東大UTFRの梼原訪問紀行2024(高知県梼原町)
執筆:東京大学文科二類1年 HArU
AB型が多い都道府県ランキング第1位の高知県(2020)での教育活動の様子をご紹介する。訪問メンバーは私HArU(文科二類1年)、藤條先輩(文科二類2年)、K先輩(理科一類2年)、森田くん(文科三類1年)の4名。
学校訪問とは
学校訪問とは全国さまざまな教育機関へメンバーが赴き、講演会や座談会、相談会を通じて生徒さんと交流するというものだ。大学生、ないしは東大生が身近に感じられないという欠点を補うことを一つの目的としている。梼原訪問3日間の旅程の様子をお伝えする。
初日
私は夜行バスで東京から高知へ向かった。夜行バスを利用するのは初めてであったが、交通費を抑えられることが何よりの利点である。金欠学生の味方。なかなか眠れず、かなりグロッキー。翌日の地獄を覚悟した。
高知到着後、今回の訪問でお世話になる高橋さんが迎えに来てくださった。高橋さんは元校長先生で現在は教育事業に携わっている方だ。幾ばくか高級そうな車だった。その後、街を案内してくださった。
最初に訪れたのは坂本龍馬像のある桂浜。台風の影響で波が少し荒く、太平洋の力強さを感じた。と思いきや、基本的に荒波らしく、近づくことも危険とのこと。桂浜付近に車を停めておくと車の塩漬けができるので、機会があれば試してほしい。
物産店ではアイスクリンを喫した。アイスクリームというよりかはシャーベットで新鮮だった。
青龍寺に案内していただいた。四国に点在する空海ゆかりの仏教寺院、四国八十八ヶ所霊場の三十六番で、68代横綱朝青龍の名前の由来となった寺院だ。現代的で冷たい階段とは違い、段差が不均一な石段は温かかく、今と変わらぬであろう千年前の姿に思いを馳せた。
昼食に高橋さんの奢りで鍋焼きラーメンを食べた。金欠の私からすれば感謝してもしきれない。店内は町の食堂のような雰囲気漂う、古風な温かみのある印象。いただくのは初めてだったが、鶏出汁がよくきいており、あっさりとしつつも確かな味わい深さがあるスープだった。やはりシメは、スープにご飯を入れて食べるのが至福だった。
梼原に到着。廃校となった小学校を改装した友遊館に宿泊したが、部屋は教室一部屋分で広く、トイレも清潔で快適だった。
荷物を置いて、「雲の上の図書館」へ向かった。かの有名な建築家である隈研吾が設計した図書館で木材を多用した斬新でぬくもりのあるデザインが特徴的だ。おしゃれで綺麗な内装。特筆すべき点は本の配置である。出版社やジャンル、著者ではなく「悩みを解決する」や「学問を調べる」のような目的別に分類、陳列されていた。独特で面白い。
その後は会議室にて担当の方とも挨拶し、打ち合わせを行なった。軽く雑談したのち、時間があったので「ゆすはら座」を訪れた。ゆすはら座とは隈研吾が自身の原点としている建築物で神楽を舞う舞台である。木造建築であるにも関わらず、柱がないことが特徴的であり、木材だけで構成させる空間は神楽を舞う舞台として十分な尊厳さを備え、神秘性を演出している。
近くの公園で戯れたあと、梼原市役所とマルシェに行った。またしても隈研吾設計の建物らしい。共通していえることは木材を多用している点だ。非常に良さげな建物であった。
付近を散策し、図書館へ帰還した。ダッパン塾の塾生さん2人と交流した。UTFRの訪問メンバーは4人いたので交流の集団リンチである。一人は高1の女子で勉強計画の立て方やモチベーションについて相談を受けたのでメンバーの森田くんがヒアリングしながらアドバイスしていた。もう一人は同じく高1の男子。推しは自民党のようで自民党総裁選について熱弁してくれた。
一旦宿に戻ったのち、温泉に向かった。「雲の上の温泉」という施設で、これまた隈研吾(編注:UTFRのnote担当大臣であるNuNoは「隈研吾」が予測変換で出てこないため、何回も登場されてイラついております)の設計したもの。夜遅かったため、他の利用客はおらず貸切状態であった。露天風呂にサウナもあったが、サウナは暑すぎて一瞬で退散した。
お風呂上がりのアイスを食べた。あずきとバニラのアイスが美味であった。
その後は宿へ戻り、明日に備えて大人しく就寝した。
2日目
8:00に宿を出発し、梼原を観光した。石垣訪問で飛行機に乗り遅れただけのことはあって、少し遅刻した。(編注:彼は石垣訪問の際に飛行機に乗り遅れて参加が叶わなかったという凄惨な過去を持つ)
最初に行ったのは四国カルスト。ちょうどその日は霧が立ち込めていて、眼前には見たことのない景色が広がっていた。通常は霧がなく、あたりを一望できる場所で、放牧されている牛も見ることができるとのこと。とはいえ霧のある景色も一興である。歩くだけで靴の中が湿るほどの湿気だった。
続いて梼原の棚田へ向かった。ほのかに見える稲穂色が綺麗で、日本の伝統的な様式美を感じた。高橋さん曰く、棚田を管理できる人が年々、高齢化の影響により減ってきているらしい。
昼食は図書館近くのイタリアンでとった。雉料理も扱っているレストランで私はミートスパゲッティを食べた。料理が来るまでは国名山手線ゲームをして時間を潰した。
図書館へ戻り、準備完了後、私とK先輩は梼原学園を訪問するため出発し、残りの森田くんと藤條先輩が図書館に残って高校生と交流をした。
梼原学園は校舎がとても綺麗で、梼原町全体として教育に多くの予算を捻出しているようだ。アイスブレイクとして最初にペーパータワーゲームを行なった。ペーパータワーゲームは30枚の紙を使い、制限時間10分でいかに高いタワーを作り上げるかを競うゲームである。前日の夜に男子3人で試作してみた際は紙を蛇腹状にした後に丸め、筒を縦に積み上げていく方式でタワーを作った。
中学生5人を2グループに分け、最初に5分間作戦会議タイムを設けたものの、なかなか作戦が決まらず、苦戦している模様であった。私の見ていた班では机の間に棒状に丸めた紙を挟み、それを積み上げていく方式に落ち着いた。(後で禁止になった)平原先輩が見ている班は紙で作ったゴミ箱を積み上げていく方式をとっていたが、終了間近に崩れてしまっていた。
5分間の反省タイムを挟んだ後、2回戦目に突入。私のチームは昨晩試作した方法に行き着き、K先輩のチームは作成した紙のゴミ箱を紙の柱のジョイント部分に繋ぐ方式になった。かなり剛健な印象で、結果はK先輩のチームが僅差で勝利した。
生徒さんが必死に考えて工夫して、試行錯誤をしてくれて嬉しかった。
アイスブレイクの後は学問プレゼンを行なった。私は石垣訪問時と同じゲーム理論のプレゼンを行い、K先輩は人間の認識の仕方や錯視に関する内容をプレゼンした。私が予定時間を超過し、平原先輩の発表時間を大幅に削ってしまった。本当に申し訳ない。
プレゼン後は質疑応答をしたが、勉強に関する相談や大学についての質問が多かった。中学生だと質疑応答の時間に質問があまり出てこないことも多いので質問できることは素晴らしいことだと思う。
梼原学園を後にし、図書館へ戻った。ダッパン塾生および高校生と交流し、勉強や大学の話をした。
昨日と同じく温泉へ行き、就寝した。途中、代表のきい先輩にダル絡みの電話をしたが、楽しかった。
3日目
朝、図書館に荷物を置き、比較的図書館の近くにある三嶋神社と旧掛橋和泉邸へ行った。三嶋神社では本殿以上に、他であまり見かけない木造の橋が印象深い。京都嵐山の渡月橋と見紛うほどに風情溢れる橋で、名は神幸橋(みゆきばし)というそうな。旧掛橋和泉邸は江戸時代、旅人を泊める場所として使われ、旅人から外部の情報を得ていたらしい。また、志士を匿うための隠し部屋もあり、幕末の世界観を感じた。こちらは隈氏設計の建物ではないそうだ。(安堵)
次に土佐牛のイベントに出向き、高橋さんに土佐牛をご馳走していただいた。名物なだけあり、とてもおいしかった。高橋さんのお知り合いの方々がご挨拶にきてくださり、町長さんや町議会議員さんなどお偉いさんがいらしていた。大変恐縮で大変驚愕した。
図書館へ戻り、最後の交流活動を行なった。ダッパン塾生が3人参加し、最後には写真撮影をした。
高橋さんが高知空港まで送っていってくださった。4人で夜ご飯を食べて帰京した。
最後に
三日間を通し、高橋さんには送迎や身の回りの世話をしていただいた。本当に感謝している。加えて藤條先輩も梼原町の担当者の方との連絡や調整をしていただいた。ありがとう。本当にお疲れ様でした。
最後に今回のプロジェクトに関わってくださった方々へ最大限の感謝の意を述べる。機会があれば是非また高知県に来たい。