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私は、愛を、知っている

涙が溢れる。

「しにたいです」「とびおりちゃいたい」

そんな陳腐な言葉を繰り返すより他に、私の苦痛を表す方法が見つからなかった。

それは今日のカウンセリングでのこと。

飛び降りたい?と先生が聞く。うん、と私は答える。

「サッカーしに行くんです、みんな」
「サッカー?」
「はい、金曜日は友達みんなが運動がてら一緒にサッカーしに行くんです。だから、いつも友達といる部屋は、私1人になる」

「だから、飛び降りれるなって」

うーん…と先生が長い相槌を打った。その後幾つか質問をされたような気がするが、哀しいことにあまり覚えていない。

まるで冬の湖面を揺らすように、私の意識を起こしたのは、先生が発した言葉だった。

「でも、わかっているんだよね」
「友達があなたの事を止めようとする、そういう気持ちがあるのを分かっているからこそ…空木さんは友達がいない時を選ぶんだよね」

涙がもっと溢れてきて、仕方がなかった。

そうだ。私は分かっているんだ。私がこの世から消えるのを全力で止めてくれる存在がいるのだという事を。

その存在は大学の薄暗くて楽しい溜まり場に。
病院に。
カウンセリングルームに。
画面の奥に。

…そして、家にも。

知っている。私は愛されていることを。

知っていた。知りたくなどなかった。認めたくなかった

だって、私は、暴力を知っている。
そこにいる大人が、怒鳴ったり、蹴ったり、叩いたりしてきたら、どれだけ恐ろしくて、どれだけの無力感を覚えるか、知っているから。

愛されていることなど、認めたくない。だって、「辛い」「悲しい」と口にした時、その人より(見た目)辛い人を引き合いに出して、言葉を絞り出した口を塞ぐ大人がいる事を、この文章を読むあなたも知っているでしょう?

それでも。

知っている。私は愛されていることを。

認めたくない気持ちはあるけれど、やっぱり、私をみていてくれる優しい人たちがいることを、否定したくなんかなくて。

私は、愛を、知っている。

それに生かされてきた。それに殺されそうになる時もあった。それでも私は、愛情というものを体験して、ここまで成長してきた。そうでなければ、死んでいた。

…何を書きたかったのか忘れてしまった(もう本当に解離性障害イヤなんですけど)。

…じゃあ、今日のところは、おしまい。

もう少し、生きてみることにする。

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