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生きることは表現すること

正月に風邪をひくことが多いのだけど、今年もひいてしまった。
風邪ってのはひき始めの、のどのいがいががいちばんつらい。本格的にひいてしまえば、熱が出ようが、くしゃみ・鼻水が出ようが、咳が止まらなくても案外どうってことはない(多少はどうってことあるけど)。

しかし、ここ数年はどかんと風邪をひくことができず、真綿で首を絞めるようなひきかたをする。
風邪かなと思ってから24時間たっても、のどにほこりが詰まったようないがいがが続いている。熱、鼻水その他も出ない。
その代わり、しぶり腹がずっと続く。以前インフルエンザにかかったときもそうだった。
病気で腸がいまいち働くなってから、こうなった。だから風邪はひきたくない。

しぶり腹だから落ち着いて寝てもいられないのだけど、今日はなにもする気がなく、近所に買い物に行った以外はずっとベッドで本を読んでいた。
果物と甘いものが食べたかったので、一つで両方が叶ういちごのタルトを買いに行った。

本を読み終えてしまうと、手持ちの本がなくなってしまった。
しょうがないのでスマホを見たり、しぶり腹なので(ひんぱんに)トイレに行ったり、ちょっとうとうとと眠ったり。
ゴロゴロしながら、今年の抱負ってのはいちおう考えたほうがいいのかしらんと思いつつ、そんな気も芽生えず。
具体的な目標は毎月立てているのだけど、去年の手帳を見返したら、目標を達成しているのは3分の1にも満たなかった。

目標達成とは逆に、去年やめたことはある。意図したわけではないのだけど、フェイスブックの閲覧とお酒をやめた。
フェイスブックにはなんの恨みも批判の気持ちもないんだけど、見るのをなんとなくやめた。
お酒も飲みたいなという気持ちはあるのだけど、ビールなんかを買おうとしても体が拒否するので、なんとなく飲まなくなった。たまに友人と外食するときなんかには飲むだろうし、夏になったら毎日ビール! になるかもしれないけど。

10数年前にタバコをやめたときも、こんな感じだった。禁煙しようと思っていたわけではないけど、のどがものすごく痛くなる風邪をひいたときにタバコが吸いたくなくなって、そのまま風邪が治っても吸わなくなった。

自堕落な自分を言い訳するわけじゃないけど、なんとなくって感じのほうがわたしの場合はいい結果が出ることのほうが多い。気負ってしまうとだいたい空回りする。
気負えば気負うほど周りをいらっとさせるし、自分が壊れたこともある。

2018年もなんの目標も達成できなかったけど、自分なりにいろんな経験をしたと思う。
安全地帯にいればとてもラクなのに、わたしはわざわざいろんな経験をしに行く。なんだかわからないけど、そうしたいんだと思う。

前向きではない意味での居心地がいい場所に居続け、自分のできる範囲の外に出なかったら……。愚かなわたしはちがう世界を知らないままに、自分がすごいとかデキるとか勘違いしてしまうだろう。
安全地帯から外に出ないことはそれはそれでべつにいいとは思うのだけど、そうやって耐性をつけないままで今後生き続けられるかはわからない。
べつにわたしは耐性をつけたくていろんな経験をしているつもりはない。ただ、小さな冒険すらしないで偉そうなことはあんまり言いたくないとは思うのだ(昔の自分はそうだった)。

プライドがへし折られることだってあるし、悔しかったり理不尽な思いをすることもある。だけど、わたしもどこかでその逆を人様に対してやっていると思う。所変われば品変わる……、ってちょっと違うか。

最近、生きることは表現することなんだなと思うようになった。生活も仕事もすべては自分が表現することなのだと。どんな立場でも、どんな職業でも。
甘いものしか食べたことがなければ、苦いものを食べたときの表現ができない。苦いばかりの表現でも単調だ。
自分を正直に表現しながら生きていくことが、わたしの今年の抱負なのかもしれない。

書いてみればいちおう今年の抱負が出た。やっぱり書くことはすごいですね。noteがあってよかった、ありがとう。

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