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仏教伝来の地がお隣さんだった件【大阪市此花区伝法町】

どうも。薄めな神社エールです。
自分自身あまり宗教を意識して生きていないのですが、一応実家は真言宗です。なぜうちがその宗派となのかは本文を読めば分かると思います。
そしてそんな薄い仏教心しかない私でも仏教伝来地がこんな近くにあったのだと知ればちょっと興奮してしまいました。
なのでこれも共有したいなと思い書いてみました。
ではどうぞ。


・移住を考えているなら伝法町付近をおすすめする

なぜなら駅前にはイオンがあるし

未だにイオンとマックスバリューの違いがわからん

そして四貫島商店街など3つの商店街があるし

意外?にもシャッターの閉まっている店の方が少ない

そして大阪一安くて旨い店があるからだ!

何度も言うが、大阪では言ったもん勝ちだ

そして個人的におすすめなのがここ

住宅街に突如として現れる個人経営の本屋さん【シカク】
ZINEなど個性的な本が並びます

そしてこのシカクがどうやってできたかの本が自費出版されてて、めちゃくちゃ面白いのでぜひ読んでいただきたいです。

何も考えてないところから始めてよくぞここまで続いたなと感心する

さて、そんな移住におすすめな伝法町付近ですが、更におすすめする理由がタイトルにもあるように、なんと、仏教が降り立った地だからなのです!

・仏教とは何か

まず仏教のおさらいを少し。
日本でもっとも親しまれている宗教の一つであるのですが、始まりは皆が知るインドです。ただ現在のインドでは仏教徒の数は1%ほどしかなく、ヒンドゥー教(80%)やイスラム教(14%)の割合が多くなっています。原因として10世紀イスラム勢力によって排除されたというのが定説らしいのですが、当時の仏教は一部のエリートのみが嗜む高貴なものとなっていたので、信心として土台が弱かったという見方もあるそうです。逆にヒンドゥー教は日本の八百万の神のように土着信仰みが強いため現在の隆盛に繋がっているのだとか。
紀元前5世紀ごろにブッダが悟りを開いた(ちなみにその日は12月8日だそうです)教えは自分自身を見つめて苦しみを受け入れていくというのが簡単な理解でありますが、ブッダから口頭で伝えられた教えを聞き書きしていく内に聞き手の解釈が加えられていくのは仕方のないことだったのでしょうか。それが西暦538年(552年説もあるそうです)に朝鮮の百済から日本に伝わり、上記の理由もあり現在では13宗56派にまで広がっています。

・日本での仏教発展と衰退

聖徳太子(私の中では彼=ハルク説がありますが別の話)は当時多くの集合体があった日本を一つにしようという考えから仏教を活用することにした。八百万の神は数が多すぎてまとまりがなかったようです。
統治している側に保護されているため仏教は瞬く間に日本中に広がっていきました。ただインドでの土台不足な傾向が日本でも見られるようになります。一部の優秀な人が学ぶ学問的な位置づけとなっていたため、現代日本人の無宗教感はここから来ているのかもしれません。
江戸時代になると徳川幕府によって檀家制度が徹底されます。これは土地の区分によって管理する寺を決めてしまうという決めごとで、真言宗の寺が近くにあるなら教義に納得しているかどうあれ真言宗を末代まで信じなさいということになります。これでさらに仏教はぬるま湯に浸ってしまいます。勝手に改宗改派ができないのだから積極的に流布する必要はないわけで、しかもお布施としてお金は決まってはいってくるのだから左団扇なわけです。
しかし痛いしっぺ返しがくるのが明治時代。政府が日本神道を国教化し天皇を現人神と崇めなさいとしました。そして廃仏毀釈運動が起こり寺が焼かれたり仏像が壊されたりしたそうです。

廃仏毀釈といえばるろうに剣心の安慈を思い出す

さて、そんな仏教ですが、日本に伝来したであろう場所がこんな近くにあることを知らずに過ごしていました。それはどこなのか……

全ては神社に!

・鴉宮(からすのみや)に行こう

さて、阪神電車の千鳥橋駅を降りてすぐに最近できた広い公園が現れます。

ここは元々川だったらしいです
赤い△が写真の公園で左上が淀川
その先を進んで行くと屋根が見えてきました

すぐに鴉宮の入り口が現れます。

別日に撮ったやつなので大空が晴れてます

鳥居の左側に掲示板があります。

興味深い話が書かれています

簡単に説明しますと、豊臣秀吉公がこの地を訪れ彼地(おそらく朝鮮ではないか)への航海の安全を祈願したとのこと。すると社頭の森中から三本足の八咫烏が現れ、海路の方向を指し示したとのこと。このためか全船無事に航海を終えることができ、豊臣秀吉公はいたく感激し自ら祭主となり帰航の報告祭典を執り行ったとのこと。その際に元々傳母頭神社としていた社名を鴉宮に変更したらしい。

そして奥に進むと拝殿が現れます。

賽銭場所は少しユニークになってます(写真は後で)

更に奥には下記の神様が祀れています。

左から末社、琴平社、稲荷社

拝殿の賽銭場所には船の頭部が埋め込まれています。
これは先ほどの水先祈願が成就した証でしょう。

この中に賽銭を入れそうになります

そして拝殿の脇には色々と張り紙がしてあり、その中の一つかこれです。

興味深い記述が

簡単に書きますと、仏教伝来の地であるから傳母【傳は伝える、母は始まりの暗喩】という土地名であったという文献があるらしい。このあたりは大阪、京都、奈良への玄関口航路として栄えていた時代があり、琉球使節、遣唐使など多くの船舶が停泊したとのこと。そして552年に百済の使臣阿直岐(アキチ)博士、王仁(ワニ)博士によりこの地に仏教が渡来したとのこと。
なので、この神社で祀られている天照大御神木彫りで、しかも法輪も彫られているらしく、正に神仏習合を象徴するかのようだと(天照大御神は雨宝童子という仏教側のお姿がそれであると言われている)。

・まとめ

最初にも書いたように私は仏教徒という自覚はない。けれど、少し関わっている身からしてもこの伝承は興味深いものであり、多くの人が興味を持つ神社ではないかと思います。
前回も書きましたが、実際に出向いてみたら私が目につかなかった発見があるかもしれませんので、よかったら拝みに行ってみてください。

それでは、また次の神社でお会いしょましょう。

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