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【絵本を作ってみよう・番外編】製本と、そのあとのおはなし

前回はこちら:

こんにちは。わたしはいま、雨の降っていない、青い空をみています。
という一文だけ書いてからしばらく経ちました。その間にも世界は回っていて、わたしの絵本は物理の世界に確かに存在している。ふしぎですね。

これはまぎれもない現実の写真です。

今回は、かるく、製本のお話をしよう。

1. 製本サービスに依頼をする

わたしは一か月とすこし、この絵本に多くのちからと時間を注いだ。
だけど、それを誰にも売るつもりもないし、ほんとうの意味で「みせる」つもりもない。わたしが書いたこと、絵本としての体裁をAIに作ってもらうこと、そして、それを物理的なものとしてこの世界に具現化すること――このみっつだけが重要なのだ。そういうこころもちで製本をしたい、となると、なかなかむずかしいものだ。だれかのひとりよがりに、つきあおうなんて人間は、この世にはいないのだから。

今回はこんなサービスを見つけて、お願いしてみた。

個人かつ小口からでもお願いできるサービスだ。

2. 画像ファイルを整理する

さて、製本を依頼するとなると、フォーマットを整えなければならない。
わたしのてもとにあるおびただしい数の画像を…

われながら下品なファイルネーミングだなとおもいます。

一枚ずつ、指定のフォーマットにしていく。

水色の線は「フチなし」で印刷してもらうための、バッファのようなゾーン。

サービスが用意してくれているフォーマットに当てはめて微調整するだけなので、あまり手間はかからない。人間の知恵ってほんとうにすごいよね。制作の過程で、psdファイルのしくみみたいなものに、すこしだけ触れられて、顔見知りくらいの感覚になれていたことも大きい5日目)。
イチからここまでひとりでやってみて、ほんとうによかった。

これらを表紙など含めて20ページとすこし、用意した。

余談だが、表紙+裏表紙のファイルに関しては、どれくらい「バッファ」をとればいいのかよくわからなかったので、担当の方にその旨を伝えてお願いしたところ、「こちらで調整しますよー!」とお返事いただいた。やさしい。もしかすると、プロにとってはこんなの、朝飯前で当たり前のことなのかもしれない。わからないけど。だけど素人のわたしには心強かったし、なにより、あたたかい気持ちで数日、過ごすことができた。じぶんもちゃんとお仕事しなきゃ、とおもいました。ほんとうにありがとうございました。

あとはソファにこしかけて、静かにはぜる暖炉みたいな、たのしみな気持ちだけをみつめて、数日過ごせばよい。
いよいよものが手元にとどくのだ!

3. 完成品が届く

おねがいしてから数日後、わたしのてもとにわたしの絵本がとどいた。

冒頭にも貼った、表紙。
最後の見開きページ。

すばらしい。そしてふしぎだ。だって、わたしの頭のなかにしか存在しない文章と、ぼんやりとしたイメージが、AIと、一生懸命お仕事をするひとびとのおかげで、現実世界にたしかに、絵本というかたちで存在するのだ。

4. 物理的な存在

物理の世界とはなんのために存在するのだろう。

「そもそも、物理がまずあってこそ、精神があるのでは?」というのが一般論だろう。大人の意見だ。そして、どんなに時代がくだっても、おそらくそれは正しい。
だけどいったん、このお話はおいておこう。
物理的に日が暮れてしまうから。

5. そのあとのこと

せっかく絵本ができたので、わたしはそれを身近なひとに見せたいと思った。そもそも、この絵本は、わたしのもっとも身近なひとに向けてつくったものだからだ。

数冊印刷をしてもらったが、この一冊だけ、手書きのメッセージを添えた。

とても喜んでもらえた。わたしのひとりよがりに付き合ってくれる人間はいない、と冒頭で書いたけれど、このひとだけは、そして、わたしの家族だけは、物理の世界にたしかに、存在している。


その後、わたしはこのnote群をマガジンにまとめ、QRコードを印刷して、裏表紙にくっつけた。わたしの文章は気に入ってもらえなくても、過程や手法はたしかに面白いと思っている。時節的にもね。絵本って――というより、人間って、わたしって、ずるくていじらしいものだな。

こんなの。

ちょうどこれをコンビニで印刷したあと、そのままわたしは馴染みのお店にコーヒー豆を買いに行った。わたしの好きなお店だ。
すこし時間があったので、ついでに一杯、コーヒーを飲みながら、ふたりのご主人たちとおはなしをしていた。たしか、動物たちの話をしていたのかな。

わたしはお店を出ようとして、店内を振り返って挨拶をし、ドアのほうへ向きなおった。その10秒ていどのあいだに、信じられない量の雨が降り出していた。思わず笑っちゃうような、『マディソン郡の橋』みたいな偽物の雨だった。
「通り雨でしょう」とだれかがいった。

しかたがないので、テイクアウトでもう一杯作ってもらうあいだ、わたしは夕立をみながらぼんやり座っていた。その間、何を考えていたか、もう忘れてしまった。

テイクアウトカップができるころにはもう、雨はすっかり止んでいて、雲の切れ間から日差しさえ見えた。その蒸し暑い日差しはなんだか間が抜けていて、いとおしく思えた。
そんな理由で、わたしはこの絵本をご主人に渡すことにした。読んでもらえたらいいな、と思って。

2週間後、またお店を訪れたとき、ありがたいことに感想をいただいた。しかも、お店にわたしの絵本を置いてくださっていた。
ありがとうございます。
ふたりのご主人たちは、それぞれ、対照的かつ共通点のある、心のこもった感想を伝えてくださった。おふたりのやさしさに、うれしい気持ちで一日を過ごしたことを今でもおぼえている。

まさにこの絵本で書きたかったことが、書いたことが、そこにあるというのは、ふしぎな感覚だった。もちろん、大人ぶって一般論を持ち出すなら、それは当たり前のことなのだけど。わたしはやっぱり大人には、なりきれないみたい。

物理の世界に何かを存在させるというのは、こんな意義がある。
だけどやっぱり、それを捉えるのは、あなたの精神世界のしごとなのだ。

AIもお仕事も、日々の生活も、意義のある、敬意の払われるべき、連続性をもった物理法則なのだ。あらためてそう思った。

敬意が払われるべき理由は、なにも、その連続性のみに――あるいはその法則性のみに――起因するものではない。
この世には無数の精神の世界があって、それらが様々な過程をたどって物理の世界に顕在するということ、そのいとおしさと、いじらしい悲しさが、敬意の正体であってほしい。お金や、正しさよりも。

そして、今回の絵本は、大部分が、「そうあってほしいなぁ」という内向きなエネルギーによって完成した。これでようやく、このnoteはおしまい。
読んでくれた方、ありがとうございました。
あなたの住んでいるところが、明日きれいにに晴れますように。

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