#16.薄氷
薄氷、言葉の群れから遊離して一ヶ月ほど私の前にある。ほどほどに鬱陶しいが、「新年あけましておめでとう」になんの温度も込められなかった人間だからとくに抗うこともしないし、むしろ認めて受け入れていく。些細な音に揺さぶられ、少しでもヒビが入れば割れて沈む、脆い冷たさの上に私は立っている。
この目で見ている世の中では、ゆっくり生きる、ということがまるで許されていないみたいに難しい。問診票に年齢を書くとき、「元気?」とだけ声をかけてくれる親戚の笑みを見たとき、そこに鋭さや柔らかさは関係ない。残雪だって白のち灰色、結局、どれをとっても世間から落ちこぼれた事実と惨めさが手のひらに残って消えない。
足元の薄氷を割らないよう日々の美しさに目を瞑り、現状維持が大切だよねと笑いあう。笑って澄んだ空を見て、そのど真ん中に人生丸ごと投げ放ったらどうなるか想像したのは一度や二度ではない。
けれど、私が未だ確かに息をしているのは、綻び始めた梅の蕾のあたたかさを喜びたいからで、また会いに行きたい人たちがいるからで、それだけの欲があるうちは多分、私は私を生かすのだろうと、ぼんやり思う。後悔のないように、なんて生き方は到底目指せない不出来な命でも、まだ使いようはあるのだと。
薄氷が割れて沈んだとしても、春が来たのならそれでいい。
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