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またはわずかなリスクだけ

今回のタイトルは好きなアーティストの曲中の歌詞からの引用です。
「FREE!全てFREE!またはわずかなリスクだけ」
核P-MODEL(平沢進)の「崇めよ我はTVなり」という曲中にある言葉です。
良い曲なので、気になった方はぜひ聴いてみてください。

さて
我々は普段タダで色々なものを見たり聞いたりしていると思います。
このnoteもいま無料で読めていますよね
私の絵もインターネットにあるものの多くは基本的には無料で見れていると思います。
というか無料じゃなかったら読んでなかった、見なかったという人のほうが正直多いのではないかなと思います。
私が今回書くことはこの部分です。

「金を払えよ!」といった説教的な内容では全くございませんのでご安心ください。
寧ろ私はタダで読まれてるというこの状況を嬉しく思い
歓迎しています。

いつも絵を見てくださったり記事を読んでくださりありがとうございます。

さて、今回私が書きたい内容は
タダより怖いものは無い、逆に言うならばタダを上手く使いこなすということがビジネス上でとても役立つのではないか?
という最近の気付きについてです。
(そして私の主催する有料の魔術学院で取り扱うアートやそれにまつわるビジネスとはこういったものです。)


私は初めて義務教育を受けた当時、教科書の裏などに書いてある「これから日本を担うみなさんへの期待を込めて無償で支給されています」的な文章を初めて読んだ時にとても複雑な気持ちになり
それが印象に残っています。

無料の教科書、無料のYouTube 無料のTwitter 無料のアプリ 無料のニュースなど。こういった無料のモノの多くに我々は育てられ、作られているのです。

私は東京にて某絵画教室のスタッフとして主に幼児・小学生コース担当の経験があるのですが、その時に驚いたことがあります。

それは幼稚園児が猫ミームで使われる音楽やBling-Bang-Bang-Bornを口ずさみ、小学生がSCPの二次創作で盛り上がっているという現実の光景です。
この光景は絵画教室の先生を実際に勤めてみるまでは知る由もありませんでした。
そして、この子どもたちはインターネットやYouTubeによって育ったものなのだなと感じました。
これらの情報はYouTubeを見続けていれば簡単に入ってくるものであるからです。きっと彼らは「ずんだもん」や「霊夢」のこともご存知でしょう。

私は、これを少し恐ろしいことだと感じました。
例えばもう少し前の世代ではゲームのカセットは当たり前に有料で、親の人間が「そんなもの、うちじゃ買わないよ!」と判断すればそれを得る手段は基本的にありませんでした。
漫画や本、映画などもそういった物であったはずです。

だからこそ私たちは昆虫たちやザリガニ、近所の年長者から学びを得たと思います。
これまで無料だった教えの大部分はそういうものでした。

有料であるものに対しては何らかの形で本人もしくは保護者による判断が加わります。
それが高価であればあるほどそうだと思います。

しかし、無料のものに関してはどうでしょうか?
まあ、無料だし…と見てみる/見せてみる可能性がグッと上がり、だからこそ子どもたちの流行が変容している。
それが答えなのではないでしょうか。

これが私が最近気づいたことの一つです。

無料は人々を変容させます。
私たちの価値観、趣味、嗜好、思想、
これらの多くを無料が作っています。
この変容は不可逆です。
お金は対価であるという側面から、何かしらの支払いに於いては責任や判断を生じさせますが
無料のモノ・サービスは簡単に
この壁を乗り越えてしまうのです。
クリエイターとして、ビジネスを行うものとして、この作用を利用しない手は無いと思いませんか?
全てをケチケチとお金にしなければならない訳でもないのです。
遠い目で結果を捉えるほうが最終的に大きな利益が得られます。

そして、なぜタイトルに平沢進氏の曲を引用したかというと…
まさに、平沢進氏はこのような「無料」の魔力を最も上手く使いこなしている者の一人であると私は考えているからです。

平沢進氏はインターネット上での自身の音楽の無断アップロードを事実上黙認しています。
にも関わらず(?) 沢山のファンがいて、CDも売れている「ステルスメジャー」です。
インターネットで無料で聴けてもファンはCDを買うのですよ。
そういうものです。上手くやるならね。
なので、無料で聴けることがデメリットにはならない。
むしろ広告の役目を果たしている。だからこそ、一般的なテレビ番組等に媚びずとも「ステルスメジャー」として在ることが出来る。

ちなみに、私はこのマーケティング技法をリスペクトしています。
なので、私はインターネットで絵を見せびらかしています。


この手法は宗教の布教等にも用いられているように思います。
無料で聖書を配る理由もまさにこれであるはずです。

まずは与えて(地を耕し買った種を蒔き水を撒くイメージ)、それから収穫するのです。これが基本です。
農家も個人事業主も宗教家も、違法な薬物の売人でも、これは同じです。
まず種を蒔かずには得られないので、それを逆算して行う必要があります。


私は一人の教育者として
自分からアートやビジネスを学びたいと考える者たちには、無分別に無料が全て正しく自分のための善意のものであるという風に受け取ってほしくはないと思っています。

無料だからどうぞ、と渡されたお茶が毒入りだったならば…
どうしますか?

無料の裏にはよっぽどお馬鹿でない限り何かしらの意図があります。
イニシアチブは無料で提供している側にあるのです。


考えなしに無料だけを受け取ると、いつの間にか支配をされます。

そして、タダで受け取り続けた以上はその支配に異を唱える資格など無いのです。
(だって、タダで受け取ったものなのですから。)

無料と支配は表裏一体です。

回りくどくなりましたが、自分の主催する絵画教室を基本的に有料としたい利益以外での理由はここなんですよ
という話でした。

だからといって私による教育を有料で受けたいかどうかは皆さんが考えることなので、ぜひ金を払えよとは一言も言いません。
それは皆さんそれぞれが自分の頭で考えれば良いのです。
責任や学ぶ意思はそこに宿ります。
情報を吟味する習慣が大事なのです。

有料で得たものは貴方の選んだものです。
あなたはそれを「選んだ」権利を得られます。

ちょっと難しい話をするなら、株式の仕組みだって上述の理論と似たような要素のあるものではないでしょうか。
株式の仕組みでは
持ち株比率が50.1%で普通決議が可能になり、持ち株比率が66.7%を超える場合には、株主は保有する株の企業の特別決議を単独で可決する権利を得ることが可能になります。
つまり、お金を出せば出すほど実質的に支配する側になれるんです。
これ、興味深いと思いませんか?

東大の研究でも同じようなことが解明されたみたいですね。
https://togetter.com/li/2431275 


「全てFree!またはわずかなリスクだけ。」
全てこれだと私は思います。

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