海外の大学一年目を経て、(前半)
こんにちは、
今回は海外の大学で一年間通して感じたこと、学んだことを書いていこうと思います。
いきなり話に入っていくのですが今は医学を学んでいるのですが最初の学期はフランス語や人文学を学んでいました。
なので前半、後半に分けようと思っています。
前半では1学期目の話をしていきます。
私がまずなぜ語学や人文学を学ぼうと思ったかを説明していきます。
そもそも私は「言葉にする」ということがとても苦手です。
ちゃんと伝わっているのか、ちゃんと自分が表現したいように伝わっているのか、どういう言葉を選べば正解なのか、、、、
色々な国を行き来していたのもあって私にはベースとなる言語がありません。時には日本語、ある時は英語で考えたり話したりしたほうが楽、と。(実は私がノートを始めたのも言葉で伝えるという力をつけたかったからです)
そんななか、言語の違い、表現の違いを学びたいと思っていました。なぜ、同じ人間なのにこんなにも感じ方が違うのか、歴史も関係あるのだろうと歴史も取る予定でした。
私は最初の方は結構興味津々でこういう見方もあるのか!こういう表現もあるのか!こういう習性もあるのか!と新しい発見がありました。
ドキュメンタリーやグループディスカッションを通して新しい解釈の仕方、意見を学びとても面白いと思っていました。
しかし、少し哲学っぽいものもあったので質問をすればするほど理解が深まるというより「まあ、結局は自分がどう思うかだよね」というところに辿り着くことが多かったです。それか、一周してまた同じ質問に戻ってきちゃったりと、、、
私は答えがないもの、というものにとても苦労しました。
フランス語もとっていたのですが、日本語のように色々な言い方だったりがあって結局こういうのもありだよね、みたいなことがこっちでも多く正直イライラしてしまうところもありました。
数学のように答えがない世界というのは社会で生きていく中抱える不安と同じようなものなのかな、とも思います。
学校では叱ってくれる人、家では親などがいますが、会社ではどこの会社に入るか、どのような仕事をするか、どのように出世するか、フリーランスになるのか、など色々自分で決めないといけないことがあると思います。そこでここが安全だ、と言われている道もあると思いますが結局は自分で選んで、何かがあれば自分の責任だ、など言われたり、、
私はそういう未来を想像するだけでとても不安です。
なので常に答えがないものを勉強しているときはこれでいいのかな、この説明の仕方で通じるかな?などキリのない不安と向き合い続けていました。
そんなこんなで不安が大きかったので1学期の最後の方は授業を楽しめなくなっていました。
そこで私はこのまま続けてもいいがもう一つ自分には絶対にできないと思っていた夢に向かうかで迷っていました。
その夢というのが「医者」です。
そもそも勉強をろくにしていなかった私が医学部に入れるのかも謎でしたし、そんないきなり変えれるのかも不安でした。入れたとしても本当に医者になれるかも不安でした。
このままいけばジャーナリスト、人文学の研究だったりができるようになる、ソーシャルメディアの会社で働ける。とスムーズに行けるのでそっちを取るか迷いました。
しかし、今でさえあまり楽しめていない自分がいるのにこれからやっていけるかの方が心配でした。
やっぱり人生一度きりなので自分がなりたいと思ったものになりたいと私は最終的に思いました。
周りにも色々相談や話を聞く、などしましたが、私が生物学のことを話すときの方がキラキラしていてそっちの方がいいと思う、と言われたのでそれを信じ、あとは自分を信じそっちの道へ進むことにしました。
決めた後はとてもワクワクしていました。自分がなろうと思ったことが本当にできるようになると!
しかし、この1学期間学んだものを捨てるのも勿体無いので、一応全部学んだことをノートにまとめ振り返りました。
やはり答えがないものに対して答えを求めるのは自分にとってはとても苦痛だったと。同時に答えがないものに対して自分の意見を出していく、持論をいう、人の話を聞いて受け入れるというスキルもついたと思います。
これはとても大事なことなので無駄な半年間だったとは思いません!
しかし、そこから私の本当の厳しい道のりが始まりました。
今までの苦労とはかけ離れていました。一瞬一瞬が戦争で、メンタル、体力勝負でした、、、
何回も心が折れそうになりました、、、
詳しくは後半で書きますね!
ではでは〜
*先週投稿をお休みしちゃってすみません、、、