かたくなであること
「女神(テミス)の教室」というドラマを見ていて、かたくなに自分の主義や考え方を持ち、貫く姿というのは、強いようで、実は損な性格なのかもしれないと思った。
私は自分でも、自分のことを頑固というか、かたくななところがあると思う。
嫌なものは嫌だし、いいと思ったことは、誰がなんと言おうと自分が納得しないとやめられないし、アドバイスに従わないところがある。
ドラマ「女神の教室」は、司法試験を目指すロースクールの学生の話だ。ドラマには藍井(あおい)塾という、入れれば確実に司法試験に合格できるという伝説的なゼミがあり、まずはそのゼミに入るためにみんな必死だ。
司法試験のために、または藍井塾に入るために、学校の授業や勉強もよそに試験勉強に熱心に打ち込む。
司法試験に受からなかったら、なんの意味もない。
というのが学生の共通認識のようで、裁判官をしていて、突然母校の教員をすることになった北川景子さん演じる柊先生は驚いて、戸惑う。
物語は、司法試験以外に考えが向かない生徒と、柊先生の影響で、最初はそうであったけど、段々変わっていく生徒との対比も描かれる。
「司法試験に合格できなければ、学校も授業もまったく意味がない」
一番優秀だとされる生徒のひとりは、本当にかたくなだ。
誰になんと言われようと、弁が立つし、簡単に論破もできることから、怖いものなし。怖いのは、藍井塾に入れないことと、司法試験に合格できないこと。
周りが変わっていく中で、戸惑っていたり、潮目が分からず、変わりそびれているように見えなくもない。近寄ってくる親しみを、かたくなにはねのけ、アドバイスや親切を拒否する。みんな仲良く、法律家。というドラマにしたいのかどうなのかという、ドラマ制作の大人の都合もあるだろうし、そういう流れや点でいうと、周りの流れに乗らないその生徒は、ドラマとして必要な存在なのかもしれない。
その生徒の拒否にあうと、大概「そうだよね、やっぱり、だよね」というセリフがよく出てくる。
損な性格というのは、そういうところだ。
「やっぱり、いやだよね」
相手は分かっているけど、敢えて誘っている。簡単になびかないのは、ストイックで格好いいのかもしれないし、司法試験のための勉強に不要だから、拒否して当然なのかもしれない。
でも、本人の認識がどうであれ、その生徒の視野はかなり狭いし、法律家になりたいためにロースクールに通っているのか、司法試験に合格するために法律を学んでいるのか、本末転倒なところがある。
あまりにかたくなだと、自分の世界というか、自分の都合中心の世界にこもりがちになる。
それは、私の経験でもそう。
誰かが何かを言ってくれる、アドバイスしてくれるのは、救いがある。まだ猶予が残されている。
誰も何も言わなくなって、ある時やっと自分は孤立している、自己中心的になっていることに気づく。
そこから変わろうとするのは、とても大変だ。
変わること自体が怖いし、変わった自分を見る周りの目が怖い。
物事に柔軟であれというのは、ある意味「いい加減」で「流されやすい」ことと表裏一体。
かたくなに自分の主義主張を守っていた方が、安心で、自分の行動の一貫性に納得できるときもある。
自分の中で矛盾しているように見える事柄とどう付き合い、柔軟に生きるか。
かたくなさは、格好いいばかりではない。ストイック故に辛いことは美徳でもない。
ドラマを見ていて思ったこと。
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