足るを知るとは、、、第二弾😁
めっちゃんこ雨やね!
地球さん飲み過ぎ注意よ!🌏
さて、トミタ式7号食2日目。
ウォーキングは昼からにしよう。
炊飯した4合の玄米は全く減らない!!
何と、朝昼晩でお茶碗3膳。
一口目は100回噛むと言うルールが存在し、
わたしはクソ真面目なので、初回だけで良いのに笑
やっぱり何度食べても100回近く噛んでいる。。
近くと書いたのは、途中で数がわからなくなるからwww
で、昨日3膳しか食べてないのだから、絶対に「腹へった!」で目覚めると思いきや!
夜中にお腹減ったと目覚めることもなく、朝までぐっすり。
ま、涼しかったのもあるけどね。
朝ご飯のタイミングでも「腹減り」でなく、「食べるタイミング」だから、食べると言うことで、おにぎりにしてあるご飯を温めた。
お茶碗にあけたそのご飯は「玄米臭」がした。
昨日まで気にならなかったのに。。。
胡麻塩ふりかけた。
すると、どうでしょう🌟
胡麻の香りで玄米臭は消えた。
面白いねー。
一口目、ちょっと多めに一口入れたら
口が嫌がった。
暑かったのもあったけど
「もっと小さな一口でいい」と。
小さな一口にし直して
噛むこと、100回。
目を瞑って
数えているうちにわからなくなる笑笑
そもそもお腹空いてないから
余計に満足。
目の前に「一緒に食事している夫がいる」から
とりあえず二口目。三口目と食べる。
もうそのうち全く「要らなくなる」のだ。
そのタイミングで夫は出勤支度を始めるために席を立った。
ふー。
よし、この残りは後からいただこう。
これまで、晩ごはんにたらふく食べても
朝には「お腹すいた」となっていた。
あれ?
それはもしかして、幻想だったのか?
体がどうのと言うよりも
多分脳が「錯覚」してきたのだろう。
食べる=受け入れる
そんなふうに。
受け入れることで「認めてもらえる」と言うようなことを刷り込んできたように思う。
小さな頃、食が細かった。
食べることが苦痛だった。
でも、食べないといけないから
与えられたものなんだから
せっかく用意したのだ
誰にそうしてもらっているのだ
感謝しろ
こどもに食べさせるのは親としての義務だから
わたしが食べないのは「食べさせてない」と変換されて
無理矢理にでも「口に入れられる」ことになっていった。
そして「食べる」と親は責任を果たしたから「OK」のエネルギーを出す。
わたしは「食べる」ことは「親を安心させる」と学習したのだろう。
その安心は歪んでいるとしても、そうすることで「身を守った」のだな。
生きているのだから必要量で良いのに。
心が健全でいればいいだけなのに。
うちの両親も色々とメンタルやばかったんだろうね。
ここへきて恨みなどないから、安心してねw
ただ、観察しているだけよ。
小さな一口を頂きながら
今、わたしは「足るを知る」をやっているんだ。。。。と感じたのだ。
小さな一口で「満足するわたし」を知っていくのだもの。
「足る」のことをわたしは勘違いしていた。
「足りない」を「知る」のだと、勝手に脳内で変換されていたのだ。
「足る」のだから「満ち足る」なのだ。
だから、
足るを知る
は
満ち足るを知る
なのだ。
あ、知ってましたか?笑笑
と言うことで
今更ながら「この小さな一口」でわたしは満足できるのだと言うこを知りました。
余計なものを食べないと言うことがこんなにも
根本的な気づきになるとは。
まだ2日目ですが😁
16日間を完走したわたしが楽しみで仕方ない。