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ご機嫌伺いの人生を辞めてみたら。


 経済的に自立できない子供にとって、親の言葉というのは多大なる影響力をもたらす。それが例え人格否定に値する罵詈雑言だったとしても、だ。

 自分の親が今流行りの毒親に分類されるのかは定かでは無い。しかし、家に帰るという行為が昔から苦痛を伴うことは事実だった。家にいるという行為がストレスでしかなかった。
 中学生の時は少しでも長く外にいるために、最短距離で通学路を通った時にかかる時間の倍を費やして遠回りしていた。校則違反だった小さな音楽プレイヤーを人気のないところで使っては、自分の世界に引きこもった。塾には学校から直接徒歩で向かえるところにして家に帰らない口実にした。
 高校生の時は18時まで授業があったことと土曜日も授業があったことでそもそも家にいることが少なかった。日曜日は模試に行ったり図書館に行ったりして勉強を口実に家にいない理由を作った。
 大学生はバイトに明け暮れ、研究室をコアタイムがしっかりあるところにすることで家にいない理由にした。中高生時代に比べてお金があったし、通学時間も往復で4時間という距離を毎日移動していたため、夜遅く帰ってきても何も言われることは無かった。
 全てを嫌っている訳では無い。子供として一通りのことはしてもらったし、感謝はしている。でも、親の誕生日や父の日、母の日を目一杯祝ってあげようと思ったことは残念ながら一度もない。世間体と親のご機嫌を取るためにそれっぽい真似事をしているだけだった。友達や恋人にプレゼントをあげる時のような相手のためにプレゼントを考える時のワクワクする気持ちやお礼を言ってくれた時の高揚感を感じたことは無い。どこまでいっても同じ家に帰ってくる同居人、程度の感覚だった。今でも「家族」から感じる温かさというものを理解できたことは一度もない。

 親にとって気に入らないこと、不本意なことをすると殴られ蹴られることはどうやら普通ではないらしい。真冬の夜空の下で薄っぺらいトレーナー1枚で放置されることも、玄関に3時間も正座させられることも、部屋をめちゃくちゃにされることもないらしい。私にとって、親のご機嫌を伺うことは息を吸うことと同じくらい必須項目だった。生きていくのに必要な技能だった。お陰で人のご機嫌や顔色を伺うのはとても得意だ。まるでオーラが見えるかのように表情と態度が色めいて映る。危険を察知すると胸がざわざわして鳩尾あたりがズンと重くなり、吐き気がしてくる。だいたいは自分の部屋に逃げて勉強している雰囲気を醸すかお風呂に入ろうとするかお手伝いなどして茶を濁す。扉越しに聞こえてくる母の声は恐怖でしかなかった。
 勉強が免罪符のような扱いだったのは、勉強のできる優秀な娘という肩書きが母の心を潤わせる因子だったからだ。母が大学に行ったり懸命に勉強したりことができなかったからそれを私に求めた。勉強するという行為が苦にならなかったのが幸いした。
 いい子を演じた。母が求めるような隙のない人間像になりきった。逆らわず、穏便に、就職して家を出るまでの辛抱だと。成績優秀、運動神経バツグン、友好関係もいい、行事では目立つポジションで、大人の前でニコニコしている愛想のいい女を作り上げた。作り続けた。

そして、ある日突然、糸が切れたようになにもできなくなった。

 大学4年生の冬だった。卒業論文前の時期に不眠症とストレスで精神が破壊された。それでも親から見れば、見かけ上は普通に学校に向かう人間を演じることができていただろう。地面の下からありもしない手に掴まれて、身動きが取れなくなってしまったかのような倦怠感に負けることは親からの期待に反することになるからだ。そんな地雷を踏むくらいなら足がちぎれようとも家から出る他ない。しかし、なんとか家から脱出できようとも大学で勉強する気力なんぞ残っているはずもなく、適当に時間を潰していた。何をしていたのかはあまり記憶にない。泥沼の日々だった。人と話すのが苦痛だった。話し声ですらうざったく、笑い声が聞こえると舌打ちが漏れるほど。夜が来ると不安と苛立ちで寝られない症状は今も時々やってくる。

 それからは人の顔色を伺うことを辞めた。自由に生きることにした。色々調べまくった結果、それが妥当な判断に陥った。人当たりのいいことを言うのはただの八方美人にしかならないことを知った。
 それからしばらく親と会話をしないようにした。ストレス因子から目を背けてみると思いの外人生の生きやすさを知った。
 半年後になんか母から突っかかってこられたが、言いたかったこと全部叫んで全部言ってやった。

うるさい

だまれ

何も言わないからって何も思っていないと思うなよ


 この一件以降は付かず離れずの距離感で上手くやっている。最初で最後の反抗期はたった半年で幕を閉じた。
 この春から無事入社し、初の一人暮らしがスタートした。家族のことを考えずに自分の力だけで生活できることの充足感は想像以上の幸せだった。自分のやりたいことはなんでもできるというのは晴天の空を突き上げるほど開放的だった。

 以上、私史上最大の挑戦

『親に逆らう』

 先日からnoteを初めたことも、物書きとしての将来を考え始めたのもある意味挑戦だろう。

 しかし、あの時精神崩壊していなかったら、立ち上がれていなかったら、親の呪縛を振り切れていなかったら、今の私はここにいないから。

 挑戦は人生をいくらでもやり直せる。


 

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