『宇宙戦争』H.G.ウェルズ
火星、東洋では「燃える火の星」、西洋ではギリシャ神話から「戦いの神・マルス」と呼ばれる、この惑星は古来から観察の対象として、物語の舞台として、人類の興味をひきつけて離さない星だった。
人類にとって、地球、月、太陽に次いで親しみのある星、火星。どこのどんな宇宙人よりも有名な火星人。
なぜ、火星人なのだろうか? 水星や木星、金星、土星ではなく、なぜ火星なのか?
当然、浮かぶであろう疑問を解くためには、火星と地球人類の歴史的関係を概観すればいい。文献に残っているはるか以前から、星々は人々の観察の対象として見つめ続けられてきたのだろうが、火星が近代から現代にいたる地位、つまり火星人の存在を期待される有名な惑星としての地位を築くきっかけは1877年のことだった。
この年、火星は地球と太陽に大接近し、天文学者にとっては絶好の火星観察期を迎えることとなる。イタリア人天文学者ジョバンニ・スキャパレリは火星の表面の数多くの筋模様を観測。彼はその筋模様を「Canali」(「カナリ」)、とイタリア語で"溝"を意味することばで呼んだ。これがのち、英語の「canal」("運河")と混同され、火星には運河があると言う説を生み出していくのである。
ちなみに、火星の二つの小さな衛星、フォボスとダイモスが発見されるのもこの年だった。
その17年後の1894年、アメリカはボストンのビジネスマン、パーシヴァル・ローウェルは私財を投じて天文台を建設。火星の観察に没頭し、当時、世界最高の性能を誇ったという口径45.7センチの大きな屈折望遠鏡を用いてスキャパレリと同じく火星表面の黒い縞模様を観測する。ローウェルは、これを火星人が砂漠地帯に水を運ぶために作った運河であると、その名も『火星』と題する著書の中で主張し、さらに、運河が交わる場所にはオアシスがあり、そのオアシスが火星人の都市であるとかなり大胆に推測した。
ローウェルの『火星』が発表されたのは、1896年。それと時をほぼ同じくして、H.G.ウェルズによる『宇宙戦争』が発表された。
スキャパレリやローウェルが見た筋模様が何であったかというと、火星の単なる地形であるだとか、水が通った水路の跡だなどと言われている。ただ、自然に出来た水路と運河とでは大きな違いがあるわけで、この筋模様のとらえ方によって、火星人生存説が強い説得力を持つに至ったのであった。
この他、大気構成だとか有機物の存在、比較的地球に近い温度変化などといったものもあるのだが、これらは、もっと後々に発見され、火星人生存説の補強剤として、あるいは、生存説を否定するための武器として利用されていくのであった。
19世紀から20世紀にかけて、地球上では巨大な運河の建設が相次いでいた。1869年にはイエズス運河が、1893年にはギリシャのコリント運河が開通、そして1914年には、10年にも及ぶ大工事の末、パナマ運河が完成する。
この時代、人類にとって運河は科学技術文明の偉大なるシンボルだった。したがって、もし、火星全体を縦横に走るような壮大なスケールの運河網があるとすれば、火星には、人間のような、あるいははるかに進んだ文明を持つ、知的高等生物がいるはずだ、と考えられた。
火星観測の第一人者、ローウェルが唱えた運河説は、時代背景とマッチし、人々の好奇心と想像力を刺激して、雪ダルマ式に膨れ上がっていったのだった。
以来、火星と地球人類の関係は、深まっていくばかりだ。そして、科学の世界における活躍と並行して、文学の世界においても火星は急激にその登場の回数を増加させていくのである。
と、そんなことを文学部の卒業論文に書いた。
単位をくれた教授に感謝しています。
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