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自分の死生観を決定づけた「山田詠美」の美しい言葉たち

こんにちは。 #病んでもタダでは終わらない 渦巻(@uzumaki_628)が、自分を語るシリーズです(シリーズ化するの好きですw
今日は、がんになっても元気な自分を不思議がる人が多いことを踏まえて、おそらく人とちょっと違う死生観について触れてみようと思います。

現在、絶賛闘病中の詳細を以下のマガジンにまとめてありますので、よろしければご覧ください(無料部分だけでも概要掴めると思います)。

※記事は「だ・である調」で綴らせていただきます。


敬愛する作家@エイミーこと山田詠美

自分の今の死生観を絶対的なものにしてくれた人、それは作家の山田詠美。エイミーこと熱血ポンちゃんである。ポンちゃんとは、彼女の愛称で自伝的エッセーに基づく。ちなみに、シリーズの各タイトルが往年の名作パロディになってるのも個人的にはたまらない(でも自分はエイミーって呼んでる。
で、その敬愛する山田詠美と自分の死生観と何がどう結びついてるのかっていうと。

子どもが漠然と抱える「死」と「生」を描く

エイミーの作品を数多く読んでいる人なら分かると思うのだが、彼女は「子ども目線」の物語をいくつも書いている。主人公=物語の語り手は、幼児から思春期まで広範囲だが、一貫して「大人子ども」とでも称したらいいか、達観した物言いのマセガキである(あら失礼m(__)m
普通の子どもだったら、そんなこと言わないよなぁというような生意気で小憎らしい、ときにウィットに富んだセリフの数々は、紛れもなく「大人なエイミーが言わせている」に過ぎず、子どもが進行形で具現化できるような内容では決してない。
その美しくもある言葉たちは、読み手が現役の子どもだった頃に「漠然と抱いていた生きていくうえでのいろんな脅威」――「成長するにしたがって胸の奥底にしまい込んで忘れ去ろうとしてきた想い」を代弁してくれるのだ。

中でも、短編集「晩年の子供」は30年前の本だが、まだ若かった自分の礎(いしずえ)となってくれた一冊。「人が死ぬという必然」を、残される側の視点で描いているのが印象深い。自分は未だに、登場人物たちのいくつかの言葉を覚えていて、事あるごとにそれを反芻(はんすう)することを繰り返している。

高校教科書にも掲載された「ひよこの眼」も収録されている。大人も子どもも、どちらつかずの人にも、人生の在り方についてモヤる何かを抱えている層に、ぜひ読んでもらいたい。

「死」は自身ではなく残された人たちの問題

もう一冊、こちらはステップ・ファミリーが織りなす群像劇で、それぞれの視点から語られる長編小説「明日死ぬかもしれない自分、そしてあなたたち」。重い内容をサラリと読み進めることがかなうのは、エイミーの技量に他ならない。
いつか死にゆく必然は自分自身の問題ではなく、残された人たちの問題であることが実に分かりやすく描いてある作品だと思う。

しかしながら、後味の良さは圧巻。
死ぬために生きているという現実に思い悩んでいるなら、どうか手に取って最後まで読み終えてほしい。

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渦巻|編集とデザイン*映画や本の話+詩と闘病記!
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