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人と音楽のあいだを満たすものについて

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人たちのかけがえのないいとなみと連動する音楽のことを考えたい。 音楽学者ではないけれど、いえ、だからこそ見えてくる音楽があるはず。音のない音楽のことや、自然のなかの音楽のことなど…
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#詩のようなもの

音を造形していく力

ひとつの音の楽曲の中の役割が見えてきたら、 それが全体の中で、その意味がなせるように 音の粒、ひとつひとつ、音の流れやいろんなフェーズで 音を形作っていく、造形していく力がいる。 それは彫刻のように立体的で、時間経過の中を生きる。 統合していくのが”私”の作業だ。 ときにそれは、自分の感情も、過去の痛みも 何もかもそこへ投げ出して、練り込んで (だって自分が持っているツールはそれで、 使えないツールはないんだから。) 時間の中に、造形していく。 その作業に優劣なんかなく

感覚は穴だ

感覚は穴だ。 自分の内面と外の世界を結ぶ双方向性に開いていて、とじられない穴。 外を知り、外と関わる。 入ってくるものを濾過するのは別の機能で 感覚にとっては、外の情報はざあざあと 私を洗い、 通り抜けていく。 ざあざあと入ってくる情報を自分の部屋で行き止まりにする 本能 優劣 嫌悪 共感 判断 それらが働くまえに 理解の回廊を建てる、少しづつ丁寧に細やかに 感覚はよろこんで情報というレンガを柱を運んでくれるだろう。 この暗がりでそだてるべきものは理解。 それ

死の向こう側の音楽

8月15日だった今日、二階の窓に綺麗な黒い羽を畳んでハグロトンボが止まっていた。窓を開けるとふわりと迷うことなく空いた隙間から飛んでいった。 生命の時間的な延長上に死がある。 死は次のサイクルでまた生命を宿す。 生の属性としての死。 そこには個人の感情の名残があって、 残された人はときどきふと好きだった歌を思い出したりする。 父がすきだったという夕焼けこやけの赤とんぼ・・ ハグロトンボはさらに空ふかく飛んでいって、 夜の中に溶けていく。 生命の属性としての死ではなく、

理解するための意識の流れ

解像度を上げるには、3つの質があるような気がします。 一つには、いろんな角度で対象を捉える。俯瞰 一つには、対象と対象の点ではなくて、あいだを開いていく。ドライブ感 一つには、対象と対象を結びつけていく有機的な流れに身を任せる。共感 いろんな角度で対象を捉える、この地点で、物事を感知する感覚は一本筋ではなくて、複数の回路を、それも交差しない純粋な一本一本の回路を、自分は持つことになる。 対象を生き生きと捉えるドライブ感、今ここ感は、生身の身体的感覚が生きる そして

音楽が透けて見えるもの 音楽から透けて見えるもの

音楽 が透けてみえるもの 音楽から透けて見えるもの 植物の成長プロセス、その葉っぱの広がり方や、茎と葉っぱの整ったリピート、葉っぱから花へのメタモルフォーゼ。 手仕事の中 論理を組み立てること, 論理が組み上がること お話が始まって冒険に出かけ、巨大な敵と戦って お姫様を助け出すまでの道のり 異質なもの同士が出会い、融合していくとき 人の身体。 心臓、消化、歩行の繰り返し。それらは独自ビートを繰り返し互いが関連しないのにつながっていて、そして人はそれを意識しなくて