【親の好み=私の好み】だと洗脳されていることに気づけ
ここでいう「好み」とは「もの・ことに対する好き嫌い」を指すと定義して、まずみなさんにひとつ質問をしましょう。
好きな食べ物はなんですか?
いつしか自己紹介の定番として聞かれることが多いこの質問。今、読んでいるあなたの好きな食べ物を考えてみてください。
十数年前、当時小学生であった私はこの質問に酷く頭を悩ませたことを記憶しています。理由は、そもそも「好きな」食べ物の意味が分からなかったのです。
「好き」とはなんだ、何をもって「好き」とするのか、この答えが全く分からなかったのです。
そんなわけないだろうと思う方も多いことでしょう。
元々、食べ物に対して好き嫌いはありません。野菜全般OK、甘いのもOK、果物全般OK、小学生が嫌いといいそうなものは一通り食べられる部類でした。強いて言うなら納豆ですが、家族も祖父母など身近にいる家族は全員嫌いだったので、食卓の場で食べることを強要されることはありませんでした。ただ、これが食べれたら嬉しいだとか死ぬ前にひとつだけ食べられるものがるならばこれだとか、そういうものはありませんでした。
つまり、全部の食べ物に対して「嫌いではない、食べられるが、特段好きでもない」というのが当時の私でした。冷めた子供だったと思います。
ちなみに、今「好きな食べ物は?」と聞かれた時は答えられます。
チーズとワインを筆頭にイタリアン系全般です。
お酒を飲むようになってから、というより友達と自分のお金で自由にご飯を食べに行く機会が増えた頃からなんとなくものの好みが確立されたように思います。お酒と合うものは全般美味しいもの、好きなものです。
しかしふと昔を思い出すと、好きな食べ物の話題を始めとして、好みに対して自分の意思がなかったように思うのです。
好きな食べ物、好きな服、好きな人 等、自己の意思が反映されるようなものにこだわりがなかったのは一体何故なのだろうか。
考えられる理由は大きくふたつあります。
ひとつは単に興味が無いから、です。恋愛に関して言うならば、小学校時代はもちろん、中学校に進学した時も好きな人の1人もできませんでしたし、何故そんなにみんなが色恋話に興味関心があるのか理解できませんでした。恋愛というものに興味がなかったのでしょう。
かといって全てに興味がなかったわけではなく、当時習っていたクラシックバレエと嵐は私の人生の支柱でした。それらに関わっている時だけはとても人生が充実していましたね。勉強もそこそこ楽しくやっていました。
本命の理由はもうひとつの方で、親の好きな物を好きと言っておいたら無難だったから、です。
昔から〇〇しなさい、〇〇でしょ、と言われることが多かったため、一対一方式で「〇〇はこういうもの」という方程式が固くインプットされてしまっていたように思います。
私の母親はいかにもThe・女の子といったふりふりの洋服だったり可愛らしい配色のデザインを好みました。私自身は特になんでもいいというか、着てくれというなら着るといった感じだったのですが、妹はあまり好きではなくてよく拒否していたので、母親がグチグチ言っていました。
食卓に並ぶご飯も基本母親が作ります。あれがいや、これがいやと言っていたら明日からご飯が出てこなくなる可能性があります。黙って食べておけば何も起こらないし、という様子でした。父親がかなり好き嫌いの多い人だったので、またしても文句を言っていたのを覚えています。
つまり、母親が第三者に垂れる文句を自分に向けさせないために自己を殺し続け、言われたものをそのまま受け取る生き方を無意識に選んでいた、というのとになるな、という結論にたどり着きました。
長い物には巻かれろ精神というか、事なかれ主義というか、とにかく神経を逆なでしないように生きていたのだな、私。
人の前で自分の感情むき出しでいることの子供っぽさと不格好さは母親から学びました。それは世渡り処世術として知っておいてよかったと思います。
今は一人暮らししているので本当にストレスフリーです。距離を置く大切さもここ数ヵ月で痛感していますね。
家庭でも学校でも会社でも、無意識に自分へ害を与えてくる人間に覚えのある方も多いと思います。悪いことはいいません、できるだけ離れてください。心の距離も、物理的距離も。こっちがいくら防いでも容赦なく突っ込んでこられるので。
気張らず生きていこうな。