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「いい生き方」をしなくてもいい

人はだいたい、いい生き方に憧れるものです。

朝早くに起きて、ジョギング。家に戻ってシャワーを浴びて、スムージーを飲んで、ヨーグルトとバナナを食べて、出勤。昼は近くのおしゃれなカフェでランチ。少々残業をして、帰りにコンビニでスイーツを買って、晩御飯の後に食べて舌鼓。ちょっとだけ晩酌してみてもいい。いい香りのする入浴剤で気分をリフレッシュさせて、風呂上がりにストレッチして、寝る前に今日の日記を書き留めて、眠りにつく…

勝手な偏見でいい生き方を語ってみましたが、こういう憧れのシチュエーションが誰しも1つや2つくらいはあるんじゃないでしょうか。


身近な例だと、昨日の夕食を食べるときにふと思ったことがありました。

鍋に味噌汁が残っていてこれを食べたいんですが、どうやって温めようか。
この場合、鍋ごと温めるのがいい生き方なんでしょう。しかし僕は我慢できず、汁椀に冷たい味噌汁を入れて、レンジでチンするという選択を下してしまいました。

いやあるいは、きちんと味噌汁を作っている時点でそれはいい生き方なのでは、と言われるかもしれませんね。まあ僕が作ってるわけじゃないんでちょっと答えにくいところですが、今であればレトルト味噌汁もいろんな種類のものが売ってますし、合わせ味噌をコップに入れて、そこに乾燥わかめを入れてお湯を注げばズボラ味噌汁だって完成します。

でも工程はともあれ、どれも「温かい味噌汁」であることに変わりはありません。しかも、作った本人からすると一から出汁を取った味噌汁とズボラ味噌汁には雲泥の差があるけれど、周りから見たらほとんど違いなんてないかもしれない。

結局「いい生き方」って、だいたいが主観なんです。健康や美の意識が高い人の典型から自らの行動の理想を規定して、それを達成できたときに「いい生き方をしてる!」と自己満足にひたるわけです。
その矢印はほとんどの場合、自分に向いています。別にいい生き方をしなかったところで友人や家族が悲しむわけではありません。


だから疲れたときには、いい生き方なんてしなくていいんです。いつも頑張ってるんだったら、少しぐらい妥協したって構わないんです。

肩の力を抜いてみましょう。そして、何はしなくてもいいかを考えてみましょう。心と体の健康が保持できているなら、やらなくても問題ないものであるはず。

極限まで無駄を抑えて、コンパクトに。「いい生き方」とは真逆のことを、大胆にやってみる。

僕は根っからこちらのタイプの人間です。朝食に出てくるパック入りの納豆を、父は別の食器に移して、納豆混ぜ棒で混ぜて食べるんですが、僕はそれを横目にいつも容器のまま混ぜて食べています。時々底に穴が空いて萎えるけれど、それもご愛嬌ということで。


納豆をそのまま食べる人はわりといそうなので、ほかの例をひとつ。
僕は以前、ニンジンを生で丸齧りしたことがあります。

冷蔵庫の中のものを好きに食べていいと言われたからでした。朝昼に野菜をほとんど摂っていなかったので緑黄色野菜を体に入れないとと思っていた矢先、橙色のそれが目に留まりました。

食べたい、しかし調理はしたくない。そんなときニンジンを丸ごとディップする画がふいに浮かびました。

(これもういっそ、バーニャカウダってことにしたらよくないか…?)

というわけで、マヨネーズをつけてボリボリ食ってたわけです。それはもう、馬みたいに。

ニンジンを分けてくれないスペちゃん

こんな適当な食事も、たまにするくらいならいい話の種になるくらいで、特に健康に影響もありません。

疲れたときには、気楽に雑な生き方してみても楽しいですよ。
これまで見えなかった新しいものの価値に気づくことができるかもしれません。

おわり。


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