政治の話
今の日本で政治の話をすると、煙たがれるし、ちょっと変わっていると思われがち。
少なくとも、自分の主義主張に自信があるとかないとか関係なく、気軽に話題にする雰囲気ではない。
選挙に行くのも「へえ、行くんだ」と思われるし、もし自分の思いを語ろうものなら、「何言ってるんだか」と、シラケた空気が漂う。
正解も不正解も、良い主張も、悪い主張もないのに、日本人(特に若い人?)が政治の話題に二の足を踏む理由の一つは、「自分がその主張が元で批判されたら、太刀打ちできないかも、心折れるかも、負けるかも、失敗するかも」と恐れるからじゃないかと思う。
「何言ってるんだか」と思われる空気を知っているから、その的にもなりたくない。
読んでいる新聞すら公表したくないし、好きなテレビ局も言えない。
なんて不自由なんだろう。
一方で、はっきりしっかり自分の主義主張ができる人もいる。
その落差はネットでは、本当に顕著だ。
「のめり込むように信じている」と私は感じることが多いけど、主義主張がはっきりしている人は、反対意見の主義主張を、けちょんけちょんに言うことも多い。
そんな非現実的なことを考えていては、日本の恥だとか、日本の行く末が見えてなさすぎだとか。右も左も極端な意見ばかりが、出回っている気がする。極端な所だけ、右も左も一致。。。
批判の言葉遣いは荒っぽいし、その姿勢には容赦というものは毛ほど感じられないし、反対意見は頭から聞く気もなさそう。
妥協というものや、お互いの意見への尊重の気持ちが、匿名でなんでも言える遠慮のないネットの世界では、あっさりと蹴散らされる。妥協する、譲歩する、あえて反対意見を擁護する、そんなことがしたいなら、ここ(同じ意見の人の集う場所)から出ていけと言わんばかり。
ネットは自分の好みの情報、見たい情報だけが集まってくるシステムになっているから、うっかりすると、自分の意見がみんなの意見と同じだと錯覚してしまうこともありえる。
私はアルゴリズムの専門家でもないし、オシントができるわけでもないから、情報の集まり方について、分析について詳しいわけではないけど。
極論を並べて(自分ではそう思ってないかもしれない)、それ以外を却下する人を見ると、同じ意見の人ばかりではないと気付いた方が、逆にもっと自由なのにねと思う。「そんな風にも考えられるんだ」と新しく世界が広がることだってある。
私は頭の中にお花畑があるような、夢や理想を語っているだけなのかもしれない。でも、それが本当だとしても、何が悪いの? と思う。
現実現実と言うけど、どんな現実でも根っこには、誰かの思想が働いてることが多くて、その思想というのは、誰かの理想だ。
理想のない世界はつまらないし、そこからの展望もない。
夢や希望は時として、非現実的かもしれないけど、夢や希望のない未来を描きたいとは、大抵は誰も思わない。
政治の話をすることは、自分が生きたい未来の姿を語ることと似ている。
だから、恥ずかしいことでも、反対意見を恐れることでもないはず。
日本は、自由で豊かな経済大国なのかもしれないけど、不自由で、不寛容なところもある(こんな風に日本を否定するように書くと、私は日本人じゃなくなるのかな)。
誰もが息をして生きるように、息をして生きていくための社会が必要なように、その政治を語れたらいいのになと思う。
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