タイミングの不思議
GWに、ポーリッシュ・ポタリーというポーランドの食器のお店へ行った。
学生の頃、半年だけカウンセリングの先生をしてくださった先生とまだ繋がりがあって、その先生にポーリッシュ・ポタリーを買って送った。
サバティカル・バケーション
という仕組みで、本来の先生がお休みに入ったので、その代打の先生だった。
先生は生まれも育ちも、たぶん都会の人で、何もかも洗練された感じのする、オシャレな人だ。
姿勢もいつもピンとして(後に、バレエを長年やっていて、そのためだと分かった)、とても格好良かった。
年賀状のやり取りや、一方的に私が手紙を送り続けたこともあって、もう始まりから10年以上経つけど、ご縁が繋がっている。カウンセリングを終えてから、1度もお会いしてないけども、こんな風に繋がってる人間関係もあるのだなと、不思議な感じがしないでもない。
その先生が、ポーリッシュ・ポタリーのお礼にと、一輪挿しの花瓶を送ってくださった。
先生らしい、すごくシンプルでいながら、どこかオシャレなレストランのテーブルにそっと置いてあるような、花瓶。高さは10cmくらい。
このまま何もない花瓶を飾っておいてもいいし、ドライフラワーとか、草花を活けて飾ってもいい。
先生からの音信がとても嬉しくて、ここ最近ずっと沈んでいた気持ちが、ふっと楽になった。
不思議なことに、先生の手紙や音信のタイミングというのは、いつもそうやって、沈んで澱んで、底辺をはうような気持ちの時ばかり。先生の手紙や音信で救われている。何かあると、すぐさま連絡するような仲でもないから、手紙や音信のタイミング、本当に謎だ。
私は人との繋がりは薄い方だし、たくさんの知り合いも友達もないけど、先生みたいな人がいて、十分以上に幸せだなと思う。
繋がりがたくさんあった方がいいというし、そのメリットも分かる。
でも、私は私でいいかなとも思う。
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