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いま、わたしは「余裕の中にいる」と言えるわ。

「在る」をイメージさせることで「ない」に導く。


こういう手段で「有難い」を「当たり前」と思えなくなったのだろう。


そもそも、自分が「生きづらい」と思ってなかったうずまき🌀。

今年23年は本当に激動の一年だったわ笑

あ?もう1年の振り返り?
でもねー、まだ、23年が始まったくらいの感覚でいるけれどね。

1月、ネットビジネスに足を踏み入れる。
聖域だと思いっきり勘違い。
夫にぶら下がって生きているから、なんとかお返ししたくて、よし!ここで自分を消して地盤を形成していこう!と強く覚悟した。

2月、妄想だったと目の当たりになる。
消費者からそっち側に入った途端、犬のように扱われ、良いようにわんわんと回らされていると気づく。
そう言えば、誰も幸せそうじゃない。
必死さの方が強く感じるじゃないか。
わたしの感度の鈍りを大きく感じさせる出来事だった。

3月、深みにハマることなく足抜けし、今度は違うステージで「人と関わる」場所に身を置くこことなる。
考えが偏った人達。そのままの印象は今も変わりないが、それは自分の偏りに気づかせてもらえるものでしかない。小さな地位やお金を押し付けているのか、奪い合っているのか、お金ってなに?と考えるきっかけになっているのだ。

4月、よくわからないままいろんなことがスタートし、わからないなら突っ込むわたし。小さなこどものように質問しまくり、やっぱり大人はそういう人を疎ましく思うのよね笑

5月、6月、7月、全くもってこの団体に全ての時間を捧げていた笑
生活の軸がここになり、自由さをどんどん預けていたなー。
ここで出逢う女性たちの「自分を生きていない」状態を散々見せられて、自分の覚悟が決まった。ほんとおかげさま。

8月、余計なお金をかけて某コミュニティに入る。これを最後にしよう、本来の自分を取り戻すために。日々自分と会話する。
それこそ、そんなもん自分で知っていてやり続けていたことなのに!わざわざ!

でもね、まとった鎧の分だけ人に頼ることが必要だったのよ。
ここは夫との距離をより近く出来たので、何よりだと思うことにした。

9月、自分の独りよがりに気づき、メンヘラを自覚してからの自分との対話は拍車がかかり、ジャッジせず自分を観察できるようになる。
常に「良い悪い」で判断し、ゼロか100かの世界にい続けた。だから、どうやっても無価値に辿り着く自分に嫌気もさした。
この無価値すら独りよがりで悪いものという自己基準で在ることを認識し、自覚。
なんで作られたのかわからない「自尊心」が紛い物で在ることにやっと気づく。

10月、やたら忙しい。団体のイベントや、自分の仕事が重なりまくり。
そんな中でもちょっと余裕をもてる自分になっていることを確認する。
日常の自分を俯瞰し、今やっていることが全て「もしかして不要?」なのかもと見えてきた。ここからがスタートだ。

11月、そう、今。もしかしなくても、何にもないのかの?
在ると思ってきた、ないと思ってきたもの、すべてが「そもそもない」のかも知れないって。
それは今日11/12の未明からの気づきによってもたらされたのだ。


不要なものに囲まれて、さもそれが「暮らし」で「人生」かのように思う「カラクリ」を仕掛けられてるのだ。


こんなこと文字にして、考えているとしても、なんにもならん。

食えない笑


しかし、言葉にせずにいられない。
夫に「何もないことが、在って、それが平和なんだ」って声に出して話したら、「そもそもなんにもないんだ」に変化したんだ。

やることも放り出して、今これを書いている。


だからと言って、やっぱりなんもないけど笑

ふふふ
バジルを収穫した。
初めての収穫。
収穫して料理する「余裕」がなかったからだ。


いま、わたしは「余裕の中にいる」と言えるわ。


「在る」からの新しい境地だ。
わたしはそれらを含めて、それらと「調和」して存在しているってこと。

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