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「今日、誰のために生きる?」感想~「自分とか、ないから」と読み合わせてみた~

著作:今日誰のために生きる?
アフリカの小さな村が教えてくれた幸せがずっと続く30の物語
著者:ひすいこたろう×SHOGEN
出版:廣済堂出版
を読みました。

本書の紹介を前半に、
後半には、本書を読んでいる時に「あれ?これって”自分とか、ないから(しんめいP著)”とリンクしない?」と思ったので、それについて書いています。


1.どんな本?

今日、誰のために生きる? 表紙カバー

▶作家で幸せ翻訳家のひすいこたろうさんと、ペンキ画家のSHOGENが書かれた本。
幸せに生きるとは?について、アフリカの小さな村ブンジュ村の人たちの言葉を通して考えさえせられる1冊。
前半は、SHOGENさんがアフリカアートを学びにいった先のブンジュ村の人達との生活や教えについて書かれており、
後半は、ひすいこたろうさんが、SHOGENの話を受けて、ブンジュ村の教えを今の私たちの生活に活かすためにどすればいいか?ヒントになることを解説されています。

▶こんな人におすすめ
・自分の今の生活を見直したい人
・温まる物語に触れたい人
・普段本は読みなれてないけど、人生についての本を読みたい人

▶ページ数は220ページくらいですが、やさしい言葉で書かれているため読みやすい本です。また、ブンジュ村の教えの物語は30ありますが、長くても4ページくらいなので、細切れ時間を活用しやすいかと!
通して読んでも、だいたい1時間30分~2時間あれば読み終わることができると思います。

2.心に残ったフレーズ

「挑戦するということは、新しい自分に会えるという行為なんだよ。
挑戦には失敗がつきものだけど、いつか失敗のネタが尽きる時が来る。
失敗が満員御礼になる時が来る。そうしたら、成功するしかないんだ」

今日、誰のために生きる? P66

「人と話す時は、その人を抱きしめるようにして話すんだよ」

今日、誰のために生きる? P42

「日没になって、薄明かりが付いていたとしても、もう真っ暗だよね。
だから、すべての作業をさきらめないといけない。
ショーゲンは、あきらめるという言葉を、マイナスに捉えていない?
でもこの村では、プラスなんだよ。
諦める時間が来るということは、今から真の休息の時間になるということだからね」
~中略~
「今の日本人は、いつ諦める時間を作っているの?」
僕は答えることができず、ただ村長の言葉を聞いているしかありませんでした。

今日、誰のために生きる? P84~

どれも、今の自分の心に刺さる言葉でした。
皆さんが心に残ったフレーズはありますか?

3.『今日、誰のために生きる?』と『自分とか、ないから。』に通づるものを感じた瞬間。

本書の中にこんな一説がある。

「実は、この村の先輩は日本人なんだよ」
~中略~
村長のおじいちゃんは、夢の中で時空を超えて日本人と交信し、いろいろ教わっていたと言うのです。

「今日、誰のために生きる?」
「私はあなたのことを信じてる」
「人間らしいね」


これらの言葉は、村の合言葉ともいえるほどよく使われているんですが、すべてかつての日本人の口癖だったと言うのです!

今日、誰のために生きる?  P107

この三つの口癖は、シャーマンであったブンジュ村の村長のおじいさんが時空を超えて日本人と交信し、いろいろ教わってできたものらしいんです。
計算すると、おじいさんが交信していたのは約120~130年前ではないかと…

この文面を読んだとき、
「なんか、これ似たようなマインドを読んだことあるような…」と思ったんです。

で、気が付いた!これは、『自分とか、ないから。』のと通ずる考えだと。

そこで、”日本人との交信”というキーワードをもとに、
『自分とか、ないから。』の親鸞と空海を読み返してみました。

そしたら、「絶対、このおじいさん、空海と親鸞と交信しとったやろ~」という疑惑?が私の中で浮上。

*「自分とか、ないから。」がどんな本か気になる方はこちらの記事もどうぞ

この2冊が繋がるなんて✨

4.『今日、誰のために生きる?』のシャーマンのおじいさんは親鸞と空海と、会ってたんじゃない???

<勝手に検証① 「人間らしいね」と親鸞>

『自分とか、ないから。』より、

善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。(『歎異抄』第三条)

ーダメなやつほど救われる。デキるやつでさえ救われるんだから。

自分とか、ないから P241

↑親鸞の哲学の教えの一つとして著者のしんめいPさんが解釈して紹介した一文。
そう、親鸞の哲学は、ダメな奴ほど救われるというもの。

そして、『今日、誰のために生きる?』で書かれた3つの口癖の中の一つ「人間らしいね」とは、

失敗は恥ずかしいことではなく、人間らしい行為、かわいらしい行為なんだ。だから、”人は完璧じゃない、そのままの姿でいい”という意味が込められています。

親鸞は平安時代、今から800年くらい前の時代の人。
120~130年前に生きていたというシャーマンのおじいさんが日本人が言っていたとする口癖と、親鸞の哲学。
どちらも、失敗してこその人間であり、それが幸せに繋がるという考えが通ずるのでは?と思いませんか?

<勝手に検証② 「私はあなたのことを信じてる」と親鸞>

さらに、『自分とか、ないから』より、親鸞の哲学に”ただ信じる”というものがあります。

涅槃の真因は、ただ信心をもつてす。『顕浄土真実教行証分類』
ー言葉を超えた境地に行くには、ただ「信じる」こと。善人なおもて往生を

自分とか、ないから P248

そして、『今日、誰のために生きる?』で書かれた3つの口癖の中の一つである「私はあなたのことを信じてる」。
ブンジュ村の人たちがいつもお互いに掛け合う言葉だそうです。
しかも、根拠を尋ねると「オレが言っているから」と答えられたそうで、信じるが根付いていると感じさせられたエピソード。

親鸞は救いとして「ただ信じる」を解き、ブンジュ村の人たちは日々の掛け合いとして「信じてる」と言葉にする。

読み比べながら、その二つの世界が重なっていると感じた時、
もう、根拠なんて関係なくて、人としての神髄なんだって感じさせられた気がしました。

<勝手に検証③ 「今日、誰のために生きる?」と空海>
タイトルにもなっている「今日、誰のために生きる?」。
これは、ブンジュ村の人のあいさつの一つだそう。
この言葉には、「今日も私は自分のために生きるよ。あなたも、自分のために生きている?」っていうメッセージが込められていると私は受け取りました。
さらに、ブンジュ村の人は、「自分が、自分の一番のファンでありなさい」P74と教えられるそう。それは、以下↓の理由から。

自分が自分の一番のファンであること、それは自分に愛を注ぐことになり、それは周りの人にも愛を注ぐことにもなるのです。

そして、この「誰のために生きる?」というメッセージと、『自分とか、ないから』の空海の「密教」がリンク。
「密教」は面白くて人の”欲”を肯定する教えなんです。

「欲」を「もっとでっかい欲」にしちゃおう、というのが密教のスタンスだ。「大欲(たいよく)」という。
「お金をいっぱいゲットしよう」もいいけど、
「お金をいっぱいゲットして、いっぱいの人をたすけよう」と、でかく考える。するとでっかい自分、「大我」になる。
欲のスケールをでかくすると、逆にさとりに近付く理論。

どちらも、自分の欲や心を満たした先に、他の人を満たすという考えが共通していると思いませんか?

ちなみに、空海は親鸞より400年前の人。つまり、今から約1200年前の人物!

そして、このマインド、現在でも「Give精神」という言葉で受け継がれているように思うんです。
でもGive精神って字面だけを見てしまうと、”あげる”ことが軸のように誤解されやすい言葉のように思います。Giveの前に、自分へのLoveがあることを私たちは忘れちゃいけませんね…と思った瞬間。

何はともあれ、検証①~③で私は悟った…
やっぱり、シャーマンおじいさんは、日本の東洋哲学者の親鸞と空海に会っていることを!笑
そして、その世界は今の私たちにちゃんと繋がっているということを。

そして、この3つの言葉…
「今日、誰のために生きる?」
「私はあなたのことを信じてる」
「人間らしいね」

を読んだとき、正直、私は「ドキッ」としたんです。

私、自分や家族を大切にしたいと思っているのに、それを伝えられれてるのかな?って。
だって、この3つの言葉を普段、口にすることがないから。
そういった意味でも、自分の家族への関わりや自分自身への向き合い方を改めて考えることができる1冊でした。

また、本って1冊で完結させるのも面白いですが、他の本と読み合わせることで新たな見方生まれることを再発見!

この2冊とも読んだことがある方や、
自分はこの本とリンクした~など、
よければコメントで感想をシェアしあいませんか?

最後まで、お読みいただき、ありがとうございました。


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