【光る君へ48話 考察】 最終回は古典文学による感傷リレーがものすごかった件。ラストのまひろに見出した希望の光
満月が昇った2024年12月15日の夜、大河ドラマ「光る君へ」の最終回が放送されました。源氏物語の内容を劇中にうまく取り込み、あらゆる古典文学の香りを随所で匂い立たせた文学ドラマでもありました。
例えば、為時が教える漢詩がある登場人物を示していたり。まひろの読む書物が物語の行く末を暗示していたり。言及はされないけど伊勢物語と思わされる描写があったり。
それはまるで恋文に薫きしめられた香りから相手がどんな人物かを想像するように、そこにどんな意味が込められているのかを探し当てるのが楽しくて仕方ありませんでした。そして途中で気づきました。ああ、これは令和版 源氏物語なのだなあと。源氏物語には一条帝が言っていたように和歌や漢籍、日本紀などあらゆる作者の素養を感じられます。それを令和の視聴者にもドラマで追体験させているのだなと。
最終回は、これまでの総括といえるほど、あらゆる古典文学の感傷が押し寄せてきました。ここにXで書ききれなかったことも含め、文学的視点から読み解いていきます。
⚫️倫子が言った"あの漢詩の文"〜陶淵明の「帰去来辞」
大石静先生が書く台詞って本当すごい!まひろにこんなことを言われた倫子は、どれほど打ちのめされたことか。まひろは夫がちょっとした下心で手を出したような女ではない。二人は魂の結びつきを思わせる深い関係なのだと知ったのです。倫子の瞳が揺れ、こう言います。
"あの漢詩の文"とは、10話でまひろと道長が初めて結ばれる前に交わしていた文。道長にとっては、まひろから初めてもらった文なので、倫子と結婚後も土御門殿に持って行ったのでしょう。13話で倫子は文箱に隠してあったその文をまひろに見せ、どういう意味か聞いていました。
この詩は「帰りなんいざ」から始まる田園詩人と呼ばれた陶淵明(陶潜)の代表的な詩で、まひろはこの詩の三句目から二句ずつ抜粋して道長に送っていました。
要はこの時、直秀の死に打ちのめされていた道長に「大丈夫、落ち着け」とまひろは送ったわけです。
和歌は心。漢詩は志。道長から相談を受けた行成は「送り手は何らかの志を詩に託している」と言っていました。この志が今、まひろに訴えかけてきます。
⚫️琵琶を弾くまひろ〜白楽天の「琵琶引」
琵琶を弾くまひろは白楽天の「琵琶引(琵琶行に同じ)」オマージュだと思われます。この漢詩は3話から登場していました。
「琵琶引」の冒頭です。
「潯陽の揚子江(長江)の川のほとりで夜、客人を見送った」で「琵琶引」は始まります。潯陽(じんよう)は白楽天の左遷先、陶淵明の故郷です。これを3話の道長と行成、15話のまひろが書写していました。そして三人とも同じ「夜」の字を書いています。また、まひろは声に出して読んでもいました。
「琵琶引」は「長恨歌」に並ぶ白楽天の代表作といえる長編の感傷詩。内容としては、左遷された白楽天が秋の夜、潯陽の揚子江(長江)の川のほとりで客人を見送った際、舟の中から琵琶の音色が聞こえ耳を澄ませます。女が奏でるその琵琶の音色は、一音一音が深い物思いに沈んでいく風情で、まるで志を得ない日頃の想いを訴えるような響き。停泊していたどの舟も琵琶の音色に静まり、秋の月が川面に白く映っているのが見えるばかり。その琵琶弾きの女は、少女時代の楽しかった日々から落ちぶれた今までを振り返り、己の不幸な身の上話を語ります。そこで白楽天は、最果ての地に落ちぶれた者同士、悲しみを分かち合います。心動かされたその女がまた琵琶を弾くと、白楽天は涙で青い衣を濡らすのでした。
川での出会い。悲しみを分かち合う男女。まるで、まひろと道長です。道長の衣装は白楽天と同じ青がテーマカラー。また、琵琶弾きの女が輝いていた少女時代から回想する様子は、後に出てくる菅原孝標の娘が書いた更級日記と同じ体裁です。
まひろにとって琵琶は、亡き母・ちやはとの思い出の品。まひろは思慮深く、作家として物事を俯瞰するタイプなので、琵琶を弾くことで心を落ち着かせたり、考えを深く巡らせたりするために弾いていたと思います。そしてまひろが弾く琵琶の弦が切れました。切れたのは二度目。前回は長徳の変の前ぶれ。ここでオープニングが流れます。
キーワードは「秋」と「感傷」です。
⚫️赤染衛門が読む「栄花物語」の伏線
冒頭のシーンから7年が経過しています。1027年、道長が亡くなる年です。赤染衛門が倫子に読み聞かせていたのは栄花物語の「楚王のゆめ」。2年前に亡くなった道長と倫子の四女・嬉子の入棺を描いた場面です。
嬉子は出産の直前に赤もがさ(麻疹)にかかり治りましたが、皇子を産んだ二日後に19歳の若さで亡くなりました。旧暦の8月、季節は秋でした。倫子が嬉子の体を触ると体が冷たかったという描写は、このあと死んだ道長の手に触れる際の倫子を暗示しています。
この時の天皇は彰子が産んだ長男・後一条天皇(敦成)。次は次男・後朱雀天皇(敦良)、その次が嬉子の産んだ後冷泉天皇(乳母は賢子)と続きます。しかし嬉子の死から2年後、妍子は一人娘を残し34歳で亡くなり、威子も後一条帝との間に女子二人を産みましたが皇子に恵まれないまま亡くなります。
彰子は「他家を外戚とせぬ。嬉子が産んだ東宮の皇子で十分。一条の皇統を守り抜く」と言っていましたが、本当にその皇子(後冷泉帝)を最後に道長の家は頼通の代で外戚から外れ終わります。道長が譲位に追いやった三条天皇の孫が後三条天皇となり、皇統は一条から冷泉へと移ります。嬉子の死は、いわば道長一族の栄華の終わりの始まりでした。
⚫️菅原孝標の娘が読む源氏物語「幻」帖〜更級日記
のちに更級日記を書く菅原孝標の娘・ちぐさが初登場。元祖・文学オタクの彼女がまひろの前で読んでいたのは源氏物語41帖「幻」の巻末にある光る君が最期に詠んだ歌です。
最愛の紫の上を亡くした光る君が延々と悲嘆し、一年の終わりに自分の人生も終わったことを悟り詠んだ歌で、42話でも描かれました。まひろは「幻」を書き上げた後、月を見ながらその歌を詠み「雲隠」と書き残し一旦、筆を置いています。源氏物語の「雲隠」には題名しか残されておらず、光る君の死が暗示されています。つまり、ここで道長の死も暗示されています。同じこの年の瀬に光る君へも終わるのだという最終回の感傷も相まってなかなかエモい一首でした。
このシーンで印象的だったのは、まひろが原作者として読者の解釈を否定せず、にこにこしながら聞いていたこと。「解釈は人それぞれ自由でいい」を表しているようですてきでした。
菅原孝標の娘はこの時ちょうど嬉子が亡くなった年と重なります。彼女はのちに源氏物語に憧れていた少女時代から振り返り、宮仕えをして夫と死別する晩年までの日々約40年間の出来事を回顧録として綴ります。それが更級日記。少女時代から回想する姿は先にも述べた琵琶弾きの女と重なり、彼女が夫を失ったのも琵琶引と同じ季節は秋。気づけば、為時邸の庭も紅葉しています。ここから、さらに古典文学の「秋」と「感傷」が畳み掛けてきます。
ちなみに、陶淵明の詩の「帰りなんいざ」という有名な訓読は菅原道真が考えたという説があり、その道真の子孫が更級日記の作者であり、道綱母は叔母にあたります。まひろは「蜻蛉日記」を書いた道綱母に石山寺で会い「書くことで悲しみは救われる」と教わりました。原作者と読者の感激の対面というのは、あの時と今回の粋な繋がりですね。私が大石静先生に会えたら、きっと何も言えなくなって泣いてしまうかも。えさし藤原の郷のロケで大好きなまひろちゃんに会えた時がそうでした🥹(今度その時のレポを書きたいと思います)
⚫️清少納言と陶淵明の共通点
ききょうが菅原孝標の娘とすれ違いにやってきました。これはもう平安文学ファンにとってうれしいサプライズ!
ききょうとまひろ、二人がどうやって仲直りしたのかは描かれず、視聴者の想像にゆだねられました(後述します)。まるで「理由なんて言わない方がおもしろいでしょう」と紫式部と清少納言に言われているみたい。私はこのドラマなら二人はきっと仲直りすると信じていました(涙)なぜなら、ききょうとまひろは無二の親友だった白楽天(白居易)と元稹(元微之)のオマージュだと思っていたからです。
「元白」と呼ばれた白楽天と元稹は、科挙に受かり吏部の試験で共に合格した頃に出会い、離れ離れになっても詩を交換するなど友情は生涯に渡り続きました。その二人の名前を6話の漢詩の会で出会ったまひろとききょうに言わせています。その会で道長と行成は、白楽天が元稹に送った詩を選びました。結果的に、友情を超えた元白の強い絆は、まひろとききょう、まひろと道長、道長と行成にもオマージュされていたのだと思います。
そして「秋」といえば、清少納言の枕草子に描かれている有名なくだり。
これと似た陶淵明の詩がこちら。
実は、この陶淵明の詩の最初の二句もよく知られており、夏目漱石の「草枕」にも登場します。白楽天の遥か先輩・陶淵明=まひろにとってのききょうとも受け止められます。上記の作品も共に「秋」と「感傷」が感じられ、それはドラマでも言及された次の元稹と白楽天の菊の詩からも見て取れます。
⚫️元稹の菊の詩〜陶淵明と公任の和漢朗詠集
道長が望月の歌を詠んだ時、実資は言いました。
その元稹の菊の詩がこちら。
菊好きで知られる陶淵明の名前が出てきます。最後の二句「是れ花中に〜」は公任の「和漢朗詠集」にも採られた秀句。源氏物語「宿木」にも出てきます。菊は一年の名残の花だと思って見ると、過ぎゆく時間の流れの感傷と重なって菊の花に対する情緒が勝ってくるというもの。菊の花は感傷の象徴だと元稹は詠んだのです。
ちなみに今年、皇居の三の丸尚蔵館で見てきた「雲紙本 和漢朗詠集」(国宝指定)にその詩がありました。皇居だけに「菊」のページを見せてくれていたのです。
この元稹の詩にしみじみ感じ入った白楽天は、とある詩を詠みます。それが6話の漢詩の会で道長が選んだ詩でした。
⚫️白楽天が元稹を思って詠んだ詩〜漢詩の会のエアラブレター
白楽天は宮中の重陽の節句を祝う宴の席で、菊の花を浮かべた酒に対し、元稹を思い浮かべます。
長寿を願っていただく菊花酒が「盃」に満ちている。おめでたい宴の席なのに、元稹はおらず寂寥感を募らせた白楽天。道長はその詩にまひろへの恋心を重ねました。まひろには届いていました。元稹の菊の詩は源氏物語「宿木」にも引かれ、その「盃」は敦成親王が産まれた時にまひろが詠んだ歌にも出てきます。
26話でききょうは「唐の国では皇帝は太陽、皇后は月といわれておりますが、私にとって定子さまは太陽です」と言っていました。45話でも行成は「月は后を表します」と言っています。その通り。漢詩の世界で月は后を指します。36話で「盃」に「栄える月(中宮彰子)」をかけて詠んだまひろ。「よい歌だ。覚えておこう」と言った道長は、望月のように欠けていない一家三后を果たし、44話で望月の夜の宴で"盃"を見てそれを"巡らせ"「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」と詠んだのでした。
重陽の節句は9月9日。この白楽天の詩も「秋」に詠まれた「感傷詩」。菊は1話からちやはが生けていたり、一条帝と定子の前に置かれた器に浮かべられていたり、紫式部日記の記述通りに菊の着せ綿がチラッと映ることはありました。まひろが道長に母が殺されたのは道兼のせいだと告白した後、6話で桶に張った水に映る満月を掬(すく)う「掬月(きくづき)」も菊にかかっています。最終回に菊が出てこなかったのは残念。曲水の宴のように菊の宴も見たかったナァ……
いずれにせよ、最終回では今までの和歌や漢詩が走馬灯のように頭の中を駆け巡りました。白楽天と元稹と陶淵明は実は劇中でひとつの線で繋がっていたのです。さらに言うと、陶淵明は荘子の思想の影響を受けています。荘子の「胡蝶の夢」は17話に出てきました。悲田院で倒れて道長に看病されたと知ったまひろが庭の蝶々を見てそれを読んで書写しています。小さい時にまひろが着ていた衣の柄も蝶でした。道長がまひろにプレゼントした扇の中の少女もです。すべて繋がっています。
古典文学の感傷リレーはまだ続き、いよいよ秋の深まりと共に道長の病は重くなります。
⚫️まひろが手にしたもみじの葉の意味🍁〜道長の歌と「長恨歌」
まひろが「長恨歌」を読んでいると、もみじの葉がはらりと落ちてきました。これも示唆に富んでいました。
まず、栄花物語には己の死期を悟った道長が彰子に送った一首が記されており、そこに「もみじの葉」が出てきます。
もみじの葉は、道長危篤の知らせでもあるのでしょう。まひろが読んでいた白楽天の「長恨歌」にも、もみじが出てきます。長恨歌は、唐の玄宗皇帝と楊貴妃の悲恋を描いた長編の感傷詩。そう、これも「感傷」です。源氏物語に大きな影響を与え、冒頭の「桐壺」帖から引用されています。源氏物語は長恨歌なしには語れません。
その初出は11話の一条天皇の即位式の回。まひろが書写していました。
これは長恨歌の前半。季節は春。この時は玄宗と楊貴妃を一条帝と定子に重ね、二人の行く末を暗示していました。楊貴妃が死に、後半になると季節は「秋」へと移ります。
公任の「和漢朗詠集」〈恋〉にも採られている秀句です。公任は長恨歌からいくつも選んでいます。和漢朗詠集は、いわば「声に出して詠みたい和歌と漢詩」なので、つい朗詠したくなる美しい詩が長恨歌にはたくさん出てきます。
一面を覆う紅色の落ち葉は、いわば玄宗皇帝の寂しさの表れ。気づけば、為時邸の庭にも落ち葉がたくさん散っています。道長がまひろに会いたい想いを募らせて散らせているかのよう。
最愛の女性を失って延々と悲嘆する光る君と玄宗皇帝は似ています。定子を失った時の一条帝もそうでした。思い出されるのは、己の死期を悟った定子が詠んだ辞世の歌。
一条帝が流した涙の色、それは赤い血の涙でした。つまり、まひろが見ている庭の赤いもみじの葉は、最愛の人に会いたくて悲嘆する玄宗皇帝や一条帝や道長がぽたぽたと流した涙の跡かもしれないと思えてくるのです。
そこにタイミングよく隆家が現れます。
「太閤様のお加減が悪いそうだ」
まひろが開いていたページは長恨歌の巻末部分。玄宗皇帝は寂しさのあまり方士に死者の魂を探させ、その方士がいよいよ亡き楊貴妃を思わせる美しい仙女に出会う場面です。この方士こそ隆家。源氏物語「幻」にも導師(方士)が出てきます。最愛の人を亡くすと、人は形代(身代わり)を探すか死者の魂を追い求めるんですね。ちなみに、長恨歌の次にくる「婦人苦」の詩題も映っていました。女性の苦労を述べて男性に反省を促す詩です。
方士が見つけ出した仙女は、玄宗皇帝と楊貴妃しか知らない7月7日の七夕の夜に交わした愛の誓いを口にしました。かの有名な"比翼連理の誓い"です。
現世で別れても来世では共に。
「しかし、この恋の遺恨だけは綿々と連なり永遠に尽きることはないでしょう」で終わります。これが長恨歌という詩題の由来。
夜に二人だけで交わした約束は、まひろと道長にも通じます。七夕といえば、まひろが源氏物語の前に書いた「カササギ語り」のカササギは織姫と彦星の橋渡しをする鳥。越前の浜辺で周明と見た「夫婦のカモメ」も比翼の鳥を思わせる描写でした。結局カモメは一羽になって飛んで行ってしまったけれど…周明は今頃、鳥になっているのかナァ。あとで鳥は大きな意味を成してきます(後述します)
⚫️まひろが語る「千夜一夜物語」
秋は万物の命がこぼれ落ち、冬になって眠りにつく。12月4日、道長は亡くなります。同日の深夜に行成も亡くなります。厠に行く途中で倒れ、一言も発することなく息を引き取ったと実資が「小右記」に記しています。「トイレが近くなった」とF4(四納言だからN4か)が話していたのは伏線でした。降っていた雪を見ると定子と一条帝のことが思い出されます。
道長死すとも、倫子もまひろも玄宗皇帝や光る君のように泣き喚いてお別れするのでもなく、仰々しい壮大な音楽も流れませんでした。人は老いて静かに逝く。彰子の出産時のシーンとの対比。中島監督の強いこだわりを感じました。
小右記に記された晩年の道長はあまりに痛ましいので、光る君への道長はまひろが読み聞かせた物語の緩和ケアで穏やかな最期を過ごせてよかったです。「続きはまた明日」は、シェヘラザードが王に語る「千夜一夜物語」そのまま。光る君へ1話の冒頭では「シェヘラザード」が流れていました。
物語は人の心も、政をも動かし、生きる糧ともなることを表した場面だったと思います。まひろが言ったように「米や水のように、書物は人にはなくてはならないもの」なのだと。
⚫️公任と斉信の歌
栄花物語「つるのはやし」には行成薨去の段で公任と斉信が詠んだ歌が記されています。
本放送で斉信が詠んだ歌が「あたま」になっていましたが、土曜の再放送で「かしら」に修正されていました。吹き替えが間に合ってよかったです。
実資が道長と行成の死を記して涙をこぼし(ここで涙腺決壊)公任と斉信は亡き人を偲んで歌を詠んで献杯します。悲しみがより引き立ち、しみじみしました。このしみじみが織り成す古典文学の感傷リレーはここで終わり。放送終了後も余韻が何日も続きました。もののあはれ、いとエモしを堪能しました。すばらしかったァァァ!
⚫️まひろが賢子に渡した家集「紫式部集」
家集とは、個人がまとめた歌集のこと。年が明けた1028年、まひろが賢子に渡したのは「紫式部集」です。とはいえ、劇中でまひろはナレーションでのみ言及があったものの、一度も紫式部とは呼ばれませんでした。賢子が読み上げたのは、百人一首でもよく知られる紫式部の代表的な歌です。
定説はさわさんに当たる人物に詠んだ歌とされていますが、まひろの表情を見るとそうとは限らない、というところがおもしろかったです。個人的には、道長や直秀、ちやは、ききょう、そして周明にも当てはまる気がしました。なぜなら、母と直秀が殺された時も、悲田院で倒れて道長が看病してくれた時も、藤壺にききょうがカチコミしてきた時も、すべて「雲隠れにし夜半の月」が映っていたからです。別れが多かったまひろの人生を表す一首だと思いました。
こんな風に視聴者に余韻を与え、千年前も今も変わらぬ人間の有り様を描き、さまざまな想像を掻き立ててくれるのはまさに文学。光る君へは稀有な文学ドラマだったと思います。
⚫️旅立つまひろは陶淵明の「帰りなんいざ」
1話でまひろが飼っていた鳥が逃げ、主人を失った鳥籠は最終回で朽ちて壊れます。
かつて、まひろの母・ちやはは「一度飼われた鳥は外の世界では生きられないのよ」と言い、直秀は「俺は鳥籠を出て あの山を越えていく」と言っていました。そして、源氏物語の若紫のように小鳥が逃げて泣いていた幼いまひろに「大空を飛んでこそ鳥だ」と言っていた三郎は、逃げたその鳥が大空を飛ぶ絵を描いた扇をまひろに贈りました。先に述べた「カササギ語り」然り、「鳥」はこのように劇中で印象的に描かれてきました。
ここで冒頭の陶淵明の詩に戻ります。
陶淵明は、人づきあいが苦手で書物と琴に安らぎを見出し、生活苦から宮仕えを始めたもののうまくいかずに、俗世を捨て故郷へ帰る決意をします。それが「帰りなんいざ」で始まる「帰去来辞」です。
「さあ帰ろう」とは、故郷へ帰るのではなく、元のあるべき所に帰って人間本来の生き方をしようというもの。陶淵明は、先に紹介した枕草子の「秋」と共通する詩の中で、ねぐらに飛んでいく鳥の帰還にこそ真なる意があると説きました。
鳥籠を出たまひろは双寿丸に言います。
この時のまひろの表情にウッと胸が打たれます。心の底から「生きてほしい!」という感情が湧き上がってきました。私が私でいられる場所を求め、源氏物語を書き上げ、政をも動かし、家集もまとめあげたまひろが、最後の最後に陶淵明の志にまた立ち戻って共感するのも納得がいきます。先に述べたように、ききょう=陶淵明オマージュだとしたら、ききょうもこの境地に達したのだと思いました。この二人の千年作家ならきっとそうであろうと。
まひろは"帰る"
本来の自分が生きる場所へ
陶淵明は別の詩で、その帰った鳥は生きていることを実感して喜びを歌っていると詠んでいます。
この詩を見つけた時、まひろは道長からも俗世からも離れて何にも縛られずに、人として生きる充実した生の喜びをどこかで感じていると思えて心が震えました。まひろは最後のシーンで決して死んでいるのではない、生きているのだという希望の光を見出せた気がしたのです。
道長がまひろに贈った扇の絵にあるのは、一緒に都を出ようとして叶わなかった想いを遂げるかのように自由に羽ばたく鳥と松。長恨歌の比翼連理の象徴だと思いました。まひろは最後、扇の鳥のように縛られずに飛んで"帰った"。三郎もきっとそれを喜んでいるでしょう。
最後に、まひろちゃんの気持ちになって陶淵明の詩を読み返すと感慨がより迫ってくるのでそれで終わりにします。心が疲れ果てた時、人生に行き詰まった時、人生の最期を迎える時にも読み返したい詩だと思いました。
つい長々と書いてしまったものをここまでお読みいただき、ありがとうございました。光る君へに関わったすべての方にも言いたいです。最高傑作の大河ドラマを届けてくださり、ありがとうございました!!
(時間がある時に1話ずつ振り返りたいと思っています。光る君へのイベントに参加した時のレポも)