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おとぎの国シントラと地の果てロカ岬へ-2
ペーナ宮殿を思う存分満喫した後は、ペーナから歩いて5分ほどで行く事が出来るムーアの城跡(Castelo dos Mouros)に向かいました。
ムーアの城跡とは、シントラの緑豊かな山間部に残っている、8−9世紀頃ムーア人によって標高450メートルの山頂に築かれた城の跡地です。
ムーア人とは北西アフリカのイスラム教徒の民族で、7世紀以降イベリア半島に定着していました。12世紀になるとイベリア半島を取り戻そうとキリスト教徒が再征服活動を起こします。
そしてポルトガルでも、1147年にポルトガル初代国王となったアフォンソ・エンリケシュによりリスボンがイスラム教徒から奪還され、ムーアの城もポルトガル人の支配下となります。
その後何度か修復されたのですが、1755年に起こったリスボン大地震でとうとう廃墟と化してしまいます。
全体像を見るとまるで中国の万里の長城のように見えますが、そこまで城壁は長くないので頂上まで登ることをお勧めします。
頂上からシントラの街を見下ろした写真ですが、本当に森というか緑が多いのが良くわかります。最高の見晴らしです。
次に向かったのはこの旅行でとても楽しみにしていた、レガレイラ宮殿(Quinta da Regaleira)です。私のお目当ては宮殿ではなくその広大な庭園でした。テレビ番組の世界不思議発見でも紹介されたそうです。
これが唯一私が撮影したレガレイラ宮殿の外観の写真です。それも全体が入っていません。宮殿の中の写真もありませんでした。笑 私の興味のすべてはまるで迷宮のようなお庭だったようです。
こちらもペーナ宮殿と同じくゴシック、ルネサンス、マヌエル様式と様々な建築様式が混在しています。
レガレイラ宮殿は元々17世紀に建築された王族の別荘でした。20世紀の王族の衰退と共に、1840年から宮殿の所有者であったレガレイラ男爵は宮殿と庭園をブラジル出身の富豪であるアントニオ・カルヴァージョ・モンテイロに売却します。モンテイロは結構な変わり者で、イタリア人の建築家ルイジ・マニーニに依頼してこの庭園の大改造を行いました。
レガレイラ宮殿の庭園はアミューズメントパークのようで、ドキドキ、ワクワクが止まりません。鬱蒼とした森の中に洞窟、井戸や池が突如現れ、小道もあちらこちらにあるので事前にもらった地図があっても迷ってしまうと思います。
チケットを購入して目の前の道をまっすぐ進むと見えてくるのが、カスケード湖(Lago da Cascata)緑の藻に覆われた小振りの池です。皆さん楽しそうに飛び石を飛んでいます。
ここからがこのレガレイラ庭園の面白い所で、この飛び石に降りるにはまず上の写真で人々が歩いているロープ付きの石の階段を上がります。
すると、守護者の門(Portal dos Guardiao)にたどり着きます。この門を入って行くと薄暗い洞窟の中に出ます。足元が濡れていて滑りやすいので気をつけながら歩いて行くと、次の仕掛けにたどり着くのです。
To be continued...