私はひとり息をする。 立派なオアシス、私がこの空間の主になった途端に、太文字のカレンダーも針をコツコツ動かす時計も意味を無くして溶けていく。代わりに意味を成すのは、壁の柱に連ねて掛けてある5枚のワイシャツである。父のアイロン掛けしたワイシャツが、平日一日1枚、規則正しく
なんでもない秋の日、風呂場の隅に丸っこい影を見つけた。4本の脚を大きく広げ、黒い目を忙しなく動かしながら壁のタイルにぺたりと張り付いている黄緑色。 「え、カエルじゃん」 私が近づくと、素早くタイルを3歩ほど登って足を止め、短く瞬きをした。逃げ回ると思ったのに、案外落ち着いている。 目立つ色の身体は乾いた土で汚れていた。風呂場の窓も扉も締めていたはずなのに、君は一体どこから来たの。独りで紛れ込んでしまって、帰る算段はあるのだろうかと暫く見守っていたが、カエルはちっとも動かない
私は、何も持っていなかった。 正確にはスマホとシャーペン、お気に入りの厚切りホワイトチョコラスクと星になり損なったらしい石ころをひとつ。なんだ、暇をやり過ごすには十分そうに見える。 けれど、私の頭は絶え間なく湧き出る不安と焦りに振り回されていて、身体はいつだって暇を持て余しているのに思考ばかりがぬるい長距離走を繰り返す。息を吸っても吸っても酸素の海に溺れていくあの絶望感が嫌いだ。あまりに苦手なので、長距離走が定番になる冬の体育をいっそサボってしまえと保健室へ逃げ込