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【妄想エッセイ】「大好き」がたくさんある家で

田舎の古民家に住み始めて、何度目かの夏を迎える。住めば住むほど、この家に出会えてよかったなぁ、大好きだなぁ、と思う。胸が高鳴るというよりは、ふとしたときにじんわりと愛おしくなって、手を合わせたくなる感じ。

どんな大雨にも大雪にも雷にも強風にも耐え、住む人々を守ってきた、静かで威厳ある佇まい。
引き戸をカラカラと開けると広い玄関土間があり、木が燻されたような、焚火に似た懐かしい匂いが家全体に広がっている。
一続きの広い畳の部屋は夏でもひんやりとしていて、ここで生まれ、亡くなった数々の人も同じような温度を感じていたのかな、と思う。外を見ると、そこには日当たりのいい縁側があって、縁側を降りたところに使い込まれたつっかけが転がっている。庭の家庭菜園の野菜たちは、昨日より少し背が高くなったようだ。
台所の洗い場は広めで、作業をしながら目線を前に移すとすりガラスの窓がある。毎朝ご飯を炊く土鍋、シンプルな片手鍋、煮炊き物やカレーを作るときに使うホーロー鍋といった、よく使われる鍋たちが手の取りやすい棚に行儀よく並んでいる。大小ふたつのフライパンはコンロの近くのフックにかけられていて、洗った後は大体すぐに水滴がついたまま定位置に戻してしまう。最近、そこに以前から欲しかった蒸篭が仲間入りした。蒸し料理は野菜が甘くてとってもおいしいし、子どもたちのお弁当をつくるとき、おかずの温め直しにも最適だ。ついでに卵を入れておけばゆで卵もできる。電子レンジと炊飯器がないと不便かなぁと思っていたけれど、意外と何とかなることがわかった。冷ご飯をあたため直すのに少し時間がかかるけれど、それはそれでその間に食器を拭いたり、他のおかずの準備をしたりしていたら気にならない。温まるのをわくわくと待つ心の余裕ができてきたのだろうか。
昨晩洗った使い勝手のいい蚊帳布巾やさらしが、布巾掛けでからりと乾いている。

この家に暮らし始めた時、とにかく台所のそこかしこに私の「好き」を散りばめようと思った。シンプルだけれど愛着のある調理器具、使い込んでふんわりとした布巾、古民家で営む大好きな民芸品のお店で買ったお気に入りの食器たち、作り置きおかずを入れるガラスやホーローの容器にいたるまで、数は多くなくていいのでなるべく気に入ったものを使うようにしている。もともと料理(というより自炊、の方が未だに感覚が近いのはなぜだろう)をすることが好きだが、お気に入りたちを集めることで、その時間がもっと愛おしくなった。そして、背中を見せながら作業をする、という昔ながらのこの台所のつくりも、なんかいいなと思う。
誰かを家に呼んだときは広い和室の机でご飯を食べたりもするけれど、家族の食事はたいてい台所に置いたテーブルで済ませている。平日の昼間、自分一人、または不規則勤務で昼から休みの夫と二人で食べるときは、天気がよければ縁側に行ったりもする。縁側ランチ、最高。ちなみに、大人がそんなだから、子どもたちもよく縁側でおにぎりやお菓子を幸せそうに食べている。あえて言うなら食べた後のごみやお皿を片付けてほしい。

考えると、昼ご飯を家で食べられる暮らしなんて数年前までは想像できなかったなと思う。夫一人が昼ご飯を家で食べることは以前からあったけれど、私は職場にお弁当を持っていき、デスクで誰と話すこともなく食べることが大半だった。スマホをいじりながら、本を読みながら、切羽詰まっているときはパソコンのエクセルデータなんかを見ながら。前の仕事をやめてフリーランスのエッセイスト兼ライターになった今は、お昼ごはんの時の流れが随分緩やかになった。

そんな「大好き」がたくさんある家で早起きして、家族がまだ寝ている間に縁側で朝のヨガをしたり、読書をしたり、こんな記事を書いたりする時間はとても心地よい。初夏と言えどもこの地方の明け方はまだ少し冷えるけれど、このしんとした空気が好きだ。新鮮な空気をたっぷり吸いこんで、1日が始まる。
手作りお味噌を使った味噌汁を仕込み、ご飯を炊いている間に夫や子供たちを起こす。末っ子はまだおむつをしているので、布おむつの洗濯もある。上の子二人は自分のことをほぼ自分でできるようになって、だいぶ手が離れてほっとしている。でもあっという間に大きくなってしまって少し寂しい。

家族皆でご飯とお味噌汁の朝ごはんを食べ、身支度をして、一番上の息子は小学校へ、下二人は車で保育園へと向かう。今日は出勤が遅めの夫に保育園の送りを頼み、私は洗濯物を干すことにした。午前中、「夢を叶える妄想エッセイ」に申し込んでくれたお客さんとのオンライン面談が控えている。今日の方はどんな夢を抱いているのだろう。この仕事を始めて、自分が描いたことのないような夢をたくさん聞かせてもらった。仕事のことを話す人もいれば、大切な人ととにかく幸せに暮らしたい、という人もいる。「夢なんてわからないです」という人も多いから(というかそれが大半かも)、何気ない会話からその人の「好き」「やりたい」を見つけ出す意識も随分高くなった。それを言葉に紡いで、その人がイキイキと生きるのを想像できたとき、こちらが幸せになるから不思議なものだ。実際、その人に必ずしも私の妄想エッセイがヒットするかは定かでないけれど、ほんの一片だけでも、「あ、これ私好きなんだ。」が見つかるととても嬉しいな、という思いで続けている。ちなみに、誰かがその人自身を生きる想像ができたとき、大体私は縁側で空想にふけっている。それだけ縁側が好きなのだ。空想をする上で縁側ほど心地よいところはない。冬はとっても寒いけれど。

面談を終え、昼ごはんの後20分ほど縁側でお昼寝をして午後の仕事をする。先日取材に行った、小さなカフェ併設の雑貨屋さんの記事。キラキラとした小さな手作りアクセサリーからかわいい文房具、子ども用のヘアアクセサリー、ベビー服なんかもあって、大人から子どもまで楽しめる、とにかくかわいいが集まったお店だった。横には洋菓子を扱う小さなカフェが併設されていて、シンプルなガトーショコラが絶品。子どもたちも食べられる優しい甘さだった。赤ずきんちゃんのようなメルヘンなイラストや愛らしい動物、花なんかが描かれたアイシングクッキーは、子どもたちが目をキラキラさせて選んでいくことも多いという。そして何より、上品な小花柄のワンピースを身にまとった店主の女性がとってもチャーミングでかわいらしく、本当に癒しの時間だった。ピアノの発表会を終えた幼い子が親御さんに連れられてご褒美に訪れるような、でも普段からも入りやすい気さくさも合わせ持ったような、そんなお店。まだまだ知らない素敵な場所がたくさんあるなぁと思う。

店主の人との楽しい会話を思い出しながら記事を書いていたら、あっという間に夕方になっていた。学校が終わった息子がそろそろ帰ってくる。多分おやつだけ齧ってすぐにお友達の家に飛び出していくんだろうけれど。宿題は友達の家でやってくるんだろうか。
今日は夫が泊まり勤務なので、夜は少しバタバタだ。保育園のお迎えに行き、帰るとわかっていながら遊具で遊び続ける子どもたちに付き合い、帰ってきたらきょうだい全員のお腹空いた攻撃を食らいながら準備をして、何とかご飯を終えたら順次お風呂。意外と一番上が上手に末っ子のお風呂を担当してくれてだいぶ助かっている。ありがとう兄ちゃん。

そんなこんなで今日もお疲れさまでした。下二人を寝かせ、やっぱり宿題をしていなかった息子に付き合い、無事に1日が終わった。寝る前に私はまた縁側に向かう。水を張ったばかりの田んぼから、かえるの大合唱が聞こえた。初夏、この空気が震える感じが昔からどうしようもなく好きなのだ。目を閉じて、かえるの声に自らの身体を溶け込ませた。心が静かになる。生き物たちの命の力とともに、なんとなく切なさを感じる時間。この家と同じように、昔からこの世界が広がっていたんだなと思うと、日々湧き上がる些細な悩みやイライラなんてちっぽけだなと思う。

ああ、生きていてよかった。今日を終えられたことに、心から感謝しよう。

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以上、「なりたい自分」というテーマを見て、思いっきり妄想エッセイをしたためてみました。とてもとても楽しかったです。こんな暮らしがしたいんだな、と改めて見えてきた気がします。


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