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愛を求めてはいけない相手。

この記事に登場した教授とのお話。


「おっと、そこは書いちゃいけないよ」

そう言われて私は訝しげに手を止めた。体調を崩した私が再び教授の元を訪ねた日のことだ。

グラフを書いてくれ、と言ったのは教授の方だった。彼は、横軸に「時間」と書き、大学1年, 2年, 3年, 4年と目盛を描いた。縦軸の方には「調子」と書かれていた。「ここに君の調子がどう変化したのか描いてくれよ」と彼は言った。

(教授もきっとわかっていただろうが) 多くの人にとって、人生を時間ですっぱりと区切ることは難しいのではないだろうか。私もそうだ。大学でのことを語るなら、まずは高校について語らないと話が全くつながらない。だから、大学1年、と書かれた目盛の左横に「高校」と書こうとした。そうしたら、止められたのだ。

「全くもう、だから僕はわざわざグラフを『大学1年』から始めたんじゃないか」と彼は笑った。私はうまく笑えなかった。

高校生の時、もっと言えば大学受験の前日に、私は自殺しようと決した。生き残れたのはたまたまだ。中学生の時、初めてリストカットをした。感情がスッと解けていくような気分だった。家が荒れているというより、母が荒れることが多かった印象がある。叩かれて蹴られたのは懐かしい思い出だ。

彼には以前、私が解離性障害であることを打ち明けた(ブログ冒頭の記事)。その時に言われたのが、「僕はもう50年も生きているから、いろんな人を見てきているの。だから、今の君の話を聞いて、大きく負担になったり『うわぁぁ』となったりすることはないから、安心して」…という言葉だった。

調子を崩してから、頻繁に連絡をくれた教授に、私はメールで自分が虐待を受けたことを打ち明けた。返事はあったけど、虐待についての言及はなかった。何度かのやり取りを通じて、教授は何かしらの意図があって、スルーしているのだと直感した(正解は分からないけど)。

と、いうのも。以前教授が私に話した。「最近は親と縁を切るなんて人もいるからなあ、嫌だなあ、悲しすぎるよ、そんなこと」と。家族が縁を切るということは、彼にとってはあり得ないことなのだ。だから、私は、なんとなく察した気分でいる。もしかしたら違うかもしれないけど、多分、虐待問題・家族問題は、彼にとって実際「大きく負担になったり『うわぁぁ』となったりする」話題なのだ。だから、グラフを書くときも高校以前の話を私にさせなかったのだ。…それが本当かどうか聞く術は私にはないけれども。

…それならば至極真っ当である。正解である。

私から私の家族について聞かないこと。私の幼少期を語らせないこと。それが、健康的な境界線の引き方なのだ。

「ちょっと寂しいぐらいが正常」という言葉を見かけたことがある。なんて正しい言葉なのだろうか。

だって、私の話を聞いて、教授も潰れてしまったら、それこそ本末転倒だ。助ける側こそ、自分の身をきっちりと守らないといけない。

そもそも、相手は心理職じゃない。医者じゃない。だから、具体的な助けを求めていい相手ではない。相手は、家族でも、友人でも、ましてや恋人でもない。そもそも私は家族に頼れないどころか、友人や過去の恋人にもうまく頼れなかったわけだけど。

…まあそれはともかく、相手はただ学問を教えることを生業としている人なのだ。私が愛情を求めていい相手ではないのだ。そんなことすらわからず、たくさん甘えてしまった。今度ちゃんと謝罪できたらいいな。

考えてみれば、そんなことだらけだ。私は愛情を求めるべきでない相手に愛情を求めてしまったのかもしれない。

…じゃあ私は、誰に愛情を求めたら良かったのだろう。


多重人格を持つ私は、人格たちが出てきてはいけない環境で出てこないように、コントロールしなくてはいけない。特に4歳の「星凪(せな)」はひょこひょこと私を遮って表に出てきてしまうので大変だ。

家で一人の時、せなは安心して外に出てくるし、私もそれを止めたりはしない。お風呂上がり、体を拭いている時に、せなが出てきて小さな声で訊いた。

「せなちゃんのママはどこ?」

衝撃だった。多重人格はせなだけではない。せなの面倒を見る人格は私含めて4人いる。それでも、せなちゃんは欲しいのだ。全てを受け入れてくれる、いわゆる母なる存在が、欲しくてたまらないのだ。

…彼女は、誰に愛情を求めれば良いのだろう。

彼女は必死に「ママ」を探す。でもそんな存在はどこにも見当たらないらしい。他の人格たちもせなの面倒をよく見るし、わがままを訊いてあげたり、よく褒めてあげたりもする。しかし、それでも足りないらしい。きっとせなちゃんも4歳なりにわかっているのかもしれない。他の人格たちは自分とは対等の存在で、何もかも受け入れてもらえるわけではないのだということを。

…では彼女は、いったい誰を探しているのだろう。


ねぇ、神様。

『私たち』は、誰に愛情を求めれば良いのでしょうか。

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