孤立せずにいられる気仙沼市を目指して|ぬま大学第10期最終報告会の発表記録
ぬま大学第10期最終報告会が無事に終了し、一区切りがついた。思えば遠くまで来たものだ、と思う程の移動も行動もできていないのでそんなことは思わないが、昨年の今頃たまたま出張帰りに訪れたスクエアシップで、会場準備をしていた方(waka.hirata:Instagram)から紹介頂いて知ったぬま大学の最終報告会の舞台に自分が立つとは当時思わなかったので感慨深いものがある。
なお、第10期最終報告会の前日のリハーサル前、やはりたまたま出会ったwaka.hirata氏と同様の話をした。たまたま始まった物語の終わりに同じたまたまが訪れた巡り合わせに、人生の趣深さを感じるばかりである。さておき、ぬま大学第10期最終報告会の様子は先日伝えた通りである。
当日、発表者に与えられた時間は7分だった。ところが筆者は、この7分で発表を終えられる気がしなかった。それは筆者の未熟さによるもので、また練習不足によるものである。そもそも人前で話すという行為が全くできない質(たち)なので、スライド(台本)自体は5分程度の内容にしたものの全てを話そうとしたら7分に収められないと考えていた。
そのため、禁じ手に出た。当日会場を訪れた人々は知っての通りだが、発表の冒頭において「すべてを説明できないので、後日noteに書く。それを読んで欲しい」と宣言したのである。決してnoteの宣伝をしたかったわけでない。そもそもぬま大学第10期最終報告会以降に増えたフォロワーはぬま大生1人だ。宣伝したとして、効果が出ると思っていない。
そんなわけで、今回のnoteは、ぬま大学第10期最終報告会において、筆者が”本来”発表しようとした内容について書く。また、せっかくなので発表した内容の補足や制作過程・没案などについても掲載する。発表自体は概ね真面目にしたが、本noteについてはラフに書くので、発表を聴いて抱いていた印象が変わったら申し訳ない。
ぬま大学第10期最終報告会|発表台本
「初めまして。私は気仙沼市外に住んでいる、呼吸するように記事を書いているハゲです」
「昨年、ぬま大学の最終報告会を訪れた際に、ぬま大学OBと出会い、彼女が取り組んでいるnihongo cafe、そしてその取り組みが行われているアジアカフェに参加し、外国人や大学生など様々な人々と出会いました」
「それからくるくる喫茶うつみで行われるイベントやEnglish Cafeなどの様々なイベントに参加し、数多くの出会いを経験しました。気仙沼市は、訪れる度に多彩(多才)な人々に出会えて、多くの刺激を受けられます。そんな出会いの交差点が豊富にある気仙沼市に惹かれ、気仙沼市で活動するようになりました」
「そんな気仙沼市で、私が取り組んだテーマは『孤立』です」
「孤立は、ざっくり大きく分けて物理的孤立と社会的孤立の2種類があります。物理的孤立とは、周囲に人がいない状態です。社会的孤立とは、社会との接点がない状態です」
「たとえば、気仙沼市の人口密度はこの先20年で半減すると言われています。東京ディズニーリゾートの広さに100人くらいしかいなくなる計算です。
恐らくですが、人とのすれ違いさえままならなくなりますし、近所に住んでいる人がいなくなります。まさに近所が遠くなる状態です」
「今なら『助けてください』と声を上げたら、近所の人が助けてくれるかもしれません。しかし20年後の気仙沼市では気付いてさえもらえなくなるかもしれません」
「このように、そもそも近所が遠くなって人がいなくなる状態が物理的孤立です」
「次に社会的孤立です。社会的孤立とは、社会から断絶された状態です」
「私は10年前にうまく声を出せなくなり、人とのコミュニケーションを取れなくなりました。その影響で社会や人との接点を失い、社会的孤立状態に陥っています。自分が生きている意味を感じられず、毎朝起きる度に、死んでいないことに絶望し、狂いそうになる毎日を過ごしていました。その苦しさは、今でも鮮明に思い出せます」
「だからこそ私は、同じような経験を誰一人としてせずに済む世界であるべきだと感じています」
「そんな私は、マイプロジェクトとして、孤立化する人を減らすべく、人と人との接点を作るための活動に取り組みました。日常の利便性を上げるための交流会などです。しかし、結果としてあまり上手く行ったとは言えません。そもそも人を集められなかったり、何より取り組み自体の数を増やせませんでした」
「一方、活動する中で、人口が減っていく町を前に、将来の孤立に不安を感じている人が多いことを知りました。また、そもそも既に孤立状態になっている人は、イベントのような表舞台に足を運びにくい問題も感じました」
「そこで私は、今後2つの取り組みを行いたいと考えます。まず、対面イベントの実施を継続すること。そして、オンラインで誰もが相談できる仕組みを作ることです」
「孤立化しやすい層の人々に対して、対面とオンラインの両面からつながり作りをすることで、誰一人取り残さず、孤立状態になる人を減らしていこうと考えます」
「対面イベントに関する取り組みでは、イベントを通じて参加者同士の交流を促し、対面でのつながりを創ることで、物理的な孤立状態に置かれる人を減らしたいと考えます。一回や二回ではあまり効果を望めないでしょう。生み出せる人とのつながりも限定的になります。だからなるべく継続的に何度もやって、つながれる機会をより多くの人々に届けられるようにしていきたいと思います。具体的には、気仙沼市で暮らす外国人と交流できる機会やお年寄りと交流できる機会を創っていこうと思います」
「また、オンラインを通じて、誰もが助けを求めたり、協力を募ったりできる仕組みを作りたいと考えています。たとえば、「気仙沼の掲示板」というものを作りました。これは匿名で利用できる掲示板です。自分の悩みや困りごとを投稿すれば、誰かが相談に乗ってくれる。そんな仕組みをイメージしています。面と向かって相談したり、助けて欲しいと声を上げるのが得意でない人々が利用し、社会的孤立状態にならないようにしたいです。私自身、社会的に孤立していた時期にSNSやオンラインでのつながりに救われました。私のようにオンラインを通じて救われる人を増やしたいです。
「オンラインと対面イベント。この二つのアプローチにより、高齢者や外国人、移住者、中々他人に相談できない人など、誰もが孤立せず、多様な人々と支え合える環境を気仙沼市で実現したいと考えています。ご静聴ありがとうございました。
ぬま大学第10期最終報告会|発表内容・発表資料に関する解説や補足や感想
6ヶ月間にわたる取り組みの集大成として、不満のない内容にはできたと思う一方で、実のところ自己評価は高くなく、だからこそ聴いてくださった方々から頂いたコメント(付箋)を読みながら、第三者評価の高さとの乖離を感じ悩みつつ、同時に感謝の念を抱いている。
現実問題として、今後具体的に何をやるか明確には決まっておらず(ワールドパーティーに関する活動や来年も八日町夜市のようなイベントをやれたら良いとは思っているし、何らかの相談会や勉強会などもできたら良いとは思っている)、孤立防止や孤立解消の文脈で何が必要なのか考えあぐねているのが実情である。
「気仙沼の掲示板」のしたところで、運営面の課題はあるし、そもそも現在利用しているサークルスクエアを継続するか既に悩ましく思っている。サークルスクエアの利用については当初から利用し難さなどの課題感を抱いており、正直なところ最終報告会の発表で出すべきかどうかさえ悩んでいた。
一方で、利便性の高いFacebookには、様々なリスクがあるし、LINEはコミュニティ運用が難しいなど、ツール選定一つとっても悩ましさがあり、やはり今後どうしていこうか、どういった形が在るべき形なのか考え続けている。自分でゼロから作る道もないではないけれど、流石に負担もリスクも大きすぎるし、何より維持が難しい。財源がないのである。
インパクト投資や社会的起業が話題になって久しい昨今だけれど、そうは言っても慈善事業を中長期的にやっていくのはとても難しい。生活が確保できるならば全突っ込みしても良いのだけど、金主不在の状況ではどうしたって商業的な成功と併走させる必要がある。この数ヶ月、ずっと考え続けているが、改めて事前事業を成り立たせ、維持することの難しさに思い至って二の足を踏むことを繰り返している。
根本的な問題として、振り返り会のときに少し話に出したが、筆者は自分を幸せにできない人間が他人を幸せにするのは不可能だと思っている。その意味で、ある種「他者に幸福になって欲しい」と願うこのマイプランは筆者が取り組んで良い内容なのかに疑問がある。筆者は孤立状態にないのか? 客観的に見たら孤独な人間ではないのか? といった疑問も尽きない。
そんなぼやきにも似た鬱々とした話はここまでにするとして、発表内容・発表資料の解説や補足、感想をつらつらと書いていこうと思う。まず、冒頭についてである。多くのぬま大10期生(登壇者)がしっかりと自己紹介している中で、冷静に振り返ると唯一の非気仙沼市民である筆者が、ろくに自己紹介していない。
何せ、聴講者に対して語った自己紹介は、この一言くらいである。本noteに掲載しなかった自己紹介スライドは存在するが、そこに記載されていた内容は何一つ話さなかった。さすがに誰かに突っ込まれるかと冷や冷やしていたが、交流会・振り返り会・懇親会のすべてを通して、誰にも突っ込まれなかったので、まあ、セーフだろう。第11期生には真似しないようにして欲しい。
実のところ、前日に行われたリハーサルまでは、もう少し自己紹介の言葉が存在していた。本番になって一言まで削られた形だ。どうしてこんな形になったのか? 単純に時間内に収めるために、削っても良さそうな話だったからだ。どの道、過去に自分が社会的孤立状態に至ったという生い立ちの話を入れるのだ。それさえあれば良いだろうと判断した。
もう一つ影の理由があった。本番当日を前に、眠れぬ夜を過ごした筆者は、物理的孤立と社会的孤立を国民的アニメ「サザエさん」の波平の頭で説明できないか考えていた。その前振りとして、『呼吸するように記事を書いているハゲ』と語れば伏線になると思ったのだ。
ぬま大学の講義中、ずっと帽子を被っていたが、本番は帽子を被らずにハゲ丸出しで登壇した。それも伏線を作るためだった。にもかかわらず、波平の頭の話なんて微塵も話さなかった! 結果、ただハゲたおっさんが自分はハゲだと宣言しただけになった。南無三。というか爆散。
そもそも人見知りで他人の顔を見て話すことさえ苦手とし、緊張で人前で話すなんてろくにできない自分が、当日にアドリブで波平の頭をたとえにした物理的孤立と社会的孤立の話なんてできるわけがなかった。『呼吸するように記事を書いているハゲ』と言えただけでも奇跡である。ただハゲたおっさんが自分をハゲだと語っただけになったにせよ。
続くnihongo cafe、アジアカフェのくだりは、正直なところちゃんと言いたかったところなので、ちゃんと言えて良かった。あの日のおにぎりの美味しさは今でも覚えている。もっとも画像を出す許可については予め件のぬま大学OB本人の見えるところで行ったものの、nihongo cafeの名前を出すなんて一言も話していなかったので、今なお怒られないか不安で眠れない夜を過ごしている。
くるくる喫茶うつみについもちゃんと話したかったが、図で映し出した程度になってしまったのは若干後悔している。すべては7分に完璧に収まる内容にできなかった筆者の力量のせいである。せめてこの場で記事の紹介はしておきたい。なお、このnoteで5指に入る人気記事である。
取り組むテーマが孤立であり、孤立にはどういったものがあるかという説明がこの後に続く。言ってしまえば、ここからが本題である。本題だが、実はかなり削った。ぬま大学第10期最終報告会に至るまでのブラッシュアップやリハーサルの中で、度々指摘を受けており、また7分の発表時間を考えると確かに蛇足感が否めないパートだった。削る前については後述する没案において少し触れる。
ふいに語られた東京ディズニーリゾートに首を傾げた聴講者は多かったかもしれない。当初は、気仙沼市内でたとえを探していた。だが、丁度良いたとえを見つけられなかった。代替案で出したのが東京ディズニーリゾートである。なお、筆者は東京ディズニーリゾートに一度しか行った経験がない上、それが20年以上前なので、正直どれくらいの広さなのかイメージできていない。多分めっちゃ広いんだと思う。
悲しいことに元ネタに気付いてくれる方が少なかったスライドである。30代以上の人間にしか通じなかった。ジェネレーションギャップ。昔、日本国内を席巻した「世界の中心で愛を叫ぶ」をオマージュした画像である。なお、画像の生成に30分程度使っている。力の入れどころがおかしい。
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二度のブラッシュアップ時の発表、リハーサル、そして本番。その中で一回として「これは日本国内を席巻した有名作品『世界の中心で愛を叫ぶ』をオマージュした画像ですが」の一言を言えなかった。無念。正直、口走らなくて良かったと思っている。なぜ口にすることさえできなかった『世界の中心で愛を叫ぶ』をオマージュした画像を使ったのか?
パッと思い浮かんだから、くらいしか理由がない。助けが来ないシーンを生成できればそれで良かった。ちなみに左側の画像は当初空港だった。至極真っ当で冷静なアドバイスを受け直したのが現在映し出されている画像である。心の底から直して良かったと思う。筆者のとち狂った感性で危うく訳の分からないスライドを晒すところだった。
気仙沼市の人口密度より先に筆者の血の気が急低下するところだった。第11期生にはブラッシュアップ期間の参加を心から勧めたい。出よう、ブラッシュアップ。人間、自分の見たいものしか見られない生き物である。しかしながら、ぬま大学最終報告会の聴講者は自分ではない。自分の見たいものを見せても良いけれど、それだけだと好ましくない。
右側の画像は、筆者自身をイメージして生成した画像である。誰にも気付いてもらえなかった。いやさ、もしかするとぬま大学事務局もコーディネーターもぬま大生も皆とても優しいので、気付いていながら口にしなかっただけかもしれない。言わぬが花、ということは世の中に星の数だけある。気を遣わせたおっさんが一人いた事実の方が辛い気がしないでもない。
作成中、本当に自分は活動らしい活動をやれていなかったと感じ、ちょっと目眩がした。寝不足だったわけではない。
口頭で伝えたが、取り組みが上手くいかなかった=取り組みそのものができていなかったである。毎月20本近い記事を出していた一方で、ぬま大生としての活動をあまりやれていなかったのは、大きな反省点だと感じている。ところで、そうであるならば、なぜ記事作成についてマイプランにしなかったのか? との指摘はあると思う。
これは遠回しに当人に伝えたのだけど、同じぬま大学第10期生の発表である「来たる日の出土のために」の内容を初めて知ったとき(本番前日のリハーサル時)、嗚呼そうか、こういう方向性があったのかと深く感じ入った。一方で、『呼吸するように記事を書いているハゲ』と度々書いているように、筆者にとって記事作成は呼吸のようなものである。
仕事同様に記事作成は呼吸であり、つまり筆者からすればその行為はしなければならないこと(義務)と相違ない。従って『やりたい』を追求するぬま大学において、記事作成にまつわることをするのは、やはり本旨からズレるのだと思う。もっとも当初は事業所紹介の線で行こうとしていたわけだけど(早々にそれは事業でやることにした)。
ぬま大学第10期最終報告会で使用するスライドの最終提出日くらいに作られた図である。今後何をするかパートの図だが、このパートも悩んだところである。ブラッシュアップ・リハーサルを通じて、様々なアドバイスを頂きながら、どのように発表していくか考え続けていた。
今後何をするかパートは、筆者に限らず大半の受講生にとって最も重要なパートである。筆者の場合、このパートが信じられないほどに薄かったし、分かりにくかった。本noteにおいて没案も掲載するので、そちらを読むと薄ら推測できると思う。
そうした中で、最終的に導き出した結論が、対面⇔オンラインの双方について取り組むことを図示した1枚、つまりこのスライドである。このスライドが良いかどうかは何とも言えないが、今後何をするかを端的に伝える上では必要な1枚だったと思う。これがあったお陰で、具体の部分をサラッと流してまとめに行けるようになった。
具体例については、当初は細かく話そうと思っていたが、ブラッシュアップを重ねる中で諦めた。どう説明したところで分かりにくいし、蛇足感が出る。そもそもスライドにおいて細かく見るのは不可能である。なので、読めない・見えないを前提にサラッと流した。
発表時間を考えれば、まとめ部分をある程度しっかりと話せれば、何となくイメージを持ってもらえると思っていたので、どんな将来像を生み出したいかを簡潔にまとめられるように考えた。テーマを考えれば自然に導き出される結論なので、あまり悩まずに作れた。これがあったからここまでのスライドを順序立てて作れた気がしないでもない。
さて、ここからは制作に関する話と没案の紹介である。すべての没案を出すのは難しいため一部になる(最終的に作成したスライドは50枚くらいになるので)。ちなみにスライドの作成にあたっては、事務局から提供いただいた資料・動画に加えて以下の書籍を参考にした。
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参考にするのが限界だったが、予め目を通して良かったと思う。スライド(パワーポイント)は、どうにも普段の仕事の癖が出がちで、少なくともそれはぬま大学最終報告会のような場では適切でないため、見せるためのスライド(パワーポイント)とはどんなものかを知られたのは良かった。ちなみにテーマカラーが緑色なのは、目に優しそうだからである。「孤立」というテーマに合わせたものではない。
ぬま大学第10期最終報告会|制作に関する四方山話・没スライドなど
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