選択の天秤
「過去と現在と未来は、同時に存在する。」
これは物理学の言葉。でも僕は、本来の意味と違う意味で、この言葉を思い返すことがよくある。
まず、人生にはとてつもない量の選択があり、日々、正しい選択を強いられている。
ただ、選択肢はいずれも、平等に選ばれているわけではない。
中学で野球部に入っていた人が、高校でも野球部に入るように、夕食をパスタに決めた人が、フォークを手に取るように、選択の天秤は、過去の要素がより多く含まれている方に大きく傾く。
過去によって現在の天秤は傾き、現在の選択によって未来の天秤は傾く。そして、現在と未来の選択は過去の要素となり、さらに未来の天秤を傾けることになる。
すなわち、過去と現在と未来は、同時に存在する。
昔、環境によって選ばされていた選択肢、無意識のうちに選ぶことになっていた選択肢。それらによって、天秤は傾き始める。そして、選択が選択であると認識した時、天秤が大きく傾いている方を選ぶ様になる。
すると、選択とは、未来ではなく、過去を選ぶ行為になる。
もっと言うと、選択とは選ぶ行為ではなく、受け入れる行為だ。
そうだとすると、選択肢の中に、正しい選択や間違った選択という区別があるだろうか。
正しい選択や間違った選択というのは無く、天秤が傾いた方の選択肢を受け入れた先で、その選択が正しかったのか、間違っていたのかを判別しているのではないだろうか。
中学で野球部に入っていた人が、高校ではサッカー部に入ることや、夕食をパスタに決めた人が、箸をとってしまうこともあるだろう。
それらは、中学で野球部を選んだ時点から高校で部活を選ぶまでの時点、夕食をパスタに選んだ時点からカトラリーと箸を目の前にした時点、そういった選択から選択までの過程によって、天秤は傾いていたものであり、その選択には何の変哲もない。
正誤はまた別の話で、選択はいずれも、順当である。
順当である選択に抗うことは出来ない。我々に出来るのは、順当である選択を受け入れ、正しくしようともがくことだ。
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