ツリーアドベンチャーと、その他若干のこと。【エッセイ】
鬱蒼とした森の続く山中に小さな谷があり、谷底には小川が流れている。小川の周りの広葉樹や杉の木は、地上八メートルの高さで吊り橋などによって繋がれている。吊り橋の床板は、簡単には渡って行けないよう飛び飛びになっていて、手すりのロープもユルユルで頼りない。樹と樹の間を繋ぐのは、他にも丸太が一本だけだったり、ブランコみたいな物が十幾つ連なっていたり、いろいろだ。要するに樹上のアスレチックコースを想像すればいい。挑戦者は胴体にハーネスを装着し、ヘルメットを被って、コースに沿って張られた頭上のワイヤーロープに、可動式の命綱を繋いだ状態で渡って行く。これが『大鬼谷ツリーアドベンチャー』だ。中国山地の麓から少し入った、広島県庄原市の北の山中にある。
その吊り橋を小学二年生女子のみーちゃんが、やっとの思いで一歩、また一歩と渡って行く。みーちゃんを先導するのはお母さんのはるちゃんだ。なかなかのスポーツウーマンであるはるちゃんでも、渡って行くのにかなり手こずっている。コースの向こうの方から、子供の「怖いよ~」という泣き声が聞こえて来る。みーちゃんよりも上級生の男の子が、リタイアしてロープで地上に降ろされたのだ。
コースの最難関、たった一本のロープを歩いて渡らないといけない所で、さすがにみーちゃんも、「もうむり! もうむり! おりるー! おりるー!」と泣き叫び始めた。足を踏み外しても落下はしないのだが、地上八メートルの高さで宙ぶらりんになってしまう。頼りはたった一本の命綱。これは相当怖いのだ。
ところが、本当に降りるか、それともスタッフのお兄さんに手伝ってもらって渡るかと尋ねると、やっぱり行くと言う。コースの最後のお楽しみ、命綱一本による七十メートルの空中大滑走をどうしてもやりたいからだ。
みーちゃんはスタッフの手に掴まって何とかロープを渡り切り、丸太やロープで作られた残りの関門は自分でクリアして、最後は大喜びしながら大滑走と着地までをやり終えた。なかなか根性あるぞみーちゃん!
それはいいとして、みーちゃんのすぐ後ろで、「がんばるんだみーちゃん!」とか、「おおっと! かなり怖いねこりゃあ」とか言いながら、おっかなびっくりのへっぴり腰で丸太やら吊り橋やらをジワーリジワリと進み、地上で撮影しているけい子ちゃん(みーちゃんの祖母)に、余裕が無いくせに手を振ったりしている中年後期の短パン眼鏡男、こいつは一体誰だ?
はい、それは私です。
ふぅーーーーーーっ。
けい子ちゃんが撮ったビデオを見終わって、私は深いため息を吐いた。我れ衰えたり😿。木登りが得意技だった昔なら、こんなものはさして苦労せずにクリアできた筈だ。ビデオには、この後みーちゃんと川で泳いだ場面も収録されているが、そこで披露された私のポッコリお腹🐧、あれもいただけない。
それと、撮影者が付いて来れないのでビデオは撮っていないが、みーちゃんときたらやたらと駆けっこをやりたがる。そして勝ちたがる。並んでヨーイドン!すると、まあムキになって走ること走ること。仕方が無いから接戦を装ってぎりぎりのところで負けてやるのだが、正直言ってきつい。そのうち本当に負けてしまう。これは何とかしなくては。まだまだみーちゃんごときコワッパ😜の後塵を、わざとでなく拝するわけにはいかない。
私は今後のプランを考える。みーちゃんが高学年になるまでは、一緒にアウトドアで大遊びするとして、その間は身体能力をこれ以上衰えさせるわけにはいかない。いや、現状維持では駄目だ。往年の体力と、あのダビデ像の如き筋肉美💪を復活させなくてはならない。
ダビデ像は冗談だ。実はただの痩せっぽちに過ぎなかったが、ともかく、昔はもっと身軽でしなやかな体躯の持ち主だったということだ。
つまりただの貧相な痩せっぽち‥‥。
それはもういい。
でも瘦せっぽち‥‥。もういいってば!
もういい筈なのにそれなのに、何故か、何故か執拗に痩せっぽち時代の記憶が蘇ってくる。高校は男子校だったが、二百人近い同級生の中で、私は痩せ男ベスト3にランクインしていた。但し、私の名誉のために言っておくが、さすがにナンバー1ではなかった。ああ良かった。栄えあるナンバー1の男、彼こそは私の親友Tであった。
恐るべき痩せっぽち🕴️の親友Tは、痩せっぽちゆえのみっともない話に事欠かなかった。
一例を挙げよう。ある朝Tが目覚めたら、どういう訳か布団から起き上がれなくなっていた。どこにも痛みはない。びっくりした家族が救急車を呼んで病院に担ぎ込まれたわけだが、医師が診断を下して曰く、「いわゆる腰が抜けた状態です」。
何だってえ? 腰が抜けたあ? そんなのか弱き女性が突然の恐怖体験に遭遇して地べたにヘタリ込んでしまった時に、比喩として使われる言葉じゃないのか? よく分からないが、痩せっぽちゆえの骨盤(筋?)の脆弱さが招いた突然の災難だったらしい。
私はナンバー1のTからその告白を聞かされた時、驚愕の余り、「そ、それじゃあおまえ本当の腰抜け男じゃないかあ!!!🤪」とつい叫んでしまったものだ。その時、私の顔面では隠そうにも隠せぬ優越感が炸裂していたことであろう。私は悟った。この世にTがいる限り、私は痩せっぽちコンプレックスに押し潰されて人の道を誤ることはあるまい。どんなに苦しくとも、どんなに痩せていても、Tよりはマシ。Tこそ我がプライドの最後の防波堤。やはり親友は大切にしなくては‥‥。
ところが、ところがである。ああ何という残酷な裏切り。実はTは、当時既に解散して久しかったザ・ビートルズのジョージ・ハリスン🎸に、首から上のルックスがそっくりだったのだ。つまりかなりの、今で言うイケメンだったと言ってよい。だけど首から下はナンバー1のTが、ロングヘアーに芸術家志望らしきファッションで絵具箱など携え(美大浪人中)、広島市紙屋町の繁華街を歩いていた時、とある美人姉妹から声を掛けられたのだ。
お姉さんの方が恐縮しながら言った。
「あの‥‥妹と付き合ってやってくれませんか?」
何でも純情可憐なその妹さんは、Tが繁華街を歩いている姿を何度か見掛けて、「まあステキ! ジョージ・ハリスンにそっくりだわあ!!!😍」と、密かに恋心を募らせていたらしい。
「ア、はいはい」
Tは即行で承諾した。
うぬぅ‥‥👽。何ということだ。私にはそのような話は皆無であった。ナンバー1のくせに。承諾するなよあのヤロめ。一体世の中どうなっているのだ。おかしいぞ。つーか女性の男を見る目は一体どないなっとんのか。はなはだ不可解なり。ああ、思えば暗い青春時代だった。もう思い出したくない‥‥。
『中肉中背🧑💼』。痩せっぽちの私(とナンバー1の親友T)にとって、これこそ遥かなる北辰POLARISの彼方に鎮座まします超越的欲望の対象、ジャック・ラカンのいわゆる対象a‥‥て何だったっけ? とにかく憧れの体型だった。あれから永い年月を経た今、私の体型は正にこの中肉中背アルカディアに到達していると言ってよい。
なのにちっとも達成感が湧いて来ないのはどういうわけだ? ちっとも幸せな感じがしないのは何故なんだ?
それは超越的欲望の本質からくる自己意識の再帰的運動性がオートポイエーシスとしての垂直加速度にドータラコータラ‥‥いや違う! そんなもんじゃない!
お腹だ🐧。このポッコリお腹のせいだ。そして、みーちゃんごときコワッパ😜に、駆けっこで負けそうだからだ。
リベンジ(一体何に向けてなのかハッキリしないが)への炎をメラメラと燃やす私のお腹が、それからどうなったのか? それについては「またの日の夢物語」とさせていただきたい。(完)
*エッセイ誌『R』No. 88掲載作品を推敲・加筆。
*セリーヌの小説のタイトルを最後パクった。
*ポッコリお腹をネタにした別作品はこちら。↓↓↓