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■【より道‐108 】戦乱の世に至るまでの日本史_時代を超えた因果応報_時系列
今回は、あくまで、じぶんのファミリーヒストリーに近しい日本史を、「嘉吉の乱」から「明応の政変」まで整理したものです。
当時の将軍や管領がどのような悩みを抱えていたのか。有力武家たちのお家騒動がどのように発展、展開していったのかが、なんとなくわかるものとなっています。
《足利騒乱》
【1441年】:六代将軍・足利義教/管領・細川持之
・「嘉吉の乱」で将軍・足利義教が殺害される
《六角騒乱》
【1441年】:七代将軍・足利義勝/管領・細川持之
・「嘉吉の土一揆」発生
・当主・六角満綱(父)が隠居して六角持綱(長男)に家督を譲る
【1444年】:将軍不在/管領・畠山持国
・六角持綱(長男)の無道に我慢できない家臣たちが、次男・六角時綱(次男)を擁立
・幕府管領、畠山持国は六角時綱(次男)の要請に動かず
【1445年】:将軍不在/管領・細川勝元
・六角時綱(次男)と家臣たちが、父親の六角満綱(父)と兄、六角持綱(長男)を自害に追い込む
【1446年】:将軍不在/管領・細川勝元
・幕府が六角家の家督を三男、六角久頼(三男)にすると命じる
・六角時綱(次男)の家臣が、六角久頼(三男)の暗殺を計画する
・幕府管領、細川勝元は、六角久頼(三男)に同族で侍所の京極持清と共に六角時綱(次男)の討伐命令を下す
・六角時綱(次男)死亡
《畠山騒乱》
【1448年】:将軍不在/管領・細川勝元
・畠山持国(父)が、弟の畠山持富(叔父)の相続を撤回して畠山義就(長男)を後継者と定める
【1454年】:八代将軍・足利義政/管領・細川勝元
・畠山持富(叔父)の息子、畠山政久(従弟)を擁立するため細川氏・山名氏が支援する
・畠山政久(従弟)が畠山義就(長男)を襲撃するも逃亡する
・畠山義就(長男)が畠山政久(従弟)を襲撃して追い落とす
【1455年】:八代将軍・足利義政/管領・細川勝元
・畠山持国(父)死亡
・畠山義就(長男)が家督を継ぐ
《六角騒乱》
【1456年】:八代将軍・足利義政/管領・細川勝元
・六角久頼(三男)は京極持清の内政干渉により自害する
・六角久頼(三男)の息子、六角高頼(孫)は幼少のため、六角時綱(次男)の子、六角政堯(孫)が後見人となる
《畠山騒乱》
【1457年】:八代将軍・足利義政/管領・細川勝元
・畠山義就(長男)が8代将軍・足利義政の上意と詐称して他所領を攻撃しだす
《六角騒乱》
【1458年】:八代将軍・足利義政/管領・細川勝元
・六角高頼(孫)が追放されて六角政堯(孫)が近江国守護となる
《畠山騒乱》
【1459年】:八代将軍・足利義政/管領・細川勝元
・畠山政久(従弟)死亡
・畠山政久(従弟)の弟、畠山政長(従弟)が意思を継承し、畠山義就(長男)との対立を継続する
【1460年】:八代将軍・足利義政/管領・細川勝元
・畠山義就(長男)は、幕府管領、細川勝元から畠山政長(従弟)に家督を譲るよう命じられ没落
【1463年】:八代将軍・足利義政/管領・細川勝元
・畠山政長(従弟)は、2年半にかけて畠山義就(長男)が籠城する河内嶽山城を包囲・陥落させる
【1464年】:八代将軍・足利義政/管領・畠山政長
・畠山政長(従弟)が管領に就任する
【1465年】:八代将軍・足利義政/管領・畠山政長
・畠山義就(長男)が山名宗全の支援のもと挙兵
【1467年】:八代将軍・足利義政/管領・畠山政長
・畠山義就(長男)が上洛を果たし畠山政長(従弟)の管領職を辞任させる
《足利騒乱》
【1467年】:八代将軍・足利義政/管領・斯波義廉
・応仁の乱
《六角騒乱》
【1467年】:八代将軍・足利義政/管領・斯波義廉
・東軍の六角政堯(孫)は、京極持清、そして息子たちとともに西軍・六角高頼(孫)と戦う
【1468年】:八代将軍・足利義政/西軍管領・斯波義廉/東軍管領・細川勝元
・六角高頼(孫)が在京中を狙い、六角政堯(孫)が南近江の観音寺城に攻め込み陥落させる
《京極騒乱》
【1468年】:八代将軍・足利義政/西軍管領・斯波義廉/東軍管領・細川勝元
・京極持清(父)の息子、京極勝秀(長男)が病死
《六角騒乱》
【1469年】:八代将軍・足利義政/西軍管領・斯波義廉/東軍管領・細川勝元
・六角高頼(孫)が観音寺城奪還に向かうと、幕府管領、細川勝元は、六角政堯(孫)の近江国守護を解任し京極持清を守護にする
《京極騒乱》
【1470年】:八代将軍・足利義政/西軍管領・斯波義廉/東軍管領・細川勝元
・京極持清(父)が病死
・京極孫童子丸(孫)と京極乙童子丸(孫)の家督争い勃発
・京極孫童子丸(孫)擁立に京極政経(三男)がつく
・京極乙童子丸(孫)擁立に京極政光(次男)がつく
・京極孫童子丸(孫)が家督を継ぐ
・家督継承に不満を持つ京極政光(次男)と京極乙童子丸《おつどうじまる》(孫)が西軍に寝返る
【1471年】:八代将軍・足利義政/西軍管領・斯波義廉/東軍管領・細川勝元
・京極孫童子丸(孫)が早世する
・京極政経(三男)が京極家の当主を引き継ぐ
・京極乙童子丸(孫)が京極|高清(孫)と名乗る
《六角騒乱》
【1471年】:八代将軍・足利義政/西軍管領・斯波義廉/東軍管領・細川勝元
・六角政堯(孫)が近江国の守護となる
・六角高頼(孫)が近江国を攻撃して六角政堯(孫)が戦死する
《京極騒乱》
【1472年】:八代将軍・足利義政/西軍管領・斯波義廉/東軍管領・細川勝元
・西軍の京極高清(孫)と京極政光(次男)が京極政経(三男)を撃破
【1473年】:八代将軍・足利義政/西軍管領・斯波義廉/東軍管領・細川勝元
・京極政光(次男)が病死
・東軍で管領の細川勝元が、京極政経(三男)に出雲・隠岐・飛騨・近江守護の任と奪還を命じる
《足利騒乱》
【1473年】:八代将軍・足利義政/西軍管領・斯波義廉/東軍管領・畠山政長
・山名宗全が亡くなる
・細川勝元が亡くなる
《京極騒乱》
【1475年】:九代将軍・足利義尚/管領・斯波義廉
・京極政経(三男)が近江国へ進攻し西軍の六角高頼・京極高清(孫)を撃破する
・西軍の六角高頼(孫)が大軍を引き連れ京極政経(三男)を撃破する
《足利騒乱》
【1477年】:九代将軍・足利義尚/管領・畠山政長
・応仁の乱が終結する
《畠山騒乱》
【1477年】:九代将軍・足利義尚/管領・畠山政長
・畠山政長(従弟)が三度目の管領に就任する
・畠山義就(長男)が河内国に攻め込み河内・大和・山城を実質支配する
《六角騒乱》
【1478年】:九代将軍・足利義尚/管領・畠山政長
・六角高頼(孫)が近江国の守護となる
《畠山騒乱》
【1482年】:九代将軍・足利義尚/管領・畠山政長
・畠山政長が、幕府から畠山義就(長男)討伐命令を取り付けて出陣するも国人・農民達による一揆が起きて膠着状態となる
《六角騒乱》
【1487年】:九代将軍・足利義尚/管領・畠山政長
・六角高頼(孫)が公家領・寺社領や奉公衆の領地を押領して配下の国人衆に分け与えたため、9代将軍・足利義尚の怒りを買う
《京極騒乱》
【1487年】:九代将軍・足利義尚/管領・細川政元
・京極政経(三男)が息子の京極材宗(孫)と上洛すると、京極高清(孫)へ反乱を起こさせる
・京極高清(孫)が反撃をして守護代を討ち果たす
【1488年】:九代将軍・足利義尚/管領・不在
・京極政経(三男)が挙兵して京極高清(孫)を追放する
《畠山騒乱》
【1491年】:十代将軍・足利義稙/管領・不在
・畠山義就(長男)死去
《六角騒乱》
【1491年】:十代将軍・足利義稙/管領・不在
・六角高頼は将軍・足利義稙に赦免され近江守護に復帰するも国人衆が押領した所領を返還しなかったため再追討を受ける
《京極騒乱》
【1492年】:十代将軍・足利義稙/管領・不在
・京極政経(三男)は10代将軍・足利義稙の怒りをかい失脚する
・京極高清(孫)が家督を任命される
《足利騒乱》
【1493年】:十代将軍・足利義稙/管領・不在
・明応の政変
《京極騒乱》
【1493年】:十代将軍・足利義稙/管領・不在
・明応の政変で京極政経(三男)が家督を復帰
・京極高清(孫)は、舅の斉藤氏を頼り北近江に攻め込む
・京極政経(三男)はかつての敵、六角高頼と手を組み対抗する
《六角騒乱》
【1495年】:十一代将軍・足利義澄/管領・細川政元
・六角高頼は11代将軍・足利義澄によって、近江国守護に復帰する
《京極騒乱》
【1496年】:十一代将軍・足利義澄/管領・細川政元
・船田合戦を制した斎藤氏が近江に攻め込み、京極政経(三男)は出雲へ逃亡
・京極材宗(孫)は近江国に残り、京極高清(孫)に対抗
【1505年】:十一代将軍・足利義澄/管領・細川政元
・京極材宗(孫)と京極高清(孫)が和睦する
《足利騒乱》
【1507年】:十一代将軍・足利義澄/管領・細川政元
・細川政元が暗殺される
《六角騒乱》
【1507年】:十一代将軍・足利義澄/管領・不在
・11代将軍・足利義澄は近江国内における所領押領を理由に六角高頼と対立する
《京極騒乱》
【1507年】:十一代将軍・足利義澄/管領・不在
・京極材宗(孫)は、京極高清(孫)に自害させられ「京極騒乱」は終結する
【1508年】:十代将軍・足利義稙/管領・細川義澄
・京極政経(三男)は、京極材宗(孫)の息子、京極吉童子丸に家督を譲る
・尼子経久に京極家代々伝わる事跡を集めた「佐々木文書」と京極吉童子丸を託しして死亡