#自分と向き合うシリーズ「とて・美学」
なにか我慢が一番良くない。
自分をなにかの掟で縛り上げていることに気づいた。
今朝未明、覚醒したのは3:16
50肩の右肩が痛いのを思い出した。
一旦トイレに降りてからもう一度布団でゴロゴロ。
そのうちゴソゴソと体操なるものを始めた。
半円の整体院にあるような枕でゴリゴリとしているとふと、思いついた。
なんで弛まないんだろう。
緩めようと
必死になればなるほど
その部位に意識をすればするほど
固くなってやしないか?
結局、人はそれぞれの世界に住んでいて、その人の信条が根っこなんですよ。
誰になんと言われてフラフラとそっちの水は甘いよーと寄り道しては「あれ?なんか違和感」を持ちつつも、また同じようにフラフラしているうちに、元来た道が分からなくなる。
これが「自分を見失う」ってやつかな。
そして、見失った自分を探しに出かけるのが「自分探し」。
なんとなくその大量の違和感の一部が繋がり始める。
でも、どうやらそれらも上塗りで、社会的に捏造された「こうあると素敵と言われるイメージ」をこっそりと目指している。
だから、また違う違和感を積み上げる。
違う違和感ってなによ(笑)って書いてて思うけど(笑)オイトイテ
多分これは「無理やりポジティブ」と訳せると思う。
本来自分が思っていることを押さえ込んでいるわけだからやっぱり気持ちわるくて居心地なんていいはずはない。
どこか無理やり迎合していて
どこか無理やり口角をあげて
どこか無理やり仲間でいようとすること
この辺の違和感がストレスだと気づくと「離れる」をする。
今思うと、離れるという決断がスッと出来るのは羨ましいと言われることの一つだそうだ。
どちらかというと、判断は早い方だな。
自分のストレスは何か?を探しに行ってたんだろうな。
自分を探すというか、どんなことで自分が反応して「嫌だ」と思えるか?
そんなことを確認していたんだろうな。
と言うことは「自分探し」とは、自分が何が嫌いでされると嫌なんだ!っとことを見つける作業なのかもね。
わたしはほぼ人形状態になってたので、とても大切な時期だったんだと、今思える。
誰かに失笑されても「自分探し」はやってたもん。
よくいるよね、
自分探し?(笑)そんなことしてるの?、しなくていいのに(笑)
とか言う人!
余裕ぶっこいてさ。
自分はもうコンプリートしてますよってエネルギー出してる感じの。
何回笑われたか。
イラつきながらもそれでも、やり続けたね。
そんなこんの8年間の最終年と位置付けたのが今年2023年。
なんとなく2022年の終わりから「あ、最終章だ」て感じてた。
今年の始まりはすごかった(笑)
そんな振り返りはオイトイテ。
じぶんを叩き続けた「自己否定」の正体を見つけたときから変化して、ゼロからのフラットな感じで、自分と向き合い始めて、多分1週間ほどかな?
色んなことが繋がり始めた。
人に対して「こうすればいいのに」って自分の考えを伝える。
この行為そのものが「大きなお世話」「余計なアドバイス」だってこと。
人はみな自分の世界に住んでいて、自分の思う通りに生きているのだ。
そんなこと、ずっと知っていて喋ってもいたのに、全く本質に気が付かなかった!!
ちょっと時間がなくなった来たので、この辺にして(笑)
結論は「思った通りに好きすればいい」。
なんて言葉にしたら伝わらない言葉になるんだろう😆
自分の在り方さえも探さなくてもいいし
正さなくてもいいし
修正なんてなんのこっちゃ!
何を基準に言うてます?
こんなことを考えてる時点でズレてるってこと笑
もう、すでに確率した自分はここにいる。
そして、それは所有するものでもなく、
漂うくらげなのだ(笑)
きゃー
なんこっちゃやん笑笑
これが結論かーい(笑)
ほな、仕事します!