「楽しい集中」がしたい
最近「がっちゃん」というYouTuberの動画をよく見る。
韓国に住んでいる、普通の韓国人のがっちゃんがYouTubeで配信しているのは、英語の基礎と呼ばれるけど、本当は日本人の多くが心底では納得できていない英語のからくりだったり、英語の考え方、英語の持っているイメージだったりを覆すような動画。
完了形の謎とき。
助動詞のイメージ化。
黒い背景に、文字が話すテンポに合わせて踊っていくだけのシンプルな動画。
すごいなぁと、どの動画を見ていても思う。
なるほど! と膝を打つ情報の見せ方だけではなくて、英語のイメージを母国語でもない日本語を使って、こんなにも滑らかに喋り倒す、語学への愛の深さ。英語だけでなく、日本語への愛や、深い好奇心も感じられる。
こんなふうに愛情を持って、何かにのめり込み、動画まで作ってしまうのは、本当にいいなぁと思って見ている。
私は、何かに没頭することが、昔は得意だった。
小学校の時、夢中で本を読みながら歩いて帰っていて、近所の人に叱られたり、変な子だと言われたりした。歩いて帰っている30分が惜しいのだ。早く続きが読みたい。無駄に歩いている時間がもったいない。
英単語に初めてのめり込んだときは、今思えば「呪いのノート」のようなものをこしらえていた。
初めて知る単語。初めて知る言い回し。初めて知る英語の文法。興味津々。
ひたすらひたすら書きまくった。同じ単語や文章を何度となく書く。当時は鉛筆やBのシャーペンだったから、すぐにノートを擦る手のひらは真っ黒だ。単語や文章だけを書き並べただけの文字練習帳を見た親には、「ノートがもったいない」と言われた。チラシの裏でやってちょうだいと。
そのため、新たな練習帳ではなくて、普段授業で使ったノートの行間や隙間に、小さい文字で延々と練習を続けた。
字の大きさが違うからわかる! と思って私は平気だったけど、他の人や今の自分が見たら、真っ黒の文字だらけのノートは、気持ち悪いだけだと思う。誰がなんと言っても、楽しかった。
でも今は「楽しい集中」ができない。
なぜできなくなったかと考えると、変な時間の癖をつけてしまったからだ。
いつまでに何をして、いつまでに終わらせる。今日は○○がある。明日は○○がある。だから、こうして、ああして。。。
いつも時間を気にして、のめり込みができない。
そんな些細なこと、どうだっていいじゃん。明日○○があろうと、今日がもういい夜更けになっていようと、
楽しいことやろうよ。
楽しいこと、のめり込もうよ。
これ楽しいよ、やりたいよ。やろうよ! 大丈夫だよ。やってみようよ。
そうやって心が叫んでも、応援しても、
優先順位をつけなきゃ。体力がないのだから早く寝なきゃ。
やること多いのだから、早く起きなきゃ。
時間の計算で頭がいっぱいで、つまらん人生してるな。
がっちゃんの動画を見ていて、本当にそう思った。
『モモ』の時間泥棒にどれだけ時間を渡してしまったのかと思う。
こんなはずじゃなかった。
早く寝ても、早く起きても満足感が薄いのは、やりたいことがちゃんとできていないから。自分が満足がいくまで、やりきれていないから。
何が大事か、何がやりたいのか、優先順位をつけることは大事だけど、「楽しい集中」は、思わぬ時に起こるもの。
だから余計に楽しいし、わくわくする。
そんなわくわくを大事にして、私もがっちゃんみたいな愛を持って、好きなことをしたいなと思う。
楽しいことに集中して、ただ楽しむ。
そんな日や時間を作って、自分を楽しむ。
失った時間は取り戻せないけど、これからはそうやって生きていきたいなと思う。
「楽しい集中」の時間を作りたい。
【今日の英作文】
私のnoteがみなさんになんの得があるのかはわかりません。
I don't know what's in it for everyone to read my articles.
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