倫理も哲学もないがしろにされた文字通りに機械的な教育現場
試験導入とか検討でなく本格稼働。信じられない。
集中力なんて個性だし、そもそも学校という組織で常に同じ方向を向いて同じ課題をやることに疑問を呈したいくらいなのに、その真逆に向かうようなITの活用。一様に集中し続けることにいかほどの価値も無いし、むしろ集中力に波のある人からすれば活動し辛いだけだし、そもそも「監視されている」ということを視覚的に、触覚的に体感させながら授業を行うということが極めて不愉快である。
そもそも健康のためだろうと修練のためだろうと、その個人がどういう生命活動を、思考活動を行っているのかを把握するなんて許されるわけがない。たとえばテストの点数を誰かに知られるのがイヤだったように、自分の集中力をモニタリングされるということに対する不快感というのは、筆舌に尽くしがたいものがあるし、子供ではその感情を体系的に説明することは難しいだろうから、それがより最悪である。
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具体的にどれくらい酷いことかというと、思春期の子供たちが、国語の授業で性的な表現を含む内容があったり、保健体育の授業で性教育を行っている際に、自身の脈拍を測られているということが発生しうるということである。「では授業内容で着脱いいのか」というとそんなわけがなく、つまり脈拍や生命維持活動というのがそれだけセンシティブで、個人の尊厳の領域であるということを分かりやすく述べたに過ぎない。
とある席になってから脈拍のUP/DOWNが激しい生徒。グループワークの時と普段の授業で脈拍の異なる生徒。特定の生徒が起立・発言している時だけ脈拍の上がる生徒。着替えの時間に脈拍の上がる生徒。
ああ。こんなことをわざわざ書きたくない。情けなくて涙が出てくる。こんな素人が一瞬で想像できることに波及しかねないことを考慮しているプロセスを公開もせずに(厳格なルール化もできていないままに)「本格稼働」とは。
いつどのように感情の起伏が揺らいだということをモニタリングされるということがどれだけの重さなのかを、なぜ学校や教育委員会は考えることができないのか?これが単発授業だけでなく、すべての授業中になってしまったら?放課後帰宅するまで外してはいけないということになったら?「生徒の安全のため」等という大義名分でGPS機能をつけられたら?
大人にやるのも相当慎重になるだろうことを(むしろ会社員にこんなことするってなったら大問題になりそうなのに)、反論の意志を持てないまだ柔らかい思想しかない子供に対してこんなことをするなんて絶対に許せない。保護者の了解とか、そういう問題じゃない。
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そもそも全然生産的じゃない。連続して集中しているかどうかなんて、その生徒が勉学に対して襟を正していることの証明に全くならない。まるで授業中に集中していることが正義のような、集中が60分続くことが理想のような、集中していないのであれば集中させるように先生が努力すべきというような、そんな一辺倒になりそうな、それを機械でやるなんて、最悪としか言いようがない。
課題終わった生徒は挙手して追加の課題をやりたがるべき(もしくはまだ終わってないフリをしてサボるべき)であり、その選択を生徒自身が行えるような自主性を育てるべきところ(重要な余白)なのに、モニタリングされてそのうちバレるし逃げられないし何か言われるだろうから放っておこう、なんて行動が生まれてしまう。
倫理を度外視したって「選び取り」の「余白」の大切さに思考が及ばないなんて、それが本当に教育現場なのか?本当に信じられない。授業を行う、運営する側の都合で授業が行われる学校なんて、最悪としか言いようがない。語彙を失う。最悪、ただただ最悪である。
で。
これは教育委員会やら学校やらに対しての指摘であると同時に、それに留まらない可能性がある。
授業を運営する側が「こうでもしないと効率的な(いやさ効率的ではないと先に述べたところなので矛盾に見えるが)授業ができない。それほどまでに教育現場というのは疲弊しているのだ、残業続きの先生たちの負担を少しでも減らす必要があるのだ」ということなのかもしれない。
であれば、是非このような選択をせずに、一度立ち止まって、倫理というものを見直してほしい。そのうえで倫理的に妥当でないことを確認してから、教育委員会宛でもSNSででもアラートを上げてほしい。「こうせざるを得ないくらいに逼迫しているのです」「しかしこんなことはできない。不適切だ」「教育をなんとかしよう」という方向で盛り上げるべきだ。
子供は言語化が下手で思想が柔らかいから受け入れてしまうだけで、感性は鋭く、記憶もしっかりしていて、この体験は傷としてしっかり残る。社会人になってから「監視」に対しての受容耐性ができてしまい、それはゆくゆく社会全体に広がる。大人がされて嫌なことを子供にならやっていいなんていう理屈は、言語道断、一切許されるものではない。