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もう頑張れないが言えない

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今の仕事を始めて10年目。
23の年に今のポジションを前任の人から急遽引き継いで
6年目になった。


慣れ、っていう言葉があるけど
人はどれだけ数をこなしても慣れないこともあるらしい。
人の痛みを感じ続けることや、誰かのために動こうとするパワー。


これはわたしがわたし自身に6年間ずーーっと
自分の優先順位を下げることを強いてきたらしい。


仕事とプライベートなんてものを
完全にわけることは出来なくて
いや、できる人もいるのかもしれない。
でも、わたしはできない。
すごいね、とか言われることもあるけど、
全然すごくない。不器用なんですよね、
てきとうに、ができない。生きづらいですよ、ほんと。笑

朝がきたら仕事にいきたくないと思うし、
夜がきたらまた明日がくるのが嫌になったり。


でも、働き出したら目の前のことを一生懸命やる。
こころは追いついてなくてもやらなきゃ、なんです。


同じポジションでやってる人たちは
いつも『大丈夫?』って心配してくれる。


わたしはいつも笑顔で
『大丈夫ですっ!』って言う。


写真をとりにいったり、舞台で子どもたちとぶつかって
いろんなパワーをもらったり
気軽に友達に会えていたときは
あんまり気づかなかったんだけど、
それが気軽では無くなってしまってから
バランスの取り方が自分でもわからなくなってしまうことが増えた。

紅白で菅田将暉がわたしのために←まちがいさがしを歌ってくれてわんわん泣いたり
眠れなくなってしまってからは平日は基本4時間、
土日は死んだように寝るの繰り返しだし、
生理がとまったり、テレワークになってから
1人になることがとても楽になってしまって
いつ出勤に戻るのか怯えていたり。



あれ、これわたし結構きてない?
過去一で結構きてるよね、


ってことに気づいてから
次こそ、今度こそ、
といつも思うのに働き出したら
何もなかったようにフルエンジン!


結局頑張れちゃうってことは
まだ限界ではないってことなのか?


自分でもわからないんですよね。

生きるって、どれが正解なんだろう。

人間って本当に色んな人がいる。
普通、とか常識とか簡単に使うけど
普通も常識も自分の中にしか存在しない。

自分と同じ人なんて1人もいないんだから
違う家庭で育つということは
文化も違うし、同じ日本でも
違う国で育ったの?くらいの衝撃を受ける時だってある。


わたしは最近までクリームシチューもご飯にかけるのが一般家庭で、
ちょっといいとこの子はパンが用意されるのだと
思い込んでいた。
案外パン、もしくはクリームシチューの時はシチューだけの家庭が多いことを知った。わたしの統計。

ほらね、こんなふうに当たり前だと思っていたことが
簡単に覆ることがいっぱいある。


わたしがしんどいって言えないのは
あきらかに家庭環境だと感じている。


ものすごくがんばらされてきたわけでもないし、
勉強とかは割とやりたいならやれ、くらいの自由度があった。
じゃあ全然じゃんって思いますよね、
僕なんてわたしなんてもっと大変だったって。


わたしの場合はそういうしんどさではなかったんだと
この間、過去の自分といろいろ対話してきて感じています。

友達の話をしても名前を覚えてもらえなかったり、
大切な友達のことを目の前で悪く言われたり、
聞いてほしい時には忙しかったり、
いざ話してみても、気がついたら相手の話にすり替わっていたり。


聞いてもらえて良かった。
相談して楽になった。

こんなふうに感じたことがなかったんだと思います。
だからいつのまにかわたしは自分で解決する道を選ぶようになったのかなって。


また聞いてもらえなかった。
そうじゃないねん、最後まで聞いてよ!


話すことを諦めたら
こんな感情になることもないから。

だからわたしは

本当に聞いてもらいたい気持ち

ほど、言えなくなってしまったんだと。


ポジティブな気持ちよりもネガティブな気持ちで
起こりやすい呪いです。笑


わたし自身がわたしを大切にしてこれなかったから呪文を解くのはものすごい時間がかかりそうです。

 

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みなさんはどんな家庭で育ちましたか?
きっと、家族大好き!!な人も
とても複雑な事情がある人も、
それぞれにそれぞれの物語があると思います。

自分の今抱えてるものや不安やどうにもならない気持ちを
自分の甘えや、忍耐力のなさととらえないでほしいです。
きっと、あなたがたどってきた人生を手繰り寄せたら
どこかの糸と絶対に繋がってるものだと
わたしはそんなふうに思うのです。

他の人には理解されないような
些細な一言が、そのあと何年もあなたの中に
小さなトゲを残しているのかもしれないし。

他の人には理解されないような不安も
あなたにとっては紛れもない不安だということです。

正体のわからない不安って
ほんとたち悪いですよね、消えてなくなれこのやろうですよね。

きっとずっとこころのなかにふつふつと
湧き出た感情が、ぴったしの言葉を見つけてもらえるのを探してて
口から出るたび、近い気がする、でもぴったしじゃない。そんなことの繰り返しのような気がするんです。


だから、街中でみた何気ない広告の一言や、
ドラマや映画ののセリフ
街中で聞こえてきた会話から
今のワタシが探していた言葉を見つけた時は
出会えるのを待っていたかのような
救われた気持ちになります。


そうやってたくさんの押し込めてきた感情にお似合いの
ぴったりな言葉をプレゼントして
ちゃんと広い世界へ旅立たせてあげたい。

わたしの中で動き出した、
たくさんのきもちが
ぴったりな言葉を探せるように
そんないつかのわたしのために
できないときはできない!!をモットーに、笑

こうやっていろいろ考えると寝れなくなっちゃうんですけどね!🧚🏻‍♀️

はじめて自分のこと(核の部分)を色々書いてたら
わたしはずっとこういう触れられることのなかった気持ちを
見つけて欲しかったんだなぁって思いました。

でも、不思議。
さっき文化の違いを話したと思うんですけど
バラバラの環境、状況で育ったわたしたちなのに

燃えるような夕焼けを
同じような気持ちで見つめられたり
好きな映画が同じだったり
嬉しいことがあったとき同じように喜んでもらえたり。


それって、全然当たり前じゃなくて
奇跡みたいなことなんですよね。。

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同じ経験をしてきてなくても
こころの同じ場所で響き合える。


人と人との間には言葉がいらない瞬間というものが
ごくまれにあると思っています。

そんな人がわたしのまわりにもいてくれること。
これは本当にありがたいことです。


大切にしていかなきゃ、、なのです。


みなさんの抱えきれない気持ちたちも
どうか、言葉をみつけられますように。


わたしも、この人生が長い長いよりみちなら
楽しみながら、今年最も輝いた
よりみちオブザイヤーを狙って
明日からまた頑張ろうと思います。


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花屋の店先に並んだ
いろんな花を見ていた
人それぞれ好みはあるけど
どれもみんな綺麗だね


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